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作品名:「クリスマスの約束〜バンコクにて」 作者:司 れん

第2回   第一話「従姉妹」
(第一話)       [ 従姉妹 ]  


 トンロー(スクンビッツSoi55)は、ニューペップリ通りに行き
当たるまでの沿道、もしくは横道(ソイ)を入った場所に多くの
日本人向けカラオケを抱え、それぞれ店の個性を生かして凌ぎを
削っている。

ラウンジ『K』もそのうちの一軒である。
『K』は老舗の部類に入り、浮き沈みの激しいこの「世界」では、
「勝ち組」に属する店であろう。
 それは、オーナーの店のコンセプトが、ホステスに体を売ること
を許さず同伴以外の、客との「接触」に対して、厳しい躾が要因な
のかもしれない。

 自然と、客層は、駐在員の男達が主となり、「金で女を買う」こ
とに飽きた男の嗜好に合わせたハイソな店のイメージが造り出され
ていた。
 店のこのコンセプトは、安心して働けるというイメージを女達に
抱かせ素人に近い「素性」の者を多く集めることが出来たし、容姿、
スタイルともにトップレベルの女達を、他店から移籍させていたの
である。
 しかし『K』に関して言えることは、オーナー(所謂、ママさん)
の彼女達を選ぶ「目」には舌を巻くものがある、ということである。
 あながち容姿、スタイルだけで選んでいる風ではなく、初対面で
は標準レベルと思えるような女でも、一瞬にしてその「商品価値」
見出し、入店させる。
 結果は見事で、選別された女が順調に「指名、同伴」を得ること
が出来るようになり、見事に店の「NO1、NO2」に変身していくので
あった。
 
トイには二つ歳上の従姉妹が居て、名前はJOY(ジョイ)という。
 ジョイは、トイよりも、早くからバンコクに出て来ており誰のツ
テを得たのか『K』で働いていた。

 トイがウボンから飛び出してきた頃は、高校の先輩達を頼り、ジ
ョイをアテにすることは無かった。
 それは、従姉妹であるという事情から、何かにつけ田舎に自分の
ことが知られることを嫌ったからかもしれない。

 最初の一年ぐらいは、田舎に居るほうがよっぽどマシであると言
うような「悲惨」な生活であった。
 四畳半ぐらいしかない部屋に五人が同居し、2500バーツそこ
そこの家賃を五人で負担するといった具合である。
 最初の頃、トイはその500バーツすらも払うことが出来ず、先
輩達の世話になっていた。タイ人相手の食堂でのアルバイトから売
ることの出来る金は、月に600バーツほどであり、時間が在ると
きは、近所の富豪タイ人宅で洗濯とアイロンかけの仕事もした。
 大学の学費は、その大半を「奨学制度」に頼ることは出来たが、
それでも細々と、月々に1000バーツは必要であったので食うこ
とににも事欠いた日々が一年ほど続いた。

 ただ不思議なくらい、そんな「悲惨」な生活であるにも拘わらず、
楽しくて仕方無かった。
 大学の同級生の大半は、親に経済力があり何の心配もせず、毎日
キャンパス通いしてきていた。
 トイはアパートから大学まで四回もバスを乗り換え、モータサイ
に乗る金を惜しんだ。友達の多くが授業を終えた後は、流行の『ス
ターバックス』でカフェラテなど飲みながら他愛も無い話を楽しん
でいるときでも、汗を流してアイロンかけをしていた。

 しかし、そんな生活でも充実し、希望に満ち溢れていると思って
いたのである。何とか4年間の大学生活を終えて、バンコクで会社勤
めをすることが出来るようになれば、見違えるような「生活」が待っ
ているんだと信じていたから。

 しかしここで、「運命」を司る神に、『イサーン』の片田舎から
出てきた娘は捕らえられた。

瞬き一つで、目の前の娘の歩む道を変えてみせた。

 数日前からの、経験の無い右わき腹の痛みを不審に思い、訪れた
病院の医者に急性盲腸炎だと告げられた時は、癌を告知されたのと
同じぐらいの衝撃がトイを襲った。
 もちろん、トイもその病気が手術を受け、一週間もベッドに寝て
いれば、治るものだとは知っていたのであるが、まず、頭の中を駆
け巡ったのは、そんな手術代を払えないであろう、ということであ
った。

 恐る恐る医者に尋ねてみた。

---幾ら、かかるんですか?
---30,000バーツぐらい、だね。

 無表情に答えるその男を恨めしく思った。

 その医者も、トイの身なりからして、本当にその金を工面できる
「客」ではないことくらい見て取れたので、関心を払うべくもなく、
事務的に応えたのであろう。

 かといって、手術を受けなければ、命に係わることだとも分って
いたので病院を出た後、どこをどう歩いて帰ってきたのかわからな
いくらい狼狽していた。

 同居人たちは、一様に心配はしてくれたが、誰もその「金の工面」
が出来るとは言ってくれなかった。
 憔悴しきったトイにとって残された方法は、田舎の両親に頼るし
か方法は見当たらなかった。
 しかし、トイはよく分っていた。いくら、家を飛び出した娘であっ
ても、両親はほんの少しばかりしかない土地を売ってまでも、金を
工面するであろうことを。
 痛むわき腹を押さえながら、それだけは出来ないと堅く自戒して
いた。

 不安と痛み、そして恐怖からほんの少しでも逃れたくなり、バン
コクでの唯一「身内」であるジョイに電話をした。
 事の始終を聞き終えたジョイは、従妹の頬を優しく撫でるように
言った。

---心配しないで。私が何とかするから。

 トイには信じられなかったが、絶望の淵で聞いた神の声のような
気がして、両の肩から重い荷を降ろすことができ、急に眠気がさし
てきたのを覚えている。
 一体、そんな大金をどのようにして工面してくるのかなどと、疑
いたくなかったのは、それが「一条の光」であって、すがり着きた
い一心であったからであろう。

 手術を受け、本来なら一週間は入院が必要なところを、切った痛
みを堪えて三日で退院したのは、少しでも病院への支払いを少なく
したかったからである。
そして退院したその日からジョイのアパートでの同居生活が始まっ
た。

 ジョイもトイと同じ大学に通っていたので、色んな意味で気心は
知れていた。
 ただ、不思議だったのは、ジョイも大学に通う傍らで仕事をして
いたが、それが毎日七時頃に出ていって、帰りは夜中の二時頃にな
ることであった。
 明くる日、大学の講義を受けねばならない時は、トイが体を揺り
動かして起こすことも、しばしばあった。

 今にしてみれば、理解できることなのであるが、あの時、簡単に
トイの手術代を「何とかする」と言わしめたのは、ジョイが『K』に
勤めていたからであったのだ。
 ジョイと同居するようになってから、食費や細かい買物は全て、
ジョイが面倒を見てくれた。
 しばらくは、ジョイが毎夜遅く帰ってくる「仕事」の意味がわか
らず

(随分、いいお給料の仕事なんだ)

というくらいしか思っていなかったのである。
そしてある日、化粧をしながら、ジョイがトイに誘いかけた。


---アンタもさ、カラオケの仕事してみない?
---カラオケ?
---トイは、英語、話せるでしょ。今、探してるの、そういう子。

 それが、トイがこの「世界」に入ったキッカケであった。

 その時は、まだ「垢抜け」しない田舎娘であったトイであるが、日
本人向けカラオケでは、日本語が出来るホステスに次いで、英語を使
いこなせる女は、店側にしても貴重な人材であったので、ジョイの紹
介ということもあり、すぐにでもOKということになった。


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