<<その紛失届けに落ち度はあるのか?>> 署長が呟くように言う。 <<いえ、落ち度はありません>> <<じゃ、直ちに紛失証明書を出してやれ。おまえも痛い目に会いたくないだろう>> 署長は警官の顔を見て言う。 <<誰なんです。あいつは?>> <<よく分からない。ともかく丁重に処理しろ>> <<分かりました、直ぐにやります>> そして警官は紛失証明書を作成した。 <<秋草さん、お待たせしました。これが3人分の紛失証明書です、遅くなり申しわけ ありません>> 警官は4人の前で薄気味悪い笑顔で言った。 <<ありがとうございます。これで帰国できます>> 深々と頭を下げ警官から書類を受取ると4人は車に乗り領事館に急いだ。
「いやねー、もう11時過ぎよ。まったく嫌な警官」 メグが不愉快なのか口調が強かった。 「俊さん、領事館の手続きは午前中に終わるかしら。親戚が午後に来るもので」 のりは心配そうに言う。 「そうでしたね、でも大丈夫ですよ。わたしが領事館で説明しますから。でもパスポ ートの再発行は早くなりませんから、再発行申請だけですよ」 と俊は念を押した。 「はい、再発行申請だけでも助かります。さっきみたいに2時間も待っているのは辛い わ」 のりが嬉しそうに言う。 俊はのりのことを勘違いしていたんではないかと思った。顔や喋り方がボーとしていた ので天然ボケだと思っていたが、お嬢様育ちのせいじゃないかと確信した。 外人みたいなメグやオタクのゴスロリのナナと比べれば多分まともな女性である。
「このまま飛ばせば、12時前にはホテルに着きますよ」 前方を見ながら俊が言う。 「せっかくだから4人でお昼を食べようよ」 メグが微笑みながら言う。メグはパスポートの申請手続きが終わり気が緩んだのか顔 付きが優しくなった。 「いや、わたしは大使館に戻らないと」 「あら、どうせ大使館で食事するんでしょ。4人で食べようよ」 メグが声色を変えて言う。のりとナナは顔を見合わせて首を傾げる。
「そうですか、じゃ、800円しかないけどチャーハンでも食べようかな?」 大きくハンドルを切って俊が言う。 「ご馳走しますから好きなものを食べてください」 のりが優しく言う。 「おッ、やっとホテルに着いた」 嬉しそうにメグは白鳥が羽を広げたような美しいインターナショナルホテルを見上げ て言う。
そして車を停め、ホテルに入り3人が宿泊している20階に行く。 「じゃ、これで注文しますよ。追加はありませんね?」 「はい、よろしくお願いします」 俊は部屋の電話で注文する。そしてゴスロリのナナはテレビを付けて日本のBSでオ リンピックを見る。 暫くしてメグが俊を見る。 「ねえ、俊さんはこの後大使館に戻るのでしょう?」 「はい、そうですよ。オリンピック開催中はいろいろなトラブルがありますから」 「戻る時、北京大学まで乗せていってくれない?」 「ええッ」 俊は寒くも無いのに背筋に阿寒が走った。
「どうして北京大学に、今は夏休みですよ。何か興味があるんですか?」 訝しそうな目で俊はメグを見る。 「いいわね、わたしも北京大学に行きたい。学生がどんな服装しているか見たい」 急にゴスロリのナナが振り返り言い出した。 「駄目よ、迷惑でしょう。そうですよね、俊さん」 上目遣いでのりが言う。 「いや、駄目と言う訳じゃないけど。夏休みで学生も少ないし大学なんか面白くないで すよ」
嫌な予感がした俊は3人に学校に行くのをあきらめさせようとした。 「このインターナショナルホテルにはテニスコート、プール、ボウリング場、有名店が 入っているショッピングアーケード、サウナ、エステがあります。ここで十分楽しめま すよ。もしここで何かを紛失してもホテル側が面倒を見てくれます」 真面目な顔で俊は言う。
「でもパスポートの再発行で3,4日は足止めでしょう」 と言ってメグの口元が微笑んだ。 「そうよね、3,4日は飽きるわね。オリンピックのチケットは明日の水泳決勝分しか ないし」 のりも大きな目で俊を見る。 「うーん、困りましたね。でも女子ソフトボールならチケットが余っていると聞きまし たよ」 「だって、女子ソフトボールの試合は夜でしょう?」 「そうですね、では北京大学が何故気に入ったのか分かりませんが、安全に行けるよう に必要と思われる簡単な会話を紙に書きますから、それを見せて指で指しながら聞いて ください」
「あの、一緒に行ってくれないの、わたしたちも北京オリンピックのお客さんよ」 のりが不満そうに言う。 「しかしわたしも日本国大使館の准職員です。公用車も税金で動かしています」 「分かったわ。簡単な会話を書いてください」 「ノートと書くものはありますか?」 「ええ、ちょと待て」 のりは引き出しを開けキャンパス・ノートを取り出し俊に渡した。 俊は熱心にノートに何かを書き出した。そして書き終わると3人を見た。
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