そして放映が終わった。 「秋草事務次官、パキスタンの国を宗教で分けるんですか?」 艦長の高坂が静かに言う。 「これは一つの案だ。パキスタンがうまくいけば手の付けられないアフガニスタンも分 割する」 「これは武力制圧ですか?」 高坂艦長が言う。直ぐに二人の周りには人だかりが出来た。 「そうだ、だが中性子爆弾を行使するよりいいだろう。血を流したくない」 「しかし、赤いモスクで話し合をしたいと言ってきたら行くんですか。イスラマバード へ行くのですか?」 顔色を変えて高坂艦長が秋草に詰め寄る。 「そうだ、わたしは行く。もし殺されたらそれを理由に中性子爆弾を使え」 「うーんッ」 悩ましい顔で高坂艦長は目を逸らした。
その瞬間、秋草はマイクを掴む。 「秋草だ、情報部。この会話を艦内に流せ」 <<了解しました>> 「諸君、秋草だ。今の放映を見たと思うが全員に賛同してもらえるとは思っていない。 当然反対する者もいるだろう。 前回と同じようにサーバに全員のファイルを用意してある。肯定、否定を明日の20 時までに打ち込んでくれ。否定者は護衛艦に移す。遠慮するな」 厳しい顔で秋草が言う。
「わたしの考えに賛成する者は”YES”を、反対する者は”NO”を入力してくれ。 この空母鳳凰には3800人が任務している。もし反対する者が380人を超えた場合 作戦中止して直ちに日本に帰還する。だが反対する者が380人以下の場合は任務を追 行する。 その場合は反対する者を職務から外す、勤務時間中は図書室とサロンに軟禁、食事と 睡眠は今まで通りとする。わたしは個人の意志を尊重する。家族もいれば柵もあるだろ う。恨みはしない。ファイルは明日の朝8時から夜の8時まで書き込み自由にする。以 上だ」
マイクを置いて秋草は周りをゆっくりと見回した。隊員たちはみな寡黙になり、高坂 艦長の手が僅かに震えていたのを秋草は見逃さなかった。 「諸君、解散だ。明日はよく考えてから記入してくれ」 秋草は小走りに自分の部屋に帰り、ノートパソコンから副艦長の経歴を覗く。 「何、須崎弘一郎副艦長。愛好会憂国の剣の代表か....。憂国の剣」 秋草は顔を曇らした。 「うーん、三島由紀夫を慕っているのか。愛好会には34人が登録されている」 鉢巻をして日本刀を抜いているイメージが秋草の脳裏を掠める。 「やはり、高坂艦長が反対に回ると厳しいな」 悩みながら秋草は眠りについた。
翌日もカラチ晴れであった。ぎらつく太陽の下で秋草は竿を握っていた。 「秋草さん、昨日より釣り人が減りましたね」 「ああ、暑いからな。でもそのお蔭で竿が使える」 「そうですね、今日はアジをガンガン釣りますよ」 そして釣りの合間に秋草は気になるのか端末を覗きに行く。
「賛成が556人、反対が101人。これだと反対は380人を超すな。やはり高坂艦 長は反対だったか、面倒になるな」 秋草は艦内の時計を見て溜息をつきながら釣りを続けた。 「秋草さん、よく釣れますね。昨日とは別人みたいですよ」 「うーん、どうしてかな。あのファイルが気になっているせいかな?} と言いながら秋草は遠くのカラチの稜線をぼんやり眺めていた。
そして夜の8時が過ぎた。 「諸君、秋草だ。ファイルの結果を発表する。賛成が3506人、反対が288人。 約束通り、任務を続行する。問題は高坂艦長が反対に回ったことだ」 と言って秋草は暫く言葉が出なかった。 「高坂艦長の艦長職を解任する。そして須崎副艦長を艦長代理にする。高坂一等海佐は 明日から軟禁者の管理にあたれ。艦長職を解任しても高坂一等海佐は一等海佐のまま だ。勘違して失礼なことがないように。それとタリバン、アルカイダからの返事は無 い。以上」
と言って秋草はマイクを置いた。 「失礼します、秋草事務次官。自分は須崎弘一郎二等海佐であります。原子力空母鳳凰 の艦長に任命され身に余る光栄、一命を捨てて大任を貫く覚悟です。よろしくお願いし ます」 スキンヘッドで団栗眼の須崎艦長代理が直立不動で秋草の後ろにいた。 「うん、須崎艦長代理。休めの体勢をとり力を抜け。一つだけ言っとく艦長代理の間、 愛好会の活動に参加するな。艦長は公平に職務を全うしなければいけない。いいな?」 「はッ、秋草事務次官。自分は愛好会を抜けます」 「須崎艦長代理、よろしく頼む」 秋草が手を差し出すと須崎艦長代理は恐縮した顔で秋草の手を握った。
「秋草事務次官、早速ですが何をしましょう? 命令してください」 「いや、タリバンの返事を待っているところだ。須崎艦長代理は艦橋の艦長室で睨みを 利かせろ。わたしに用がある場合は通信係りに頼め。以上だ」
「了解しました、これより須崎は艦長室に入ります」 「ごくろう」 秋草は大きな声で怒鳴った。須崎艦長代理は嬉しそうに敬礼して部屋を出て行った。
それから5日が過ぎた。相変わらず猛暑の中、秋草は釣竿を握っていた。 <<秋草事務次官、須崎です。カラチの沿岸から小船がこちらに向かっています>> 「やっと来たか、何人乗っている?」 <<はい、三人です。二人が艪を漕いでいます。頭にターバンを巻いた白い髭の老人が 中央に座っています>> 「そうか、須崎艦長代理。ターリバーンの最高指導者のムハンマド・オマルの顔を知っ ているか?」 <<秋草事務次官、申しわけありません、自分には分かりません。ビン・ラーディンな ら分かります>> 「そうか」 秋草は暫く波を眺めていた。
「須崎艦長代理、こちらも小船を出してくれ。会いに行く」 <<秋草事務次官、自分がお供します>> 「駄目だ、艦長は艦と運命を共にせよ。直ぐに小船を出してくれ。漕ぎ手はこちらで選 ぶ」 <<了解しました>> 「それとブラックホーク、いや、攻撃ヘリ・アパッチをスクランブル発進できるように 待機させろ」 <<了解しました。どうか、ご無事の帰還を>>
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