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作品名:日本の近未来 作者:佐藤 神

第3回   3

 前菜を食べ終わると5人は落ち着いたのか、ふくよかな香りの老酒を飲みながら都知
事の悪口を言い始めた。
「おれたちの視察の予算を削りやがって、てめえだって適当にやっているじゃないか」
 石井は顔を真っ赤にして言う。
「東京新銀行のことを言っているのですか?」
 目つきが鋭い男がエビを食べながら言う。
「ああ、自分の知り合いを集めやがって失敗するのは当たり前だ。都の職員を出向させ
て貸し出しのずさんな調査、精査能力が無い。このままいけば隠し赤字が増えるばかり
だ。何を考えてんだ」
 石井が口から泡を飛ばしながら言う。

「おい、この場でそんな話は不味いんじゃないか?」
 白髪交じりの男が嗜めるように言う。
「うーん、そうだな。おい、運転手」
 石井が俊を見て怒鳴るように言う。
「何ですか?」
 日本人は酔うとすぐ上司の悪口を言う。俊は内心呆れていた。
「おい、この店の客に日本人はいるのか?」
「いや、いませんよ」

「そうか、ところで運転手。おまえは日本人か?」
 老酒を飲みながら石井が俊に聞く。
「はい、日本国籍です」
「そうですか、生まれは日本ですか?」
 白髪交じりの男が俊の顔を見る。
「はい、はっきりはしないんですが神奈川県の鎌倉の近辺だと思うんですが」
「はっきりしないとは?」
「はい、気がついたときは鎌倉の施設にいたもので、親の顔が分からないんですよ」
「そうか、捨て子だったのか。おまえも苦労しているんだな。だけど何でここにいるん
だ?」
 興味深そうに石井が言う。

「はい、施設にいたとき今の親父の養子になりました。そして小学3年の時、外交官の
親爺と家族で中国の日本大使館に来ました」
「うん、外交官か?」
「はい、わたしは秋草孝一日本大使の子どもです。北京オリンピックで人手が足りず手
伝っています。親父は副田総理に付きっ切りで」
 その言葉を聞いて5人の男たちの顔色が変わった。

「人、人が悪いな。大使の息子さんとは。失礼しました」
 石井は名刺入れを取り出し名刺を俊に差し出した。ほかの男たちも名刺を取り出し列
を成して丁重に手渡した。
「みなさん、わたしは学生で名刺を持っていませんが名前は秋草俊です。秋草でも俊で
もお好きな方で呼んでください」
「じゃ、俊さん。大使も総理と共に会場のほうに?」
 暫くして白髪交じりの男が言う。
「親父の話では昼間総理は選手村に顔を出したみたいですよ」
「選手の激励ですか?」
 石井が微笑みながら俊を見た。
「はい、国家主席夫妻主催レセプションに出席して、その後で選手村に行き日本代表選
手団を激励したそうです。だけどそのスピーチで日本選手団から伸縮をかったみたいで
すよ。それが、”せいぜい頑張ってください” と、言われたみたいで」

「総理が言ったんですか? それは総理らしい」
「ああ、他人事であの人らしいや」
「悪気も無いけどやる気も無いか。アッハハハ」
 愉快そうに5人は豪快に笑い出した。
「いや、失礼。われわれはけして総理を卑下しているわけではなく、総理は庶民的で気
さくな人だと」
「そうだ。われわれは同じ政党だから、心底憎いわけじゃない」
「分かっています。多分、普段お役人が書く原稿がなかったんでしょう。原稿が無く大
勢の前で話すのは難しいものです。特に今回強行スケジュールでお疲れになっています
、失言があっても責められません」

 5人はその後、口を滑らすと不味いと思い話しを止めて、料理を黙々と食べだした。
しかし、政治家の本能か直ぐに何かを話したくなり、話題を俊に切り替える。
「そうですか、北京大学ですか。中国を代表する大学ですね。おや、この曲は?」
「おい、蘇州夜曲じゃないか。いや、中国らしいな。嬉しいな」
 泣きそうな顔で石井が言う。
「ああ、李香蘭。山口淑子先生だ。昔憧れていた」
 白髪交じりの男が頬を赤らめる。
「俊さん。蘇州夜曲は中国でも有名なんですか?」
「いや、この曲は日本の曲ですよ。作詞西條八十、作曲服部良一の名曲です」
「じゃ、店のマスターがわれわれのために....」
 感無量の石井が声を詰まらせた。

「はい、上海の西、杭州。君がみ胸に、抱かれてきくは夢の船唄、鳥の唄。いつ聞いて
も情景が目に浮かびます」
 俊がゆっくりと大きな声で言う。
「行ったことがあるんですか」
 目を擦りながら石井が言う。
「はい、上海に行ったとき一度だけ」
 俊にはこの曲が何となく蛍の光りに聞こえた。
「店のマスターにお礼を言いましょう」
 俊は微笑みながら手を上げてチャイナ服のウエイトレスを呼んだ。
<<日本の曲をかけてくれてありがとう。日本のお客さんは大喜びだ。マスターに伝え
てくれ。それとフルコースで残っている料理を全て出してくれ、むさ苦しい客が長居す
ると店のイメージが悪くなる>>
 若いウエイトレスは苦笑しながら小さく頷く。

 円卓の上の山のような皿が見事に空になっていた。
「じゃ、引き上げようか」
「そうですな、もう出そうもないし」
 男たちは立ち上がる。
「中国元はお持ちですか?」
 俊は立ち上がりながら聞く。
「うん、北京空港で替えました」
「そうですか、日本円だと為替レートで手数料を取られ損しますから、元でよかった。
昔は街中でも円の方が高く替えてくれたそうです。これも日本の衰退ですね」


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