そして翌日、秋草の要求したことをテレビで広報官(リ・チュンヒ)は発表する、そ の広報官の後ろでにこやかに微笑む将軍様がいた。 その日を境に拉致聞き取り調査が驚くほどスムーズに進む。そして将軍様からの贈り 物、米5キロ入りの袋を惜しみなく湯水のように人民に放出する。 そのため3週間の予定が2週間で全てを終了した。
「おーい、安藤アジア大洋州局次長」 書類を見ながら秋草が大きな声で言う。 「何ですか、秋草事務次官?」 にこやかに安藤アジア大洋州局次長が振り向いた。 「この女性は帰国を望まなかったのか?」 書類を凝視しながら、思い詰めたように秋草が言う。 「その通りです、子どもがいて、夫の母親が寝たっきりでその面倒を見ています。 ”今さら帰れない”と言っていました」 話しを聞いて秋草は首を仰け反り両腕を首の後ろで組んだ。 「そーうか、迎えに来るのが遅すぎた。帰国希望者が3割とは思った以上に少ない。 この女性にも日本で帰りを待ち焦がれている親御さんがいることを説明してあるんだろ うな?」 「はい、その時のビデオもあります」
「わたしがもう一度、この女性の家を訪ねたらこの女性に迷惑がかかるかな?」 溜息を着くように秋草が言う。 「いえ、そのようなことは無いと思いますが。ただ義理の母親のことを思うと」 「そうだな、勝手なこと言って申し訳ない。その時のビデオを見せてくれ」 「はい、直ぐに用意します」 秋草はその場でビデオを見る。
「秋草事務次官、細川と申します。わたしが担当したのでわたしから説明します。 この方はピョンヤン近郊に住んでいました。政府の仕事に携わっていましたので経済 的に恵まれテレビがあり、家電もそこそこにありました。そして子供も2人いて文化的 に暮らしていました。 ところが8年前、夫の実家が大型台風に見舞われ山崩れで父親が死亡、助けようとし た母親が腰を痛め寝たっきりになりました。そのため一家そろって夫の実家の元山に引 っ越し農業を引き継ぎました。 前回北朝鮮側の聞き取り調査では死亡という発表でしたが、実はその元山までは調べ ないで死亡にしていました」 と言って細川は秋草を見た。 「うん、よく分かった」 聞きながら秋草はビデオの画面を見る。
「細川さん、その元山の生活は楽ではなさそうだな?」 「はい、政府の仕事を絶ち農民になったわけですから拉致被害者として何の恩恵も受け られません。テレビ、ラジオも無く生きるだけの生活です」
「うん、よく調べてくれた。ところで安藤次長、5キロの米袋の放出量は分かるか?」 「はい、1100袋を少し越えたところです」 「そうか、全部で3000袋持ってきた。残り1800袋以上ある。聞き取り調査も終 わったことだし明日から米袋をばらまこう。」 「それは面白そうですね。でもピョンヤンからクレームが入りませんか?」 「ああ、大丈夫だ。わたしは明日将軍様に会って今回の結果報告をしてくる。それと帰 国希望者の帰国もお願いしておく。そしてわれわれがここを引き上げる時、将軍様にお 礼を言って貢物を進呈するのでテレビ中継してくれとお願いする。最後に5キロの米袋 が少し残ったので、お世話になった村人たちに”将軍様の贈り物”として配りたいと言 う」
「うーん、筋道が通っています。その貢物とは?」 「将軍様はブランド品が好きだ。それと高級食材とワインだ。わたしは前に他の国で将 軍様と会っている。その時ブランド品で身をかためていた。本来こんなことはしたくな いが拉致被害者で帰国しない人の事を考えると将軍様の機嫌を取っておく必要がある」 「分かりました、明日から米袋をばらまきましょう」 「うん、お願いする」
そして帰国する日、秋草は貢物を持って将軍様の住む宮殿を訪れる。 秋草が考えていた通りことが運び、最後に初代のキム・イルソン国家主席の言葉を借り て将軍様を叱咤する、将軍様は神妙な顔で聞いていた。そしてカメラを睨みつけ軍部解 体の必要性を説いた。軍部解体兵士を解放して豊かな国作りを話す。 「住みよい国を目指すならいくらでも支援します」 と言って秋草は宮殿を出て空母鳳凰に乗り込んだ。
家族会の10名と拉致被害帰国者の39名は政府専用機に乗り切れず、全員が空母鳳 凰で帰国することになった。 帰国希望者が全体の3割と少ないのに帰国者39名と多いのは、向こうで結婚して子 供が出来、孫が出来、一族で帰国したいと強い希望が4家族あり、その一族全員が日本 帰国を希望しているのを聞き取り調査で確認できたためである。勿論、外務省の特別な 配慮があった。
とりあえず秋草を含めるピョンヤン出向隊員と家族会それと拉致被害帰国者は隔離さ れて伝染病のチェックを受ける。 「みなさん、わたしは医官の渡辺です。みなさんを48時間隔離します。その間発病し なければ開放します」 ピョンヤン出向隊員の約50名は図書館に閉じ込められた。そして家族会と拉致被害 帰国者の49名はサロンに閉じ込められる。
家族会は拉致問題の大任を果たすことができほっとした表情で和んでいたが、拉致被 害者は日本での期待半分、不安半分で複雑な表情でいた。 なにしろ日本語の通じない人が半分以上いた。日本人の熱し易く冷めやすい性格を秋 草は懸念していた。 しかし秋草でも日本に帰れば拉致被害者と関わりあうことは許されなかった。
思い悩んで秋草は家族会と帰国被害者のいるサロンに顔を出した。 「みなさん、拉致被害者家族連絡会のみなさん。解決できて本当によかった」 家族会の人たちは改めて秋草の手を握りる。 「ありがとう、秋草さんのお蔭で解決できた」 全員秋草を見て頭を下げる。 「みなさん、拉致解決は日本国民の願いでした。ですが日本は世界恐慌で疲弊しきって います、これからが大変です。家族会を解散しても”偲ぶ会”でも作り結束を強くして 政府にいろいろな支援要求を出しませんか?」 「わたしもそう思っていたんですよ、秋草さん」 ニャと笑い家族会の代表が言う。 「それはよかった。横須賀港につくまで4日、ささやかですが毎日パーティを開き嫌な ことは忘れましょう」
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