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作品名:日本の近未来 作者:佐藤 神

第18回   18

「秋草さん、わたし前から」
 机にうつ伏していた幸子の手が秋草の手を掴んだ。
「えッ、小早川君」
 幸子はふらっと立ち上がると秋草の背中に顔を埋める。
それ以来、2人は男女の情を深める。そして幸子は懐妊して結婚を迫った。
「そうか、じゃ、お台場で一緒に住もう」
 俊は微笑みながら快諾する。そして簡素な結婚式のはずが小早川家は親戚一同大挙し
て参列する。それに対して秋草家は親戚も無く防衛庁の役人が数人顔を出しただけだっ
た。
 披露宴も開かないはずだったが勝手に用意された。そして新婦の小早川幸子の生い立
ちが紹介された。司会者がきょろきょろ見回しながら言う。
「では、順番は逆になりましたが新郎の秋草俊さんの生い立ちは?」
 誰も紹介する者が見えず会場が騒がしくなる。そして俊が立ち上がった。
「わたしが自分で言いましょう。わたしは鎌倉の施設で育てられ、親の顔が分からない
んですよ....」
 長々と俊が身の上話を喋った。その話は新婦の小早川幸子も知らなかった。
そして幸子は寿退官してお台場のマンションで暮らす。しかし俊は相変わらず忙しく一
日おきに徹夜していた。
 2人がまともに顔を見て話すのは日曜日だけだった。それを承知で結婚したはずの幸
子も寂しさに耐え切れず、少し早いが出産のために実家に帰った。

 そして3ヵ月後、幸子が女の子を産んだことを俊は電話で聞いた。
次の日曜日に幸子の実家を訪ねた。居間に通されて待っていると幸子の両親が暗い顔で
現れた。そして幸子がお台場に帰りたくないので離婚してくれと話し出した。
「娘は慰謝料はいらないけど生活費と養育費で18万を毎月振り込んでくれと、それと
親権は認めると言っている。どうかな?」
 幸子の両親は俊を見詰る。
「うーん、幸子がそう言うなら」
 反対する理由もなく俊は頷いた。
「じゃ、ここに書いてある口座に今月の月末から振り込んでくれ。それとこれが離婚届
だ、あとはあんたの名前と印を押して役所に出してくれ」
 何となく事がスムーズに運びすぎて俊は一度首を傾げたが承諾した。

「最後に幸子に合わせてもらえないかな、離婚理由もはっきり聞きたい?」
 と、俊が言う。
「いや尤もだ、だが娘は会いたくないと言っている堪えてくれ」
 そして追い出されるように俊は幸子の実家を出た。
その後も俊は忙しく防衛参事官の仕事をこなしていた。幸子と分かれてからちょうど一
年後、別れた幸子から手紙が届いた。
 手紙を読んでみると中学時代のクラスメイトの男と結婚することになったと書いてあ
った。そして子供のために親権をあきらめてくれと、その代わり来月から振込みは不要
と書いてあった。

 そして俊も幸子に手紙を書く。
 ”全て了解した、娘にはわたしみたいな....”
 しかし俊にも確認したいことがあった。俊は幼少時代から一度見たもの、覚えたもの
は何年経とうと忘れたことが無かった。人の顔、漢字、方程式、そのため天才と言われ
た。それと人の考えが読めると言う特殊能力が、もし生まれついてのものなら俊の子ど
もにもそれが引き継がれるんじゃないかと思っていたが確認できなかった。

 その後、嫌なことを忘れるかのように俊は防衛参事官の仕事にのめり込む。
「あーあッ、昨日も徹夜で疲れたから今日は帰るか、しまった、運転手の奥田君を返さ
なければよかった。うーん、今なら最終電車には間に合いそうだ。雨は降っているが電
車で帰るか」
 俊は慌てて参事官室を飛び出し、階段を駆け下り傘を差した。
「あの、秋草さんでしょうか?」
 白髪の老婆が傘も刺さず佇んで俊を見詰ている。
一瞬、老人たちの官僚襲撃かと身構えるが辺りに仲間の老人たちの姿が見えなかった。
「はい、わたしは防衛参事官秋草俊です」
 大きな声で俊は名乗った。

「娘を、娘を助けてください。拉致されて半世紀になりますが誰も娘を助けてくれなか
った。連れ合いも亡くなり、今ではわたしも体が弱りいつまで持つか。秋草さん、国民
の生命を守るのは国の役目でしょ?」
 白髪の老婆は雨に濡れた道路に座り、両手をつけて土下座する。
「それでした外務省の役目ですから」
 優しく俊は言う。
「話しを聞いて同情はしてくれるけど、それ以上は....」
 と言うと白髪の老婆は咳き込んだ。

「防衛省のわたしに助けを求めるとは、どういうことかお分かりですか?」
 雨が降る中、沈黙が続いた。白髪に降り注ぐ雨が路上に滴り落ちる。
「ゴフォ、ゴフォ」
 胸を病んでいるのか老婆は土下座をしたまま、雨に濡れながら苦しそうに怪しい咳き
をする。

「分かりました」
 俊は刺していた傘を放り投げ、土下座している白髪の老婆の手を握った。その手は雨
に濡れたためか冷たかった。
「あーッ」
 その白髪の老婆の両肩を掴み俊は顔を覗く、老婆は目を薄っすら開け微笑みながら俊
を見た。
「わたしの一命を落とそうとも拉致問題を解決させます。一年待ってください」
 力強く大きな声で俊は言う。

 その翌日、防衛省全体会議で秋草俊参事官が昨日の出来事を話した。
「....と言うことがありました。みなさん、日本国民の生命と財産を守るプロジェ
クト・チームを立ち上げさせてもらいたい」
 俊は大会議室を見回した。
「秋草参事官、われわれは政治家ではない。軍人だ。身分を考えろ」
 防衛局長が驚愕の表情で言う。
「防衛局長、雨に打たれて老婆は政治家は拉致問題を選挙にだけ利用していると言って
ました。外務省は話しを聞くだけで解決させようとしていないと」
 怒りをぶちまけるように秋草参事官は言う。
「秋草参事官、おまえが思っているほど防衛省には力が無い。昔の三島由紀夫・事件を
繰り返すのか?」
 横に座っていた佐野参事官が言う。
「わたしは国民の生命を守りたい、われわれが守らなければ誰が守ると言うのだ?」
 秋草参事官はテーブルを強く叩いた。


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