「あの、会社に行かないといけないんで、われわれはこれで失礼してもいいかな?」 4人のサラリーマンが言う。 「そうですね、痴漢を認めていないので後で証言を求めるかもしれませんので、名刺か 何かもらえませんか?」 サラリーマンは迷惑そうに名刺を出した。 「ご協力ありがとうございました。事情聴衆して警察に渡します」 初老の駅員は敬礼した。そして俊を駅長室に連れて行く。
「駅長、痴漢です」 部屋で新聞を読んでいた男が顔を上げる。 「痴漢?」 「はい、この女性が被害者です。この大きな男が容疑者です。証人の名刺も貰ってあり ます」 「分かりました、後はわたしがやります。あなたは現場に戻ってください」 駅長は柔らかく言った。 「駅長、一人で大丈夫ですか。大きい男ですよ」 初老の駅員は心配そうに俊を見上げる。 「ワハハハッ、心配いらん。わたしは柔道2段だ。まあ2人とも椅子に腰掛けてくれ」
そして駅長は2人の顔を交互に見詰る。 「何よ、人の顔をじろじろ見て感じ悪いわねえ。わたしは犯人じゃないわよ」 茶髪の高校生が駅長を睨んだ。 「いや、悪い悪い」 と言って駅長は目を逸らす。そして俊を見詰る。 「君の名前と住所、職業を教えてくれ」 「はい、秋草俊。東京のお台場に住んでいます。学生です」 そして俊はゆっくりとカバンから学生手帳を取り出し、駅長に渡した。
「ふーん、東大生か。学生の身分でお台場に住んでいるのか?」 「はい、親父の遺産で暮らしています」 <<ギー>> その時、駅長室のドアが開いて、二人の厳つい大男が入って来た。 「公安です、われわれは公安のものです」 と言って大袈裟に身分証明書を翳した。 「この秋草俊さんはわれわれが護衛している男です。この女性が”痴漢”と悲鳴を上げ た時、この秋草俊さんは両手で吊革の上の鉄棒に掴まっていました。わたしが証人にな る」 公安の背の高い男が大きな声で言う。茶髪の高校生がそわそわしだした。 「あの、わたし、もういいわ。帰りたい」
「いや、お嬢さん。そうは行かない。あなたの学生手帳を見せてください」 目つきの鋭い公安の男が手を差し出す。茶髪の高校生は躊躇していたが震えながら学 生手帳を出した。学生手帳を見ながら目つきの鋭い男は携帯電話をかける。 「お嬢さん、申し訳ないがあなたのことを調べさせてもらう。直ぐに返事が来るでしょ う。それで問題なければお帰りください」 茶髪の高校生の顔から血の気が引く。そして直ぐに返事が帰ってきた。 「山田優香さん、前に2回痴漢にあっていますね。それで示談金10万円と15万円を もらっていますね」 目つきの鋭い男は茶髪の高校生を睨んで言う。 「だって本当に痴漢にあったんだもの。いいじゃない」 「あなたの通う高校に薬物が出回っていると言う話があるので、カバンの中を調べても いいかな?」
茶髪の高校生は泣きながらカバンを抱きかかえる。 「うん、警察に行こうか。巧妙で卑劣極まりない虚偽申告と薬物携帯の現行犯だな。 秋草さん、どうぞ学校に行ってください」 目つきの鋭い男が言う。 「はい、危ないところを助けていただきありがとうございました」 俊は頭を下げてから駅長室を出た。 「ふーん、麻薬が流行しているのか。万引き、殺人、虚偽申告。日本も末期症状だな」
その3ヵ月後、父親の保険金、賠償金、退職金と鎌倉の実家の売却金が入り、5億円 近い金になった。しかし、手数料や税金を引くと3億円になり俊は使うことなくそのま ま銀行に預けていた。 俊の一番の出費は家賃の17万円である。そして通学の定期代と食事代が4万円と質 素な生活であった。 俊の一日は、早朝のお台場のジョギングから始まる。散歩して好物のバナナとヨーグ ルトを食べ、学校へ行く。昼食は学校の食堂が安いので2人前近く食べ夜は軽く立ち食 いそばを食べていた。
学校では早くもその非凡なる天才ぶりが発揮され、学生たちから煙たがれた。 それでも空気の読めない学生から居酒屋に誘われ、割り勘で月に1,2回呑みいく。 また学校以外では崔中国大使から”おもしろいパーティがあるから顔を出しなさい” と誘いの電話が年に何回かあった。
そのおもしろいパーティに、アメリカ、ロシア、フランスの大物政治家、財界人など が顔を出していた。崔大使はこまめにそれらの大物に俊を紹介した。 その大物の中でも俊と1時間も話し続けた人物がいた。アメリカ太平洋艦隊所属・第 7艦隊のジョン・ミラー・バード海軍中将司令官である。 俊は朝鮮戦争に関わりのあった国の戦略的問題と俊の考えを素直に話した。ジョン司 令官は一つ一つ丁寧に俊に説明してくれた。そしてベトナム戦争、沖縄返還、イラク戦 争、拉致返還、イスラムとの戦いを俊の考えを交えて質問する。それもジョン司令官は にこやかに答えてくれた。
話が過熱して1時間が過ぎた時、崔大使がにこやかに笑いながら止めに入る。 ジョン司令官も笑ってはいたが、俊の論理的思考の質の高さに内心脅威を覚えている。 そのためジョン司令官は日本に来ると米軍基地でイベントを開き必ず俊を招待した。
専門的分野も何不住することなく話す語学力と、相手の考えも瞬時に理解する俊の能 力の高さに全ての人が舌を巻いていた。そのため中国やアメリカは俊を通訳として公の 場でも使い出す。 外交だけでなく俊は司法試験や上級・国家二種にも興味を示し見事一回で合格する。
そして俊は東大を首席で卒業して防衛省に入る。 「何でお父さんと同じ外務省に入らなかったの?」 シャワーを浴び、髪をタオルで拭きながら文子が言う。文子は時々ふらっとやって来 て泊まっていた。 「よく分からない、自分でも分からないんだ。防衛省をなぜ選んだのか」 「そう、外務省の大内アジア大洋州局長を覚えている?」 文子はベージュのキャミソールに身を包み姿を現した。 「うん、文子の上司だろう?」 「そうよ、でも3月で定年になり退官するの。わたしは大内の秘書官だったから別の部 署に移動になるの」 寂しそうに近衛文子が言う。
「移動?」 「ええッ、福岡の外務省の外部団体に3年間出向だって」 「人減らしか?」 「よく分からないけど、大内アジア大洋州局長といがみ合っている組織の陰謀かな。わ たしが邪魔なのよ」
「そんなとこ辞めて、ここで暮らさないか?」 俊はプロポーズのつもりだった。 「うーん、考えとくわ」 文子にとって悪い話ではなかった。しかし俊との年の差を気にしている、10才近い 年の差が文子には重かった。 結局、文子はその日を最後に俊の前に姿を現すことは無かった。
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