「ねえ、佐々木さん。俊君が鎌倉の家を処分したがっているんだけど?」 「えッ、あの大きな洋館ですか?」 びっくりした顔で佐々木が言う。 「知っているんですか、鎌倉の家を?」 「はい、一度伺ったことがあるんですよ。古風な洋館で」 懐かしそうに佐々木は言う。 「でも、一度手ばなすと二度と購入できませんよ。このままお持ちになったほうが」 「いや、あの家には思い出が詰まり過ぎている。あの家に住むことは耐え切れない」 辛そうに俊が言う。
「それで家の中の物も処分してくれと」 と言って文子は佐々木の顔を見た。 「あの家には高価な骨董品が大分有ったなあ」 言いながら佐々木は首を捻った。 「ええッ、10年前北京に引っ越す時、父は大切そうに掛け軸や坪、絵画を梱包して押 入れに仕舞っていました」 額に手を当て俊は興味のない記憶を辿った。
「骨董品は処分しちゃ駄目だ、生活に困っているなら別だが俺は反対だ」 佐々木は怒った顔で語尾を強め、俊を見詰る。 「ですが、わたしは骨董品に興味がなく鎌倉の洋館の押入れから取り出してここに運ん でも、ここの押入れに仕舞うだけだから、せっかくの芸術品が勿体無い」 「何を言っているんだ。秋草さんが地元の施設から幼子を引き取り、こんな立派な男に 育てられた。その恩義を感じないのか?」 佐々木は忌々しく思っているのか俊を睨みつける。
「教えてくれ、わたしが恩義を感じたら鎌倉の洋館に住み、仏壇に花を添え東京の大学 に通うことなんですか?」 俊は佐々木の両肩を掴み揺すった。 「それは....」 佐々木は言葉が詰まり目を逸らす。 「佐々木さんは大使の思い出が詰まった鎌倉の洋館や骨董品を処分するのに反対してい るのよ。でも洋館は建物が傷むし、ゴミ捨て場になる可能性があるわ。それにホームレ スが住みついて火を出さないとも限らないし処分するしかないと思う。骨董品は形見と してここで保管するのがいいわね」 文子は事務的に言う。
「いや分かりました、わたしは北京で育ったせいか合理的に物事を考えるようになっ た。落ち着いて考えてみれば尤もな話だ。運送屋に頼んで骨董品や形見をここに運びま しょう。 佐々木さん、洋館を処分してもらえますか?」
「いや、取り乱して申し訳ない。地元の不動産屋と繋ぎを取ってみますよ。 でも不動産屋が二つはいるので、宅建法で決められた仲介料限度金額一杯になりますけ どいいですね?」 佐々木の顔は人懐っこい顔に変わっている。 「はい、お願いいます」 俊は頭をペコリと下げた。
その翌日。 俊は朝から鎌倉の家の荷物をまとめていた。押入れに長い間仕舞ってあった骨董品の 包みの埃を吹きながら玄関口に並べる。押入れが空になる頃には玄関口には結構な量が 溜まった。 そして母親の桐の箪笥と妹のベビーダンスと父親の本榧7寸9分柾目碁盤を形見とし て玄関口に運んだ。 <後は午後から来る運送屋さんを待つだけか、時間があるから海でも見てくるか。 いや、泥棒に入られるとまずい。書斎で本でも読むか> 俊は書斎で子どものころ読んだ江戸川乱歩の”怪人ニ十面相”を手にした。 「あの頃はもう戻ってこない」 と呟いて俊は涙ぐみその本を読み出した。そして半分ぐらい読み終わった時、玄関の チャイムが鳴った。
「引越し屋でーす」 本を元に返して俊は玄関に急ぐ。 「あッ、どうも、この玄関の荷物を運んでください」 大柄で筋肉質の2人の男が頷いた。 そして荷物をトラックに積んで洋館のカギを閉め、俊もトラックに便乗してお台場に戻 る。その途中、新橋によってもらいニュー新橋ビルの不動産屋佐々木に洋館のカギを預 ける。
そして俊は一人で引越しの荷物を解く。必要なものだけ荷物を解き一休みしていた。 秋も深まり日の落ちるのが早かった。東京タワーの明かりがはっきりと見える。 <<ピーポン、ピーポン>> 「あれ、誰だか知らないが部屋を間違えているな?」 呟きながら俊はドアーを空ける。 「こんばんは」 近衛文子がニッコリ笑って立っていた。 「あれ、文子さん。どうしたんですか?」 「ええッ、ちょっと様子を見に来たの。入ってもいいかしら?」 「はい、どうぞ。クローゼットも自由に使ってください。どうせがらがらだから」 文子はハーフコートを脱ぎクローゼットのある部屋に入る。 「だって、昨日あんな話を聞いたらほっとけないわ。18階だし」 クローゼットのある部屋から文子が言う。
昨日、文子は俊が落ち込んでいたので誘導尋問するように俊から成田空港の出来ごと を聞き出していた。 「えッ、おれが、ここから飛び降り自殺をするとでも?」 驚愕の表情で俊が言う。 「万一のためよ、わたしはクローゼットの部屋で寝るわ」 と言うと文子は持ってきたビニール袋から食材を取り出し冷蔵庫にしまう。
「あッ、割り箸、皿、茶碗、鍋鎌はあったけど包丁が無かったな」 俊は買いに行こうかどうするか迷った。 「いいわ、果物ナイフがあるからどうにかなるわ」 そして俊は文子の手料理を食べる。暫くして俊はジャージに着替えて備え付けのベッ トに横になる。文子はクローゼットの部屋で寝る。文子は直ぐに眠りについた。しかし 夜中、隣りの部屋で音がするので目が覚める。戸を少し開け覗いてみると俊は外ガラス を開けバルコニーから下を覗いていた。 文子は慌てて、バルコニーに飛び出し俊の腕を捕まえる。その時の俊の顔は死神に取 り付かれたみたいな異常な顔で文子は足が竦んだ。 だが文子は夢中で俊に抱きつき部屋の中に押し返す。そして外ガラスのカギをロック する。俊は何も喋らず、鬱病の患者みたいに落ち込んでいた。文子は毛布を持ってきて 俊をベットに寝かしつけて毛布を掛け、文子もその横に潜り込み眠りについた。
|
|