父親が中国北京大使に任命されて、息子の秋草俊は家族と共に北京に渡る。それから 長い歳月が過ぎた。 俊は小さい時から天才型で父親の孝一は日本語学校ではなく北京市第八中学の天才少 年班に俊を入学させた。日本人ということでクラスメイトからだいぶ虐めも受けた。し かし北京語を数週間で理解すると俊の成績はその天才少年班でもずば抜けていた。
中国は天安門事件から20年近くが経つがWTO加盟後、貿易、投資が飛躍的な発展 を遂げ、外貨保有高は日本を抜いて世界一になり、今では宇宙ロケットを打ち上げ、世 界一の膨大な市場を有する。また軍事費も調査機関によって違いはあるが日本の2倍は 優にありそうである。 学力にしても日本の東大は既に北京大学、精華大学に抜かれている。そんな中国がオ リンピックを開催する。 秋草俊にとって北京オリンピックは忘れることの出来ない年であった。
「俊、今日は日本から副田総理大臣がお見えになる。わたしは総理を接待する。ほかの 職員も接待で日本大使館が空になる。残っているのは新任の佐山三等書記官だけだ。通 訳も出払っているので留守は俊が面倒を見てくれ。緊急の場合はわたしの携帯電話に連 絡をしてくれ」 と言って大使の孝一は息子の俊の顔を見た。 「大丈夫ですよ、と言っても雑用しか出来ないけど」 「いや、俊は広東語も分かるし、北京市内の道も知っている。それに人の扱いもうまい し本当に頼りになる。公用車が空いているから何かあれば車を使え」 「分かりました、総理はここに顔を出すのですか?」 「いや、外国の要人と同じように北京飯店にお泊りになる。今回はここへは来ない。日 本からの連絡も北京飯店に回してある」 「そうですか」 日本大使秋草孝一はカバンを脇に抱えて小走りで部屋を出て行く。 そして俊は日本大使館の建物の外を見回った。昔、日本の歴史教科書問題で大規模な反 日デモが行われデモ参加者に投石で大使館の窓ガラスが割られ、外壁の一部が焦げたこ とがあった。あの時、暴徒の脅迫に俊は怯えていた。それから俊は用心深くなる。
日本大使館の庭を一通り見回ると俊は大使館の職員室に顔を出した。 「佐山さん、お留守番ご苦労さまです」 俊は一人でしょんぼりしている若い佐山を見てにこっと微笑んだ。 「ああ、俊さん。緊張しますね。何しろ留守番なんて初めてなもので」 俊はガランとした部屋を見回した。 「うーん、わたしの携帯電話番号が黒板に書かれていますね。佐山さん、北京語、広東 語、英語なら通訳が出来ますからわたしを使ってください」 人懐っこい顔で俊が言う。 「使うだなんてとんでもない。でもわたし、本当は英語も危ないんですよ。親戚の口利 きで入ったもので、よろしくお願いします」 額に脂汗を浮かべて太目の佐山が言う。
「わたしは子どものころからこの日本大使館で育ったもので中国語が分かるんですよ」 遜ったように駿が言う。 「でも北京大学首席と大使から聞いていますよ。たいしたものだ」 「いや、たまたまですよ」 <<リリリー、リリリー、リリリー>> その時、机の上の電話のベルがけたたましく鳴り佐山がピックと肩を動かす。そして 受話機を手にする。 「はい、日本大使館です」 <<....>> 「はい、そうですか。予約無しで」 <<....>> 「すいません、わたし政治の派閥のことはよく分からないので、少々お待ちください」 と言って佐山は電話口を塞いで俊を見た。 「俊さん、日本の都議会議員が視察で北京オリンピックを見に来ているんですけど、美 味いものを食べたいのでどこか店を紹介してくれと言っているんですけど、この時期、 予約を入れてないと無理でしょうね?」 「そうですか、お役人か。人数を聞いてもらえますか?」 「あの、何人ですか?」 <<....>> 「俊さん、5人だそうです」 「それなら一台の車でいけるな。佐山さん。どこに迎いにいけばいいのか聞いてもらえ ますか?」 「分かりました」 <<....>> そして佐山は溜息をつきながら電話を置いた。額の汗を拭きながらホテルの名前を書 いたメモを差し出した。 「俊さん、ここなんですけど」 「ああ、分かりますよ。紫禁城の近くだ。三階建てのデイズインフォビドゥンシティホ テル。何度も前を通っています。じゃ佐山さん行ってきます。後は携帯電話で」
俊はいきよいよく部屋を飛び出して公用車に乗った。そして夜の北京を走らす。 北京市内の乗り入れが規制されているため道は空いている。俊は軽快に飛ばす。 公用車のため警官に止められることなく目的地を目指し急いだ。目的地に着くと俊は あたりを見回す。すると黒い背広を着た5人の男が暇そうに通行人を眺めていた、その 胸には議員バッチが輝いている。
「日本の都議会議員の方、迎えに来ました。お乗りください」 俊は少し様子を見ていたが、車の窓を開けて大きな声で怒鳴った。 5人の議員は嬉しそうに笑って車に乗り込む。 「いや、ありがたい。さすが日本大使館だ。助かったよ」 顎髭をはやした大柄な男が言った。 「ああ、北京オリンピックのせいか気の利いた店は満席で断れるし、参ったよ」 白髪交じりで上品そうな初老の男が愚痴る。
「ええ、北京市外の通県まで行きましょう。何をお食べになりますか?」 運転しながら俊は聞いた。 「せっかく中国にきたんだ、高級フルコースを頼むよ。フフフーッ」 顎髭をはやした大柄な男が目を細め笑う。 「分かりました、四川料理みたいな辛い味は駄目だとかご要望はありますか?」 「うん、余り辛いのは駄目だな。普通のにしてくれ」 「はい、分かりました」 車は暫く北京近郊を北京首都国際空港に向かい飛ばした。道幅は8車線と広くテレビ 塔や超高層ビルが夜間照明で浮かび上がりどこまでも続く。 「どうです、北京の夜景は?」 少し得意そうに俊が言う。 「うーん、車線も広いし街並みが途切れない、それにゴミも無く綺麗だ。まさか文化水 準がこれほど高いとは思わなかった」 「そうですな、外貨準備高は日本を抜いて中国が一番、頷けますな」 日本の5人の客は驚愕の表情で車の窓から高層ビルが並ぶ夜景を見詰ていた。 暫く飛ばすと車は高速道路から降りて通県街を走り、通県飯店の駐車場にゆっくり停ま った。
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