浩太郎は猫から怒られるとは、思っていなかった。一瞬、ビックと肩を振るわせ餌を 置き、後ずさった。猫は用心深く浩太郎を見つめながら、鼻をヒクヒクさせて餌に喰ら いつく。 <ニャー、これはうまいニャー、久しぶりに上等なソーセージだニャー> 黒猫は唸り声を上げて、夢中で貪っている。 <カァー、おれにも餌をよこせ。腹ペコだー、カラスにも餌を平等によこせ。差別する なバカ人間。カァー> 浩太郎はその場から、逃げるように土手下に下りた。そして、堤防に腰を下ろし集音 マイクを土手に向けていた。ボリュームのつまみを回し音量を大きくする。 <カァー、野良猫がいるからわれわれに餌が回ってこない、ここから出て行け、このど ろぼう猫。カァー> と、奇声を上げながら、カラスは急降下して羽を広げバタバタさせ猫を威嚇する。 <ニャー、うるさいぞ、死肉あさりのカラスのぶんざいで、ニヤー> 猫は低くかまえて、唸り声を上げ三白眼で爪を立ててカラスに応戦する。
カラスと猫がにらみ合っている時、猫おばさんがやって来た。 白い上下のジャージに身を包み、上品な顔をチュウリップ帽子で隠し、手には小さな袋 を持っていた。 「猫ちゃん、ごはんですよ。カラスと遊んでないで、ごはんをたべなさい」 <ニャーォ> 黒猫が急におとなしくなり、可愛い声で鳴いた、しっぽを立てて可愛らしさを現わし ている。そして、草むらから猫がぞろぞろ出て来る。総勢、四匹と子猫が一匹。 猫おばさんはしゃがみ込み、手に持っていた子袋から何かを取り出して小さな器に入 れた。そして猫の数を確認しながら微笑む。 「さあ、お食べ」 猫おばさんの合図を待っていたかのように、いっせいに猫が食べ始めた。 <ニャー、おばさん、いつもありがとう、ニャー> <ニャー、雨がふらなくてよかったよ。ニャー> <ニャー、ほんとうだ、雨がふったらきてくれないもんな、ニャー> <ニャー、ああ、三日も降り続けたら、おれたち死じゃうぜ、ニャー>
その時、猫たちの背後に黒い陰が近づいていた。 「シー、シー、カラスのごはんじゃないから、あっちにおいき。シー」 猫おばさんが必死で、近づいてくるカラスを追っ払っていた。カラスが三羽、地面を 不気味に飛び跳ねる。頭上には七羽のカラスが様子をうかがっていた。 <カァー、おれたちにもくれよ。はらがへって死にそうだよ。カァー> <カァー、人間は何でカラスを嫌うんだ。猫の縫いぐるみを被ったら餌をくれるのか。 カァー> 「シー、あっちにおいき。シー」 猫おばさんが足で蹴るふりをしていた。
<ガァー、ひくな。ガァー> 上空の大きなカラスがドスのきいた声で鳴いた。 <ガァー、今日のコンビニの残飯弁当はホームレスに持っていかれた。食うものが何も 無い。ガァー> と、その時。 「おかみさん、おかみさんじゃないですか」 猫おばさんが振り返ると、半纏を着た大柄な男が立っていた。 「あ、源さん。どうしたんだい、こんな朝早く」 「ええ、今度の日曜日、海釣りに行くもんで、ちょっと船を見に。おかみさんは?」 「散歩だよ、そのついでに少し餌を」 猫おばさんは、面映いのか俯きながら言う。 「そうですかい。おかみさん、このカラスの群れは何なんですか?」 源は上空のカラスを見つめた。 「うん、わたしが与える、猫の餌を狙っているんだよ」 「なに、ふてえやつらだ。あっしが追っ払いましょ」
「やめておくれ、源さん。カラスも、カラスも生きるために....。 源さん、一年前のカラスと猫の戦いを覚えているかい。カラスが子猫を....」 猫おばさんが遠くを見て淋しそうな顔で言った。 「へー、子供たちがびっくりして、パトカーを呼んだ話でしょ」 「ああ、この時期になるとカラスの雛がピー、ピー鳴くんだよ。カラスの親も餌が無い と生きてはいけない」 「じゃ、今年も餌を争って、カラスと猫の大喧嘩ですか?」 「どっちかが、この場所を譲ればいいんだけどね。無理だろうね」 猫おばさんが小さく首を振った。 「源さん、紹介するね。黒白の猫が親猫だよ、その子供が鼻白の黒猫の太郎。その弟 が、黒猫の次郎。次郎の子供の小次郎。それと、居候の三毛猫のタマちゃんだよ。分か ったかい?」 「えッ、いやあ」 めんどくさそうに源は頭をかいた。
「ほら、子猫の小次郎が可愛いだろう」 <ニィー> 猫あばさんが子猫の頭を軽く撫ぜると、子猫が頭を猫おばさんの掌にこすり付けた。 「ああ、いい子だ」 猫あばさんは嬉しそうに目を細めた。 そして、猫たちは餌を食べ終えて満足そうに草むらへ消える。カラスたちもあてのな い餌場に向かって飛んでいった。浩太郎はイヤフォンを外し、カバンに仕舞い神妙な顔 付きで散歩を続ける。
浩太郎は家に帰ってから、カラスと猫の戦いを止める方法を考えた。 「犬笛の高周音波で愛犬に合図を伝えられるなら、カラスと猫の嫌いな高周音波を見つ けて、喧嘩の邪魔をしてやるか」 だが浩太郎は一時しのぎで、根本解決ではないと不満顔である。 「嫌いな音か。人間なら、真夏のセミの大合唱、金属でガラスを擦った音、ボリュウー ムを上げれば参るだろう」 浩太郎は徐に携帯電話を手にした。 「もし、もし、石黒浩太郎だ。おまえは北の丸公園の千鳥が淵にまだいるのか?」 <石黒、おまえは相変わらず失礼な奴だな。確かに俺は科学技術に在籍している。何か 企んでいるのか?> 「高周音波発生装置を貸してもらいたい」 <なに、高周音波。何に使うのだ?> 「これから事情を話す。よく聞いてくれ」 <ああ、話してみろ> 「....。と、言うわけだ。貸してくれないか?」 <うん、交換条件にその変換機を俺にも見せてくれ> 「駄目だ、おれのものじゃない。おまえは関わらない方がいいだろう。そのかわり、一 度だけ、変換機でカラスと猫の声を聞かせてやるよ」 <そうか、持ち出しは厳しいが、いいだろう。明日の夜、取りに来い> 「携帯用で、精度のいいのを頼むぜ....」
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