海岸通りを暫く歩くと運転免許試験場が見えてきた。浩太郎は独り言のように呟く。 「三枝子はヘッドハンターだったのか、俺に仕掛けてくるとは」 浩太郎はニャーと苦笑いする。 服を着て部屋を出る時、三枝子が素直に話し出した。三枝子はサイドビジネスで、 技術者を他の業者に斡旋していた。一人紹介するとスキルにもよるが、100万から2 00万の報酬が手に入る。今までに20人以上斡旋したと三枝子は自慢する。 車はBMWを乗り回し、ブランド品で身を包み、高層マンションに住んでいる。と、 三枝子が自慢げに囁いた。 その話を聞いているうちに、身勝手な三枝子を浩太郎は許す気にはならなかった。 『明日、三枝子と仕事場で顔を合わせても他人の振りをするんだろうな。女は魔物だ』 浩太郎は足を速めた。
鮫洲橋のたもとで、浩太郎はカバンの小型機器を確認する。 『うん、野鳥公園の鳥に反応しなかったな。一体何に反応するのかな?』 <ワン、ワンー> 土手を見ると、高校生ぐらいの可愛い娘が大型犬ゴールデン・レトリバーに引きずら れ散歩をしている。 『犬かもしれない』 浩太郎は慌てて、カバンから集音マイクの先端をだして、イヤフォンを耳に付けた。 だんだん犬との距離が近づいて来る、浩太郎は全神経を耳に集中する。 <ウーウッ、ワンー> 犬の鳴き声がそのまま、イヤフォンから伝わってきた。浩太郎は小さく首を振る。 「シロー、吠えるんじゃない」 娘は申し訳なさそうな顔をして、犬の首輪のロープを引っぱる。 浩太郎はそのまま素通りをして土手づたいに歩く。 『うん、犬でもない』 重く立ちこめた雨雲を見ながら、考え深げに歩いて行く。 土手の中ほどに顔見知りの野良猫がいた。餌をあげているときは猫の方からすり寄って くるのだが、今年になってから餌をあげてないので、一瞥して目の前を素通りした。
その時、浩太郎の顔色が変わった。 <カーァ、カーァ、警戒。あやしい人間。カーァ> 流暢ではないが日本語の合成音がイヤフォンから流れてくる。 『やった。カラスの言語変換機だったんだ』 浩太郎は頭上のカラスを見上げる。 「カラス、もっと鳴け」 大声で浩太郎が怒鳴った。 <カァー、カァー、注意、おかしな人間が騒いでる。カァー、カァー> 「聞こえるぞ! はっきり聞こえる。カラスくん、ありがとう」 笑みを浮かべて浩太郎が叫んだ。
<ニャー、うるさい。ニャー> 「猫だ、猫の声もわかるぞ。すごいな!」 浩太郎は嬉しくて興奮する。そして猫に手を振る。 <ニャー、餌もってこい。腹、ペコペコニャー> 顔見知りの黒い猫が、浩太郎を睨みつけた。 浩太郎はポケットに手を突っこみ捜すふりをする。黒猫は何かもらえるものと思って、足を止めて、浩太郎を見詰たままである。浩太郎は何もないと両手を広げる。 <ニャー、期待させるな。バカ人間。ニャー> <カァー、餌ならおれにもくれ、猫ばかり、可愛がるな、カラスに餌よこせ、カァー> 浩太郎はその場を、夢見心地で退散した。
浩太郎は家に帰り、小型機器を机の上に置き凝視する。 『誰が何のために作ったのかな? 不思議な変換機だ。とりあえず、明日から、カラス と猫の盗聴でもやるか』 ニヤニヤしながら変換機をカバンの中にしまった。そして、立ち上がり、冷蔵庫の中 を覗いた。 『よし、野良猫の餌はこのソーセージを少しきってやるか』 梅雨でじめじめしていたが、浩太郎は早めにベットに入る。
翌日、どんよりとした曇り空であった。 『カラスと猫の会話を聞きに行ってみるか』 浩太郎はリンゴをかじりながら家を出る。東芝病院の敷地内を通り立会川に出た。 何年か前、ボラが大発生して騒ぎになったが、いまでは旧き良き時代の語り草になろう としている。 京急立会川の駅前の坂本竜馬像を見ながら、天祖諏訪神社の参道を抜けて勝島運河に 出る。浩太郎はそこからの眺めが、気に入っていた。約一キロメートル先の鮫洲橋手前 まで、視界を遮るものがなく、運河、桟橋につながれた船、土手に咲き乱れた草花。 運河の奥に立ちはだかる超高層ビル群が見える。しかし、左手の首都高速1号線が邪魔 だった。
朝の五時前だというのに、老人たちが散歩をしている。ここの老人たちは何を食べて いるのか実に元気だ。他にやることはないのか、同じ時間で同じ顔ぶれに会う。 運河をはさんで反対側の土手に、花おばさんがいる。小柄だが一番の元気者だ。健気 にボランティアで花の面倒を見ている。家の花の子株を何十種類と自転車に乗せ、花街 道の土手に植えている。泥だらけになり日焼けした顔で笑うと白い歯がこぼれ、その姿 に頭が下がる思いである。
浩太郎は土手づたいに、鮫洲橋を目ざして足を運ぶ。 <カーァ、カーァ、警戒しろ。人間が来たぞ。カーァ> 浩太郎は前方の桜の木の上で鳴いている、カラスを見詰た。 『昨日のカラスかな、だとすると見張り番か』 浩太郎は無視して、三つ目の桟橋を通過した。運河には十に満たない桟橋がある。そ れぞれの桟橋に七、八艘の船が繋がれている。 暫く行くと、野良猫のアジトの繁みが見えて来た。浩太郎は黒猫を探がした。
<ニャー、餌は持ってきたか、ニャー> 突然、横の草むらから、黒猫が待っていたかのように顔を出した。浩太郎は小さく頷 いて、カバンからビニールに包まれたソーセージを取り出し黒猫の前に出した。 「ほら、たべろ。美味しいぞ」 そして、ソーセージを摘んでいる手を小さく上下に振った。 <ニャー、おまえは最低のやろうだな。ほどこしのつもりか、早く餌を地面に置いて離 れろ。ニャー>
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