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作品名:鮫洲橋の戦争 作者:佐藤 神

第2回   2

「石黒さんこそ、ここで、何をしているのですか?」
 三枝子は優しく微笑んで言った。
「はい、家が近いもので、よく来るんですよ」
「えッ、お一人で?」
「そうですよ、三条さんは?」
 と、浩太郎は周りを見渡した。
「いいえ、野鳥観察に興味がある人なんて、私の知り合いにはいないわ」
 三枝子は可愛らしくクッスと笑って、浩太郎の隣に腰を降ろした。狭い観察小屋では
あるが、十人は余裕で坐れるスペースだ。だが三枝子は身体を密着させる。
熱い三枝子の息遣いが浩太郎に伝わってくる。
「あ、ごめんなさい、ずうずうしく隣に座って、よろしいかしら」
 顔を浩太郎の方に向けて、三枝子が囁いた。美人の三枝子に言われて嫌がる男はいな
い、それを承知で三枝子が言う。

「も、もちろんですよ。私は観察が終わったので、これで失礼します」
 浩太郎が立とうとすると。三枝子の手が浩太郎の太股に置かれた。
「ええ、帰るの? せっかくご一緒できたのに、野鳥のこと教えてください。だって、
野鳥の話をできるなんて、素晴らしいわ」
 と、言って浩太郎の太股に置かれた三枝子の指に力が加えられた。危うく浩太郎は声
を漏らしそうになった。
「そうですか、私でよければお相手しますよ。三条さん」
「ほんと、うれしいわ。三枝子と呼んで」
 ハスキーな声で浩太郎の耳もとで囁き、太股に置かれた手を怪しく動かした。

<ピッピッピー、ピヤー>
「ねえ、あの甲高い鳴き声の名前は?」
 三枝子は備え付けの望遠鏡を覗きながら言う。浩太郎は鳥に興味がなく名前など分か
るはずがなかった。
「うん、シヨドリだ」
 浩太郎は知っている鳥の名前を適当に口にした。
「そう、あれがシヨドリなの」
 感心したように三枝子は小さく頷く。浩太郎は少し安堵する。
『この女、野鳥のことは何にも知らないんじゃないか』
 と、浩太郎は思った。その瞬間、浩太郎の脳裏に罠の言葉が浮かんだ。
「ねえねえ、あの頭の大きい鳥は?」
 綺麗な鳥を見つけ楽しそうに三枝子が言う。
<チーッ、チチチ>
「嘴がするどく長く、背が青く宝石みたいなカワセミだ。珍しいな」

「あれがカワセミなの、よく知っているわね」
「まあね、この近くに住んでいるから」
 三枝子は興味深そうに望遠鏡を覗いていたが、飽きたのか望遠鏡を動かし沼の葦に舞
う蝶々を見ている。

『やっぱり、この女、野鳥観察には興味ないな。焼き鳥を食う女か』
 浩太郎は心の中で呟いて三枝子が接触してきた理由を考えていた。時々、浩太郎の太
股の上に置かれた三枝子の手の指が甚振るように動く。
「石黒さんを無理やり引き止めるのも悪いわ、そろそろ帰りましょうか?」
 口元に笑みを浮かべて、三枝子が囁く。
「そうだね」
「私、車で来ているの、付き合ってもらったお礼にお送りします」
 二人は観察小屋を後にした。三枝子は浩太郎の手を握り指をからませた。

「三枝子って、悪い女?」
 浩太郎の耳元で、吐息を吐くように囁く。
「いや、魅力的な女性だ」
 その時、正面から家族連れが現れた。
三枝子はからませた浩太郎の指を自分の胸に当てる。
 そして、家族連れとすれちがった。
「やね、子供の前でべたべたして、常識がないわね」
 家族連れの若い母親が二人に聞こえるように言う。
「ふん、嫉妬しているのかしら。ねえ?」
 三枝子は浩太郎を見て小悪魔的に微笑む、だが浩太郎の背筋には悪寒が走った。
『挑発して何が面白いんだ。無駄な争いごとは避けるべきだ』
 と、思いながら浩太郎は不満そうに三枝子の横顔を見る。三枝子は幸せそうな家族を
見ると波風を立ててやりたくなる性格であった。

 二人は駐車場の中を進み、三枝子は赤いBMW・M6クーペの前で足を止める。
「えッ、これが三枝子の車か、外車じゃないか」
 浩太郎は驚愕の表情で、赤いBMWを見つめる。
「さあ、行きましょう」
 促されるように浩太郎は車に乗りこんだ。車の中は彼女の香水なのか甘ったるい香り
で噎せ返りそうになる。シートベルトを装着すると車が静にスタートする。女優ばりの
美貌で、三枝子は自慢の亜麻色の髪を掻き揚げた。
「ちょっと、時間あるかしら?」
「えッ?」
「車で行きたいとこあるの、付き合ってね」
 車は環七から海岸通りを走り続けた。浩太郎は三枝子の正体を考えていた。
『もしかして、組事務所に行くんじゃないだろうな。やな予感がする』
 昔、浩太郎は女に騙されて、ヤクザに小額の全財産を盗られたトラウマがあった。三
枝子も急に無口になる。

 土地勘のある浩太郎は、窓からどこを走っているのか確認していた。
「大丈夫よ、そんなに警戒しなくても」
 車の中はジャズが流れている。浩太郎はチラチラと美しい三枝子の横顔を見ていた。
「もうすぐよ」
 三枝子は微笑んで白い歯を見せた。そして、目的地が近いのかアクセルを踏み込む。
車が加速され、浩太郎は座席シートに身体を押し付けられた。右手に見覚えのない建物
が何件か見えた。
「ここよ」
 車は減速して、右手に曲った。
「うん、ここは?」
「ええッ、ちょっと休憩しましょう。石黒さんもこういうところ初めてじゃないでしょ
う。ここまで来て三枝子に恥を掻かせないでね」
 車が止まり、二人は降りた。三枝子は駐車場からフロントに向かう。仕方なく浩太郎
もその後に続いた。フロントからルーム・キーを受け取り、二人は011室に消えた。

 二時間後、三枝子と浩太郎は愛車の赤いクーペに乗ってモーテルを出た。
「何だか疲れたわ」
 運転をしている三枝子の声が擦れていた。
「あ、あそこの、臨海線の駅でいいかしら? 私、家で横になりたいの」
 前方に臨海線の品川シーサイド駅の入口が見える。
「うん、いいよ、ありがとう」
 浩太郎は車を降りて、三枝子を釈然としない思いで見送った。
 車が見えなくなると、踵を返し運転免許試験場がある鮫洲橋に向かって歩きだした。
日曜日のせいか、人影は見えなかった。


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