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作品名:君がいた夏 〜思い出に君を置く〜 作者:全充

第5回   二つの世界
「なるほど、確かに陽子さんは僕たちの世界の人ではなさそうだ」
 サンセットのマスタは一通り話を聞きおわると、そんな感想をもらし、例の二枚の写真を見比べた。
「しかし、この写真よくできているね。いや、どちらも本物か。ということは二人は血がつながっているということか。誕生日も一緒だって言っていたね。異卵性の双子?になるのかね。いや一卵性かもしれないな。だめだこちらの頭まで混乱してくる」そういってカウンタの中に戻っていった。

 僕たちはあれから眠ることなく、いろいろな想像を巡らした。何故僕と彼女はまったく同じ境遇に異なる人間として生まれたのか。僕たちも考えれば考えるほど頭が混乱した。
 当然の如く、過去の記憶全てが一致した。
 小学校のクラスから同級生の名前まで。四年の時の理科の実験で家から持ちよった牛肉と豚肉でラードとヘッドの実験をした後、その肉を焼き肉だといって食べた大半の人が腹痛を起こして保健室にかけこんだこと。でもなぜか自分はなんともなかったこと。
 学校から見た堤防の方向で火事騒ぎがあり、みんなで自分の家じゃないかって心配したこと。結局河原の草薮が燃えていることがわかって、ほっとしたこと。
 中学の陸上部にはSAYAKAと呼ばれ全国大会に出たクラスメートがいたこと、そしてSAYAKAは今福島にいて四百mの日本記録保持者、丹生宏美の後継者と目されていること。
 異なっているのは自分が関係することだった。互いの友達の輪にはそれぞれ僕がいないこと、彼女がいないことだけが違っていた。クラブに関することもそうだった。お互い中学、高校と陸上部だったことそして短距離をやっていたことは同じ。決定的に違うのは彼女がいたリレーは県で入賞するが、僕の世界では決勝にすら残れなかったこと。ただ男子リレーは僕の世界でも彼女の世界でも県大会の決勝には残っていない。

 午前中二人は図書館でいろいろ調べた。彼女はパラレルワールドじゃないかと結論づけた。物理の量子力学には多世界解釈派というものが存在している。簡単にいうと全ての可能性を持った別々の世界が重ね合わさった状態で成立しているというものだ。「タイムライン」という小説や、「ホミニッド」という小説の題材に使われていることも判った。
 「ホミニッド」では量子コンピュータの実験中にたまたま二つの世界がつながってしまうというストーリーになっていた。現実には量子コンピュータなんて存在しない。正確にはホミニッドで使われているような大掛かりなものは無いというレベルだが、何にしても名和大学でそんな実験をしているなんて話は聞いたことがない。しかも量子コンピュータで利用される量子の性質は非常にデリケートなため、様々な雑音(電波や宇宙線)の進入から守らなければならない。そんな事が可能な施設は神岡鉱山の地下みたいなところ(実際にカミオカンデという陽子崩壊を検証しようという施設が作られている)じゃないと無理だということも判った。

 彼女の記憶では三日前、昼を済ませ、下宿を出て図書館に向かい、閉架で本を探し出し、それを借りて、山の上のグランドに向かったということだった。グランドで顔なじみの先輩から「あら初めて見る顔ね。明城か杉山の人?」って声をかけられた時におかしいと思ったのが始まりらしかった。
 彼女は最初先輩の冗談だと思って、「もう、つまらないですよ。親父ギャグじゃないんですから」と返したそうだ。しかし先輩は怪訝な顔でジョギングを始めるし、その後何人かの部員も似たような反応で、彼女はいたたまれなくなり、とにかくスポーツバックに着替えを詰め込んで、逃げ出すようにグランドから出ていったということだった。
 下宿に戻れば、部屋の中は自分の部屋とは似ても似つかない状態に不安は増大し、飛び出し、銀行に行ったということだった。家の鍵は何故か自分のものが使えたことに気が付いたのだ。銀行のカードも使うことができた。暗証番号も間違っていなかった。

 暗証番号も間違ってなかったって。ちょっと待って、昨夜は混乱の中で聞き流していたけど。
「ねえ。銀行でお金をおろすこと出来たんだよね」
「そうよ。それでシュラフを買うことができたの。だって寝るところも無くなっちゃたのよ」当たり前じゃないって顔で答えたが、彼女も同じ疑問に気がついた。
「そうか、あなた今銀行のカード持ってる?」
「そう思うだろ」そういって二人はカードを出してお互いカードに書かれた番号を読み上げた。
「ああっ、やっぱり。君はどのくらい引き出したの?」
 あの口座には僕の生活費が入っているのだ。今月はまだ振り込んでもらったばかりだった。
「とりあえず二万円。でも大丈夫。まだ一万円と少し残っているよ。これでも安いのをねぎって買ったんだから」彼女は申し訳ないという顔で答えた。
 まあ、しかし同じ事だと思い直した。結局彼女はお金の当てなんてないわけで、僕の仕送り分を切りつめて生活するしかないわけだ。
「でも、よかったよ、僕の口座で。そうじゃなかったら泥棒だ」
「まぁ、私を苦しめているこの世界の全体責任ってことで許してって気持ちだったのよ」 彼女は茶目っ気に舌を出して微笑んだ。僕は昨日からこの天真爛漫な笑顔に何度も心臓を打ち抜かれていた。

 彼女の世界はどこで入れ替わったのだろう。
 閉架で本を取り出しているのだから、本を手にするまでは自分の世界にいたことになる。
 本を借りた後、グランドで会った先輩は彼女を知らなかった。
 本を借りた記録が残っているかいないかでさらに絞り込める。
 光一が同じ本を借りているのだから、その前に借りた人がだれでいつなのかが判れば。そんな思いで二人は再び図書館に向かった。

 光一の前に借りていた人の学籍番号は光一と同じだった。返却記録がなかったが本は存在しているのだから、光一が借りる時に返却登録ミスとして処理されていた。
 これで本を手にしてから、貸し出し手続きをするまでの間ということがわかった。
 彼女が下宿を出たのは十三時前だという。貸し出し記録は十三時十五分とあった。

 閉架からカウンターまでの経路のどこかで世界が入れ替わったということだ。
 彼女はその経路を何度も往復した。そこにはなんの変化も感じられなかった。
 不謹慎にも僕はこころの中で彼女が消えてしまわないことを祈っていた。


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