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作品名:君がいた夏 〜思い出に君を置く〜 作者:全充

第3回   二 サンセット
 僕が本を借りる手続きが終わるのを待っている間、彼女は近くの椅子に腰掛けて足をぶらつかせ、何か口ずさみながら考え込んでいるようだった。
 何となく僕を待っているようだったので、声をかけてみた。
「君、家はどこ?」
 その質問が彼女の耳に届かなかったのか、彼女は天井を見上げ、リズムを刻むのを止めなかった。僕は何となく気まずかったけど、彼女の口を開くのを待った。
 しばらくして彼女は目を開き、僕を指差し答えた。
「決めた。あなたに責任をとってもらう」
「はぁ?失礼な、僕が君に何をしたっていうのさ」
 彼女は僕の質問なんてまったく無視して続けた。
「そうと決めたら、お腹がすいているのを思い出した。そこのサンセットにいきましょう」
 そう言って僕を手招きして先にさっさと図書館を出ていった。
 僕はあっけにとられて彼女を見送っていた。すると彼女は戻ってきて、扉を開け、顔をだして「早くいこ。サンセット。あそこのマスタやさしいし、いや、やさしいはずだし、おにぎり持ち込みOKだから」そういってスポーツバックからコンビニの袋を取り出し僕に振って見せた。
 彼女の天真さにあきれ、僕は彼女とサンセットにつきあうことに決め、歩き出した。僕が付き合ってくれると判断した彼女はスキップをしながら先を歩いていた。

 サンセットの前で入るのをためらっている彼女を横目に、僕はドアを開け、マスタに挨拶をした。
「こんばんは。夕飯まだなんですけど、いいですか」
 サンセットでは夜お酒をだしたりしいて、すこし暗い感じの照明で、夕食を食べるって雰囲気ではないけれど、マスタは快く迎え入れてくれた。
「光一君か、こんな時間に来るなんてめずらしいね。それに彼女なんか連れて、デートの帰り?彼女ができたんだ。初めて見る娘だね」
「違いますよ。今図書館で知り合ったばかりです」そう答える僕の後ろから、彼女は何となく遠慮がちに「こんばんは」と言って中に入ってきた。
 マスタは彼女の出で立ちを不思議に思ったようだった。スポーツバックにシュラフ、ラフなTシャツとジーンズ姿は、デート帰りの女の子という感じではない。
「やっぱり、マスタは私のことを知らないのよね」そう小さい声でつぶやいて、マスタが何かを察し、気を利かして勧めてくれた隅のテーブル席に腰を落ち着けた。

 先ほどから彼女がつぶやく言葉が気になって、僕は彼女に聞いてみた。
「何かさっきから、おかしなことつぶやいているよね。何?」
 彼女は話すのを戸惑うかのように、はにかみ、顔の前で指を交錯したり、周りを見渡すばかりで、なかなか答えが返ってこなかった。そしてやっと決心した顔になり話始めた。
「あのね」一呼吸置いて「おかしいの。一昨日から」
「何が?」と僕は相槌を入れる。
「私には何の変化も無いの、一つのことを除けばね」
「一つのことって」僕は問い返す。
「とりあえず聞いて。例えば、私はマスタをよく知っているの。ここのお馴染みさんなの」
「でも先ほどのマスタの感じでは、そうでもないみたいだけど」
「そうなの。全てそうなの。構内を歩いていれば私が知っている人に出会う。大学の景色も建物も何も変わらない。でも向こうはどうも私を知らないみたいなの」
 僕の頭にある言葉が浮かび、それを口にした。
「君、もしかして記憶を無くした?」
 すかさず彼女が機関銃のように言葉を返してきた。
「そんな訳ないじゃない。相手が私を知らないんだよ。私の記憶は全て合っているのよ。教養部がどこにあるのかも、女子トイレがどこにあるのか、図書館がどこにあるのか、すれ違った人は知り合いかどうか、知り合いならどんな名前の人か、ここのお店の名前も、場所も。銀行口座の暗証番号だって合ってた、お金を引き出して、とにかく必要な物を買って揃えた。そうよ、私の下宿には別の人が住んでいて、おかげで昨日は寝袋を買って、図書館の一番人の出入りの少ない閉架で一晩過すはめになったんじゃない。どうして私の居場所が無くなっちゃたのよ」
 彼女は一気にまくしたて、うつっぷしてしまった。まわりのお客さんがどうしたんだという顔で僕を見ている。まるで僕が彼女を泣かしてしまったといわんばかりに非難の目で。
 僕もあまりにも突然の彼女の変化に驚いて、ただ黙って彼女が顔をあげるのを待っていた。
 マスタの奥さんも心配して「光一君、そっとしておいて上げなさい。落ち着いたらもう一度ゆっくり話を聞いてあげなさい。彼女よっぽど気持ちが張り詰めていたんだと思うよ」と声をかけてくれた。
 親娘三人連れの奥さんが帰り際に、同じように「落ち着くまで待ってあげて」といってやさしく僕の肩に触れ、マスタ夫婦と親しげに挨拶を交わし帰っていった。

 どれほどの時間がすぎただろう。まわりも先ほどのことなど何もなかったかのように、いつもと同じ空気に落ち着いていた。静かに彼女が顔を上げた。目が真っ赤に腫れていた。
「ごめんね。ずっと不安だったの。ひとつ話したら、さっきまでの不安が一気にこみあげてきて。迷惑かけちゃったね」
 不思議と僕は全然迷惑なんて思っていなかった。それより、彼女が黙って何かに耐えているように肩を震わせテーブルにうつっぷしている間、彼女には悪いけれど、彼女がそばにいることを心地よく感じていた。
「全然。それより君にいやな想いをさせちゃったね」
 彼女はさっぱりしたという表情で
「ううん。おかげで落ち着いた」そう言うとふうっと息をはいて、あごを手のひらで支え、両肘をテーブルにのせて、僕の顔を見て笑った。
「僕がどうかした」
「ううん。ずっと黙ってくれていて、やさしい人なんだなって思って」
 女の子にそんなふうに言われるのは初めてで、照れくさくて、話をそらすために、さっきから考えていたことを伝えることにした。
「僕の下宿に来てもいいよ」
 言ってから、まずいって思ったが、それは杞憂だった。
「最初からそのつもりよ。図書館で責任とってもらうって言ったでしょ」
 彼女はそんな憎まれ口をたたいた。
「君がかまわなければ、俺はいいよ」
 自分でもまた訳のわからないことを口にしていると思ったが、彼女は平然とうなずいた。
「ありがとう。そうさせて。本当に行くところがないのよ。私のことを知っている人は誰もいないみたいなの。それは疑いようの無い事実みたいだから」
 一体どういうことなんだろう。彼女がうそをいっていないことは確かだ。だから僕のほうからそのことに触れるのはやめておこうと思った。
 彼女が「はいっ、あなたにもあげる」そういっておにぎりを一つ僕に渡し、自分でも一つ食べ始めた。
 お互い無言でゆっくりと食べ終え、二人はマスタにお礼を言い、僕の下宿に向かうためにサンセットを後にした。


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