その日、僕たちは、いつもどおりに朝練をして、学食で昼を食べた。 Yoは戻ることについて一言も触れなかった。 昼間は戻る前にしたいことがあると言って、僕を部屋から追い出し、僕のコンピュータからインターネットで何か調べていた。 いつもより早めに最後の三百m走を一本だけ一緒に走った。Yoはいつもより粘って、なんとか最後までフォームを乱すことなく走りきった。 Yoはこの世界へ来た時と同じがいいと、合宿所のシャワーで汗を流した後、バッグには姉貴にもらった服を詰め、Tシャツとジーパン姿で合宿所から出てきた。 例の太陽黒点が消滅する時間には少し早かったが、二人で図書館の閉架に入った。
Yoは僕に諭すように言った。 「コウちゃん、この世界にもYoは絶対にいると思うの。そして私の世界にもコウちゃんはきっといる。私戻ったら私の世界のコウちゃんを探す。だからコウちゃんも私を探し出してね」 僕は肯くしかなかった。 何となくしんみりした雰囲気を打ち破るかのようにYoが切り出した。 「コウちゃん、私の世界に戻ったらメールするね」 また、突拍子もないことをと思ったが、さからわず 「ああ、待ってるよ」と答えた。 Yoはまじめな顔で 「本当に届いたら、コウちゃんどうする?」 Yoがいかにも自信ありげに聞いてきた。 「そりゃぁ驚く」 僕は本当に届いて欲しいと思った。
時計の針が十八時を指そうとしていた。Yoはバックの中を探し始めた。 「コウちゃん。大変だ。あの本忘れてきちゃった」 「あの本って?」 「あれよ、ほら私の世界の書棚から持ってきた本、あれは私の世界の本だから」 「ドジだな。まだ間に合う、俺が取ってきてやるよ」 僕は何も考えず、図書館を飛び出していた。
陽子は時間が近いことを感じていた。磁場のゆれによるものか身体に不快感が生じていた。あの時も何となく気分がすぐれなかった。今思えばそれが予兆だったのかもしれない。 陽子は最初からこちらの世界の本を持って戻るつもりだった。やはり光一が目の前にいたら自信が無かった。でもそんなことで心を揺らしていたら一生戻れなくなる。それは許されないことと思っていた。今より自分が悲しくなるだけだ。 光一が返した本を書棚から取り出した。 その時、瞬間的に陽子の頭を妙な映像がよぎった。 フラッシュバックのように頭に描かれる映像。 光一になんとか伝えなきゃと思った。光一が戻るにはオリンピック選手並みに速く走っても後二分はかかるだろう。 スポーツバックからペンを取り出し、本の一部をやぶり走り書きに残した。 その瞬間、目の前の映像が一瞬ゆれ、思わず紙を手放した。 あの時も本を手にした一瞬目眩のようなものを感じていた。そして瞬間的に光に包まれた気がした。 床に舞い落ちる紙が陽子の視線から突然消えた。
光一は図書館に戻り閉架の扉を開いた瞬間、Yoがいるはずの書棚の付近が一瞬光輝くのを見た気がした。 光一は閉架に駆け込んだ。 陽子の姿はなく、紙切れが宙を舞い床に向かい落ちていくところだった。 一瞬だが夕日に遮られたYoのシルエットを見た気がした。
陽子は昼間、光一の部屋からいたずら心で陽子を差出人とした光一宛てのメールを作っていた。メールの仕組みでは光一が光一に出しているに過ぎないのだけれど。 光一が部屋に戻って、私から光一宛のメールが届いていているのを見たら驚くに違いないと思ったのだ。
『コウちゃん Yoは無事に自分の世界に戻りました。 Yoの世界からコウちゃんへ
なぁんて、驚いた?そんなわけないじゃない。いたずらだよ。コウちゃんは絶対ひっかかるよね』
しかしその文面を光一が目にすることはなかった。
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