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作品名:晴れ渡る夏空 作者:全充

第29回   大阪世界選手権
 日本選手権で一m九十を一回でクリアし、世界選手権出場を確定した真理と裕一は日光湯元に来ていた。
「裕さん、ここへ来て判ったよ、世界選手権は裕さんの言うとおり挑むしかないって。それが今私が出来る最善の方法なんだよね。後は普段の試合と同じ気持ちで八月末に向けて仕上げればいいよね」
 真理は裕一のテーピングがあれば数回の跳躍ならば持ちこたえることが出来ると感じていた。世界選手権、予選を通らなければ決勝は無い、そしてそこで入賞できなければ、オリンピック出場は来年の日本選手権に持ち越されるだけだ。だったら逆にこの状況を利用して、自分の跳躍スタイルを確立すればいい。そこまで自分の気持ちを整理できるようになっていた。



「裕さんひどいよ。いきなり山の中に私独り置き去りにして、さっさとどこかへ行っちゃうんだもん。熊がでるかもしれないって脅すし。おかげでよく判ったけどね」
 裕一は、地図に印を付けた所に置いてある物を持って戻るように指示したのだった。



 日本選手権を終えると、真理と裕一はその足で飯野女子高校を訪ねた。
真理が「祐子さんは中田さんを戸隠に連れていっているの。そこから戻ってから、中田さんは試合を冷静に組み立てるようになったらしいの。戸隠には何があるの?」そんな疑問を裕一に口にしたのがきっかけだった。
 裕一は夕鹿から教えてもらったホームページに書かれていた内容から、祐子さんの高校時代の恩師に会えば何か判るだろうと、先生を訪ねることにしたのだ。

 職員室を訪れると、バレー部顧問なら今体育の授業中だけど、直に戻るよとのことで、勧められるまま応接のソファーに腰をおろして待っていた。やがて、職員室の扉を開けて現れたのは、裕一の大学の先輩の姿だった。
「あれ、鈴木さんじゃないですか。ごぶさたしています。もしかしてバレー部の顧問って鈴木さんですか」
 鈴木さんは、中田の姿に顔をくずし迎えてくれた。
「どういう風の吹き回しだい、バレーを離れた君がおれを訪ねてくるなんて」そう言いながら、隣に立つ真理を見て「そちらの女性は?」と言ってすこし考え込んでいたが「森本祐子の親戚の人?」と問いかけてきた。
 真理はあわてて答えた。
「私は栗原真理といいます。ホームページで森本祐子さんの写真を拝見して私も驚きました。似てますものね。でも他人の空似だと思います。私は森本祐子さんが入院されていた病院で彼女が亡くなる少し前に産まれたんです。おばがそう教えてくれました。おばはオペラ歌手の木村由美なんです。森本祐子さんとは中学・高校とバレーで知り合ったんだとか」
 鈴木さんは驚いたという表情で応じた。
「そう、木村由美さんの。そうですか。森本は名古屋に出て、木村由美さんと出会えたと喜んでいました。それに栗原真理さんと言われましたな、もしかして走り高跳びで有名な栗原さん?そう森本と同じ病院で。でそのような方が私に?」
 真理が答えづらそうなのを見て、裕一が変わって説明した。
「話すと長くなるんですが、鈴木さんは中田愛明という名前を御存じないですか?」
「うん?森本から聞いたことあるよ。名古屋で一番と思える男性(ひと)に巡り合えたと、喜んでいたな。それが?」
「その中田愛明は僕の義父(ちち)です。義父が真理さんを練習グランドで見かけたのがきっかけで真理さんは森本さんを知るようになり、森本さんの心の強さに興味を持ったみたいなんです」
「そうか、君は彼の息子なのか、君たちは森本とそんなつながりがあるんだ。君のプレースタイルは木村由美に似ていた。妹の中田詩織も同じだな。あの娘のチームと春高バレーであたったんだが、試合前、俺のとこに挨拶に来て
『先生私の母は大庭泰子です。だから今日は負けられません』と宣言していったよ。森本を見てるようだった」
「そんなことがあったんですか。あいつも強気ですね。そう、それでその森本さんが、親父の勝負に対する気持ちを強くさせるため戸隠に向かったって話を真理さんが思い出して、どうしてもその意味を知りたい、高校の先生に会えば何か判るって言って、こちらを訪ねることにしたんです」
 鈴木さんは裕一に向かってはっきりと言った。
「そう。でも君には説明の必要はないだろう」
「はい。森本さんを導いたのは先輩だと判りましたから。僕も先輩の助言を受けて日光湯元で同じ事をやってきましたから。お手間をとらせました。ありがとうございます」
 そういって裕一は真理を促し、席を立った。真理は訳が分からないという顔をして二人を見比べながら、お礼を述べ裕一の後に続いた。
 裕一たちは出口で再び挨拶のため振り替えると、鈴木さんが
「春高の順々でうちは君の妹独りにやられたよ。日本代表のセッターとして期待していると伝えておいてくれ」そして真理に向かって「あなたは森本に似た意志の強い目をしているよ」そういって送り出してくれた。



 山の中は少しでも気を緩めると東西南北が判らなくなり、来た方角についても自信がなくなる。 人は慣れない状況に陥るとパニックになることが多い。そんな状態でこそ冷静になって何をすべきかを考えなければならない。
 今の真理にとって最善な対応は何か、そしてそれを実践するには世界選手権は格好の場と思うことができるようになった。
 やるべきことはやってきた。後は世界選手権に向けて気持ちを高めていけばいい。そんな想いを胸に、日光湯元を後にした。



 世界選手権予選、真理は踏み切り足首を裕一にテーピングで固定してもらいピットに立った。裕一のすすめどおりに予選通過記録一m九十五にバーが上がるまで待ち、見事な集中力で一m九十五を越えた。屋外の自己記録と同じ高さではあったが落ち着いて挑むことのできる自分に自信を持った。

 予選から一日置いて迎えた決勝、予選での経験から真理はさらに大胆に一m九十七までパスすることに決めた。この高さを越えることが入賞ラインになると判断し、予選と同じ、オリンピックを見据え排水の陣で臨むことにした。

 予選での経験から、事前の準備、試技までのイメージに問題はない、後は愛明と同じように一回目にベストの跳躍を目指す。記録に挑むつもりで、最初の跳躍から最高のイメージで入る。
 助走スピードが十分なことは予選の跳躍で判った。
 跳躍直前の内傾も十分、身体の引き上げタイミングも問題なく身体は二mまで浮いていたと裕一から聞いた。

 サブトラックから競技場に入る途中、由美と愛明が真理を見つけ声をかけた。
「真理、これ」
 由美さんから渡されたのはYou&Iと刻まれたペンダントだった。
「祐子さんはこれを握りながら愛明のオリンピック選考会を見守ったの」
 祐子が愛明と唯一ともに過した戸隠の土産物屋で、これは私たちのためにあるようなものだっと言って喜んで買ったものだった。今も愛明は同じ物を持っている。祐子の肩身として。
「由美が持っていたのか。俺探したんだよ。でもどうしても見つけることができなくて、棺と一緒に燃えて祐子が持っていったものと思っていたんだ」
「ごめんね、愛明。祐子から私が受け取っていたの。大丈夫、真理は愛明が見つけた女性だもん、きっと祐子が見守ってくれるよ。」
 由美は祐子から預かっていたペンダントを真理に渡す。
「愛明、真理が持っていていいでしょ」



 由美から渡されたペンダントを握り締め祈るように目を瞑る。

 テーピングでしっかり固定された足がまっすぐ伸び、真理が青空に舞った。
 屋外では自己ベストの高さ。予選の時と同じく、バーを余裕で越えていく真理の身体、真理の力は優に二mを越えるレベルに達していた。

 真理が跳んだのはその一回だけだった。世界選手権六位入賞を決め、翌年の北京オリンピック出場を確実にした。

 由美は心の中で呟いた。
 祐子、見てますか?あなたと愛明の娘がオリンピックに行けることが決まったよ。


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