二〇〇七年日本選手権の女子走り高跳びは、裕一の予言通り、一m八十七で全員が姿を消した。 それまでパスを続けていた真理が腰を上げる。 軽いダッシュを数回繰り返し、ピットに向かう。 バーの高さは一m九十。これを越えれば、その時点で優勝が確定、世界選手権代表が内定する。 真理はこのところヨーロッパでは一m九十から跳び始めることが多かった。 世界選手権の予選通過記録は一m九十五になるであろうことを考えれば、跳び始めとしては申し分の無い高さである。
裕一は真理が高さの不安を感じないぎりぎりの一m九十までパスするよう指示した。 他の選手には申し訳ないが、今一m九十を越えられる選手は真理以外に日本では一人。 結果的にこの作戦が幸いしたのか、一m八十七は誰も越えられなかった。 左足首は裕一がテーピングでしっかり固定してくれた。 今日はこの一回の跳躍で決める。 真理は頭の中で慎重に跳躍イメージを確認する。 バーの高さは関係なく、自分の最高の跳躍をすることだけをイメージした。
裕一と準備してきたこの一ヶ月、痛みを忘れるためにもひたすら走り込んできた。 そして上半身、下半身を作り直すため、足首に負担のかからないユニバーサルマシンを使ったウェイトトレーニングを実施した。 重い負荷をかけてのゆっくりした動きではなく、すばやい動きに負荷をかけないと意味が無いという裕一の考えに従い練習をしてきた。 裕一はこの一ヶ月全ての時間を真理のために注いでくれた。
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真理はドイツ滞在が長くなることを考え、スポーツセンタのインストラクタを休職していた。 裕一も真理のため東京の美容室を辞め岐阜に戻った。もともと母親を助けるつもりの美容師だった。何れ辞めるつもりが早まっただけのことだった。 「母さん、彼女が真理さん。日本選手権までここで調整させてもらうよ」 「この女性(ひと)が。祐子さんに似ているという」 「母さんは祐子さんを見たことはないんだよね」 「真理さんは由美の従姉の娘さんでしたよね。私はインターハイで祐子さんを見かけたのが最初で最後よ。うわさは由美から聞いているけど。 祐子さんは私に似て勝気な女性だったらしいわ。でも私は勝負に淡白だった。彼女はもっと強い気持ちを持っていたみたいね」
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裕一にテーピングで固定してもらった足を信じて挑む真理。 高跳びも幅跳びや三段跳びと同じ、一回一回最高の跳躍を考えて跳べばいい。裕一はそう考えていた。 この跳躍に集中し、思いっきりジャンプすることだけを考えた。 裕一を信じ、自分を信じ助走を開始した。
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