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作品名:晴れ渡る夏空 作者:全充

第25回   ヨーロッパ転戦
 二〇〇六年、日本女子高跳び界は竹井さんが引退し、洋子さんと青木さんのベテラン勢と真理の三強でのスタートとなった。
 全員自己ベストは一m九十以上だが、真理以外の二人はピークを過ぎた感は否めなく、春の連戦は真理が全て制し、大阪グランプリではついに一m九十五を越え、日本記録に後一pと迫った。
 オリンピック中間年ということで大きな世界大会は九月のワールドカップだけで、思い思いの目標を立ててシーズンを送る選手が多い。
 日本のトップ選手も多くがヨーロッパ転戦を計画していた。
 そんな真理にドイツの由美から、この夏ドイツにこないかと誘いのメールが届いた。ドイツを拠点にヨーロッパで開かれるグランプリを転戦してみてはどうかということだった。
 実は愛明が江上夫妻に頼み込んだものだった。
「独りでヨーロッパ転戦するのも世界で戦うには必要なことだよ。今年は有望な選手が何人もヨーロッパ転戦を考えていて、末續も澤野も池田さんも行くということだ。ドイツを拠点に動くことができるのというのは、初めての経験でも安心して転戦できるし。もし落ち込んでもそのままヨーロッパで立て直すことができる。来年は世界選手権が大阪だし、ヨーロッパ転戦を試せるのはのは今年がチャンスなんじゃないかな」
 最近は愛明も技術的な助言はもうなにもないと言って、裕一が練習につきあっていることもあり、グランドに姿を見せることもなくなっていた。
 ちょっとした身体の異常を見抜き練習メニューについてアドバイスしてくれるのは裕一だった。
 ヨーロッパへ行くのは六月から九月初旬までの約三ヶ月間になる。自分独りで体調を管理して練習を調整していかなければならない。中田さんと出会うまでと同じとはいえ、今は維持するレベルが違う。
「裕さん、私独りでやっていけるかな」
「向こうには由美さんがいるじゃない。しかも江上さんは向こうの大学で陸上部の監督らしいから、なにかあれば相談すればいいよ」
 記録を狙うというだけなら日本で中田さんや裕一と練習しているだけでも達成できる気がする。
 しかし世界的な試合で確実に結果を出すというのは別次元のことだということは判っているつもりであった。
 日本では自分が試合をコントロールしているといっても過言ではない。世界で戦うということは、同じ様なレベルの多くの選手の中で順番を待ちながら跳ばなければならないということだ。

 世界レベルの大会、最初の三回でベストに近い記録を出す難しさ、一次、二次予選、準決勝、決勝と勝ち進む体力は経験しないと得られない。
 種目により違いはあるが、日本という温室で競技をしていたのでは得られないものが世界にはある。アメリカの選手だって夏はヨーロッパを転戦して自分を磨いている。
 中田さんや裕さんと出会い、高い記録が残せるようになり、世界と戦えるレベルに来たと思う。
 中田さんは祐子という女性と二人三脚で世界を目指した。祐子さんがこだわったオリンピックは世界と戦う場所だ。
 真理は裕一と一緒に練習することで充実した日々を送っている自分を感じていた。
 どこを鍛えるべきか、そのためにはどんな運動を取り入れるのが効果的か、最近は裕一の助言を取り入れることが多い。

 どんな状況でもベストな跳躍ができる、何事にも動ぜず冷静に自己を見詰め、コントロールできる精神力。祐子さんが中田さんに求めたこと。

 三段跳びは競技進行をコントロールすることはほとんど必要ない。必要なのは予選三回の跳躍でベストを出すこと。同じく決勝の最初の三回でベストに近い跳躍をしてベストエイトに残ること。後は自分より遠くに跳んだ人を超え、自己ベストの跳躍をすることに集中する。
 高跳びは、跳躍の間(ま)を自分の自由にはできない。特に二m近い高さで繰り広げられる世界の間は世界に出て行かなければ経験できない。

「今しか出来ないことは今やらなければ、おそらく後で後悔するんじゃないかな。オリンピックで世界と勝負するには、世界での経験が必要だと思う。行ってきなよ。たくましくなって帰ってくるのを楽しみに待ってるよ」
 裕一が真理の夢を後押ししてくれている。そんな思いが真理の背中を押した。



『裕さん、無事ドイツのマインツに着きました。こちらは煉瓦の街という印象です。夏時間で夜の九時でもまだ明るいんだよ。
 由美さんの旦那さん、江上さんと会うのは小学校の時以来で、私を見て
「愛明が気にするのも判るな。真理さんはどこか祐子さんに似たところがあるね」
 と由美さんに仰ってました。私も祐子さんにあやかって強い心を持って日本に帰ろうと思います。』

『今日はストックホルムです。白夜っていうんだよね。夜も夕暮れのように明るいの。北欧とあって涼しいです。まぁ私は暑いのが好きだからあまり関係ないかな。でも日本の蒸し暑さに比べるとヨーロッパの暑さは快適です。こちらのグランプリの宿泊って基本はツインで、どこの誰と同じ部屋になるかはわからないの。今回はロシアのロングジャンパ、カレンさん。どちらも片言の英語で(といってもカレンさんのほうが慣れていて上手だけど)なんとか会話しています。』

『すこしずつヨーロッパの雰囲気に慣れてきました。最初は外国の選手と試合をしているってことで集中しきれなかったけど、何試合か回っているうちに馴染みの選手もできて、何とか試合の流れについていっています』

『今回は末続君、澤野君、内藤君たちと一緒です。ホテルの手配にも慣れました。慣れてしまえば日本での移動とたいして変わらないと感じてきました。どこでも英語で結構なんとかなるよ。ただ結構いいかげんなところがあって荷物が時々行方不明になるとかで、いつも荷物には神経を使います』

『日本選手権のため月曜に日本に戻ります。ひさしぶりに裕さんに会えるのが楽しみです』



 日本選手権が神戸で開催されることもあり、真理は直接関西空港から神戸入りするということだった。
 裕一は関西空港で真理を出迎えた。
「裕さん、ただいま。でも大阪だから、ただいまも変かな?」
「そうでもないさ、一ヶ月半ぶりの日本だし。おかえり。なんか雰囲気が変わったよ。日本に戦いに来た外国選手という感じがしないでもない」

 もともと日本選手権も転戦の一つに位置づけているということで、あっさり優勝してアジア大会出場を決めると
「裕さん、日本でゆっくりしたいけど、甘えがでるといけないので、このままドイツに帰るね」 そう言って、そのまま慌ただしくドイツに戻っていった。


『池田さんがヨーロッパにやって来ました。イタリアでは一緒の大会だそうです』

 イタリアグランプリ。真理はとうとう世界の舞台でも一m九十五を跳び三位入賞を果たした。
『やっとこちらの試合に慣れてきました。自分の感覚で跳躍できるようになりました。ドイツのハイジャンパ、ハイネ・ローゼンダールとも顔なじみになって、ドイツに帰った時はいろいろと案内してもらっています』

『アテネでのワールドカップ観てきました。末續君や澤野君、の活躍に刺激されました。私も出場できたらって思いました。今はまだカザフスタンのマリナさんの実績が上だから悔しいけどしかたないです。長いようで短かった四ヶ月弱、明日日本に帰ります。十八時成田着予定』



 三ヶ月以上に及ぶ欧州転戦を終え、十月はもう一度基礎を作り直すため裕一との朝練をこなした。
 裕一と並んでジョギングをすることで気持ちが落ち着くのを感じた。ヨーロッパでの張り詰めた緊張感も悪くないが、この安心感は真理の心を癒してくれた。

 しかしそんな時もつかの間、十一月に入るとアジア大会に向けて陸連の合宿が始まり、真理の緊張感を再び高めていく。

 そして迎えた十二月のドーハ・アジア大会。
 末續、澤野、池田が金メダル、内藤、醍醐も銅メダルを獲得する中、真理も一m九十五で優勝を決めついに念願のアジア一位の座を獲得した。
 この年三度目の一m九十五、A標準突破で締めくくり、四月から十二月という異例の長いシーズンが終わった。


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