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作品名:晴れ渡る夏空 作者:全充

第24回   真理と裕一(2)
 国体で見事一m九十をクリアした真理は、次の試合は春と決め、すこし早めだがシーズンオフの練習に入り、じっくり身体を作り直すことにした。もっと速い助走で踏み切ることが出来れば、さらに高く跳ぶことができる、そんな自信めいたものが芽生えてきていた。
 裕一は、真理に付き合って始めたスプリント練習の合間、ハードルを越えたりしていたが、やはり元アスリートだけあって、実戦への気持ちが湧き上り、その年最後の記録会で百十mハードルに出場するために準備していた。
 試合前日、いつもどおり二人での朝練習を終え大久保に向かう電車の中、真理が
「裕さん、明日、国体のお礼に応援に行くね」と切り出した。
 裕一は、真理が出ない試合なのだと思うと、不思議な気持ちがした。
「いや、いいよわざわざ。最後まで走りきれるかどうか。隣のレーンの動きに気を取られ集中が途切れてリズム崩したら終わりだからね。無事にゴールできるかわからないし。
 中二で初めて試合に出た時は散々だったんだよ。となりでばたばたハードル倒されてね、それに気を取られて、ディップかけ忘れて身体が浮いちゃって、五台目を越えられなかったんだ」
 裕一の陸上体験はスプリント系ということもあって、いつも新鮮な気持ちで聞くことが出来た。
「そうか、高跳びと違って隣で一緒に走ってる人がいるんだもんね。そりゃぁ隣でハードル倒されたらリズム崩れるよね」
 真理は裕一の奇麗なハードリングをいつも感心して見いた。
「裕さんのハードルの越え方すごいのよ、ぎりぎりの高さで越えているから、ハードルすれすれで、よくぶつけないなって思うの」
「昔からそうなんだよね。自分ではわからないけど、今でもそうなんだ。俺もね、中学の時親父が撮ってくれたビデオ見てちょっと感動した。ほんとハードルすれすれに越えてるんだよね。
 でも着地が遠いでしょ、あそこは本当はハードルを重心が越えるあたりでリード足をさっと振り下ろしてすばやく繋ぎの走りに入らないとだめなんだけど、それをやるとハードル間の走りがオーバストライドぎみになってリズムが悪くなるんだ。
 国体で内藤のハードリングをみたけど、あいつは凄いね。ハードル間わざと歩幅狭くして走ってるんだ」
「あれ、裕さん、見てたんだ。国体のハードル」
「競技があるとやっぱ気になって。運良く高跳びの時間に決勝があったから」
 そんな話をしながら二人はそれぞれの職場に向かった。

 翌日八王子の上柚木公園陸上競技場。さすがに記録会でのハードル出場者は少なく、レースは一組だけだった。
 
 スタートは無理せず確実に八歩目で最初のハードルに挑み、無難に越える。五台目までトップと互角の走り。隣は十四秒台の武南大学生で比較的おとなしいハードリングで裕一もリズムを乱されることなく並走していたが、六台目あたりから身体が浮きはじめ、それ以降は離される一方で、なすすべも無くゴールした。

 ゴール際出口のところでレースを見守っていた真理が
「裕さん、惜しかったね。はいっ」といってスポーツドリンクを渡してくれた。
「後半浮いちゃったよ。並んでるって意識したら身体を押え込むの忘れて、一度離されたらもう立て直すことできなかった」
 結局武南大学生が十四秒八五で裕一は十五秒四一だった。
 バレーを引退して三年ぶりの試合出場、しかも練習期間が四ヶ月。
 後半もたついたけれど兎に角走りきれたことを収穫として競技場を後にした。

 帰りの電車の中で、このまま真っ直ぐ新宿に向かうのは勿体無いということになり、二人は一緒に練習してきた今年の納めとして「コスタ・デル・ソル」でお互いの慰労会をすることにした。
「センタの前で出くわした時以来だね。二人で食事なんて」
 真理は瞬く間に過ぎ去ったシーズンを改めて振り返り、充実したシーズンだったことを実感した。
「いやだ、そうよ。そうか、練習、仕事、試合の連続でゆっくりすることできなかったもんね。でも跳んでる時はいつも裕さんがいてくれるから、そんなこと考えもしなかった」

 店に入るとマスタが意味ありげな顔で声をかけてきた。
「裕さん、今日は真理さんと一緒かい。やっと二回目だね。あれから二人でどうなったんだろうって話してたんだ。
 真理さん裕さんとはうまくやってる?」
 マスタはアベックを見ればそればっかりという顔で裕一は返す。
「マスタそういうの好きだよね」
「世の中、男と女しかいないんだよ。一緒にいるってことはそういうことでしょう」
 裕一は「はい、はい、そうですね」と聞き流す。
「そうそう、今日は昼に詩織ちゃんが昼を食べに友達連れて来てくれたよ。この春卒業した先輩が最近学校に来て、声をかけてもらったって喜んでいた。全日本のセッタとして早く登ってこいって言われたって」
 詩織はバレーボール留学で下北沢にある私立高校に通っていた。
 先輩が何人も全日本入りしているバレーでは伝統ある高校だ。
「そう、詩織ちゃんが来てたんだ。
 前に君島さんのビデオを見にいった時、詩織ちゃんかわいかったの。
 インターハイに出た話とかいろいろ嬉しそうに話してくれたのよ。
 そうなんだ、全日本入り期待されてるんだ。すごいね」

 マスタはゆっくりできるようにと、窓際の席を用意してくれた。

「真理さん来年楽しみだね。冬にじっくり足腰鍛えればもっと速い助走で踏み切れるようになると思うよ。大阪の世界選手権のA標準だって可能なんじゃないかな」
 そんなふうに話を向けられて、改めて自分は世界なんて考えたことがないと思った。
「A標準って一m九十五でしょ、そんなに簡単じゃないと思うな。国体の九十は裕さん効果なのよ。声を掛けてもらってやっと自分の跳躍をすればいいんだって切り替えることが出来たの」
 いままでは自分の跳躍順になったら集中して自然に走り出し踏み切るというだけで、インターハイの時だって自然体で助走路に立っていた。
 しかし、あの時は完全に自分を見失っていた。
 裕一に声をかけられなかったら九十の三回目も失敗していただろう。
 中田さんは、三段跳びは三回のうち一回集中できればいい、でも一番集中できるのは一回目、純粋に跳ぶことだけを考えて雑念が入らない一回目だと言っていた。
 でも追い込まれた時に、もう一度自分の跳躍をするのは難しいと思った。

「フィールド種目は集中を乱してくれる雑音が一杯だからね。トラック種目スタートの号砲、結果のアナウンス、応援の声、自分の助走タイミングとは無関係にそういった雑音が入って来る。自分の世界を作るのって難しいよね」

「そうね。でもあの時は、あの高さを越えたい、越えられるかもしれないって思ったら、今までのように跳躍だけに集中できなくなって。
 でも、裕さんに声をかけてもらって、いつも通りに走ってきちんと自分の跳躍をするしかないんだってひらきなおれたの」
 真理は遠くを眺めるように視線を泳がせ、なにかに想いを巡らしていた。
「きっと中田さんは森本祐子って女性(ひと)に守られていたのね」
「どうしたの突然」
 森本祐子。親父と由美さんの遠い昔の想い出の女性。しかし裕一はそれ以上詳しい話を聞いたことはなかった。
「由美さんに連れられて名古屋まで行った時にね、由美さんや中田さんが学生時代お世話になったという“サンセット”ってお店に入ったの。マスタから祐子さんの話を聞いたのよ」
「森本祐子さんは高校時代、由美さんや母さんのライバルだったんだよ。それが親父と出会って由美さんと再会して、でも二十歳ぐらいで亡くなったって聞いているけど」
「そうなんだけどね。名古屋でマスタから聞いた話を思い出したの。祐子さんとの出会いがなければ、オリンピックは夢のままだったんだろうなって」
 真理は視線を現実に戻し、今度は
「ねぇ、バレーでは自分を見失うことなんてないの?」と聞いてきた。
 祐子さんと何の関係があるのかと思いながら裕一は答えた。
「マッチポイント取られた時はどうかな。
 でも点を取る競技だから、そこで浮き足立ってはだめなんだ。点を取ることに専念しなきゃだめだ。そうすれば逆転も可能なんだよ。でもそういう場面で必要な気持ちは、どの競技でも同じじゃないかな」
「なるほど。そうね、高跳びの三回目と似てるね」
 そして何かを理解したという表情になり
「きっとそうよ」
 裕一は不思議そうに真理を見つめる。
「中田さんはね、勝負に対する執着があまりなかったみたいなの。
 祐子さんはきっとその気持ちを中田さんに伝えようとしたんだ」
 裕一が話についていけないという顔をしているのを見て、真理は
「何か独りで納得してるね、ごめんね」とつぶやいた。
 
 真理の脳裏に裕一が祐子さんと重なった。朝練に付き合ってもらって、フォームを見てもらって。
 祐さんがいなかったらこんなに短期間で一m九十まで到達できなかったのではないだろうか。
 そしてなんとなく世界が見えてきた。この春には考えもしなかったことだ。そろそろ引退だって考えていた。
「祐さんありがとう」
 そんな言葉が真理から自然に出てきた。裕一は驚いたように問い返した。
「何、突然に?」
「何か私の今あるのは裕さんのお陰かなって思ったら、急にそんな気持ちが。本当にありがとう。私世界狙ってみる。来年はA標準を越えて二○○七年の大阪を目指してみる。祐さんそれまで付き合ってくれる?」
「何を言いだしすのかと思ったら。俺でよかったら喜んで付き合うよ。二m狙いなよ。そしたらオリンピックでメダルだって夢じゃないかも」


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