裕一が美容室を閉めて外に出ると、真理も丁度片付けを終え会館から出て帰るところだった。 「真理さん」 真理が振り向き、声の主が裕一と判り、笑顔で迎えてくれた。 「あら裕一さん。この間はどうも」 「今帰るとこ?遅いね」 「裕一さんこそ。私、今日は遅番で後片付けしてたから、そんな日はいつもこんな時間になるの」 「今日、会館に圭介いったでしょう」 「うん、来た、来た。 それがねぇ、圭介君お目当てがあったのよ。 私がエアロビの指導終わって会員さんと話していたら、圭介君が私を手招きで呼んでね。 夕鹿さんに紹介してもらえませんかだって」 「なんだ、あいつ、それで前から熱心に通ってたのか」 「なんか夕鹿も圭介君おもしろいとかいって、誘われるまま一緒に飲みにいっちゃった」 「へぇ、圭介やるじゃん。じゃああいつ今日は終電かな。真理さん真っ直ぐ帰るの?」 「そうね、夕飯まだだから、どこかで食べてから帰るつもり」 「僕もまだだよ。駅前にいい店があるんだけど一緒にどう?」 「いいよ。一人より二人で話しながら食べた方がおいしいよね」
スポーツセンタは総武線大久保駅の北側線路沿いに東中野方面へ五分ほど歩いたところにある。 裕一は経堂、真理は祖師谷で、二人とも大久保駅から新宿へ出て小田急で同じ方向になる。 裕一の行き着けは大久保駅南から新宿西口方面へ下る途中にある「コスタ・デル・ソル」。裕一や圭介が学生時代アルバイトをしていたスペイン料理の店だ。
店に入ると奥さんが珍しい光景を目にしたといわんばかりに声をかけてきた。 「あら、祐ちゃんめずらしい。今日は圭介じゃなく、綺麗な女性同伴じゃない。一瞬詩織ちゃんをつれてきたのかと思ったわよ。背は同じぐらい?」 「詩織より美人でしょう。詩織は親父似で目こわいし。そういやぁ背丈は同じかな?真理さんいくつ?」 真理は美人といわれくすぐったいという表情で答える。 「七十五」 「じゃぁ、詩織と同じだ。」
裕一はマスタと奥さんに真理を紹介した。 「こちらは栗原真理さん、そこのスポーツセンタのインストラクタをしている」 マスタはにやにやしながら言葉を返した。 「そうかい、スポーツをしてますって体形だよね。背も高いし、祐さんにお似合いだよ」 「マスタ、僕の彼女じゃないですから。まともに話するのは今日が初めてだし。真理さんは陸上競技の走り高跳びもしていて、親父がちょっかいだしているんだ」 真理が笑いながら話す。 「裕一さん、ちょっかいだなんて。助走が不安定だからって、見てもらっているんです」 マスタが先ほどの奥さんが感じたのがわかったという顔で 「真理さん、笑うと本当詩織ちゃんに似てるよ。今なんか一瞬詩織ちゃんかと思った」 裕一もそうかなという顔で真理を見つめる。真理も照れくさそうに見返す。 似てるようには見えなかった。 「似てないよ」 奥さんが 「いや、普通にしてるとそうでもないんだけど、笑うと似てるのよ」 「そうかなぁ。それより俺達夕飯まだなんだ、適当に見繕ってよ、それとビール、真理さん一杯ぐらいいいよね」
まわりはお酒を飲みながらゆっくり一日の仕事を終えた後の会話を楽しむ客で埋まっていたが、運良くカウンタ席が空いていた。
裕一は大学を出た後迷わず美容師の道を選んだ。いつか母親の泰子の美容室を手伝うつもりだ。実業団からのオファーもあった。セッターとしていずれ全日本という声もあったが、当時の全日本ダブルセッターを超えるのは北京より後になると考え、きっぱりバレーをあきらめた。 そんな裕一には競技を続けている真理が眩しく映った。 「真理さんはすごいね。今も競技を続けていて、今年になって自己記録を更新して」 「結果的にね。でも本当はね、そろそろ引退しようかなって考えていたの。スポーツクラブで身体は鍛えているから、体力は維持してきたと思うけど、記録伸びないし。そんな時中田さんに出会ったの。そして助走を変えなさいって言われて。最初はリズムがうまく取れなくて、でもすごくリラックスして踏み切ることができるって感じた。なんとかリズムが取れるようになると、今までがうそのように安定して跳べるようになって、欲が出てきたのね。もしかしたら本当に日本記録を越えられるんじゃないかって。高二で一m八十を跳んだときから日本記録が夢だったの。でもずっとそこで止まっていたから」 「それで日本選手権三位になっちゃうんだからすごいよ。やっぱり素質あるんだよ」 「だといいけど。でもまた頑張れるって思ってる。でね、中田さんからは助走のスピードを上げるためにもっと走り込みなさいって言われてるの。走りかたがまだぎこちない、フォームをかためればスピードを上げても安定して走れるからって。でも独りで走っているだけだから難しい」 「いつ走っているの?スポーツ会館には毎日出てるんでしょ」 「仕事は午後からだから、いつも午前中に織田フィールドで練習してるの」 「あぁ代々木にある?そうか代々木八幡で降りればすぐだ。俺も朝走ってみようかな。最近身体動かしてなくて、運動しなきゃって思っているんだ。バレーも考えてみだけど、市民クラブとか。スポーツ会館で練習しているチームあるって聞いたから。でも練習は大抵夕方で難しいよね」 「裕一さんは陸上の経験はあるの?」 「中学までは陸上とバレー掛け持ちしてた。ハードルが好きだった。リズムで走れるから。若いうちはバレーだけじゃなくいろいろやればっていう親父のすすめもあって」 「お父さんは三段跳びでオリンピック日本代表までなった人だもんね」 「ああ、でも親父はほんとうの父親じゃないんだよ」 「えっ、どういうこと?」 「本当の父親は、俺が一歳になる前にバイク事故で亡くなったんだ。親父は東京で就職したばかりだったけど、おふくろ独りで大変だからっていろいろ気にかけてくれていたらしい。おふくろと親父は子供の頃からの付き合いだしね」 「ふぅん。そうなんだ。ところで裕一さん、私の走り少し見てもらえない。中田さんにはよくて週に一回見てもらう程度だから、まだ走り方ががよく分かっていないの」 裕一は真理のような女性と朝からグランドというのは悪くないと思い快諾した。 「じゃぁ、さっそく明日から付き合ってみるかな」 「わぁ、ありがとう。明日から練習が楽しくなるな、独りの練習はつらかったのよね。それとマスタにならって祐さんって呼ばせてもらおうっと、いいでしょ」
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