六月私は十三年ぶりに日本に戻った。 愛明、真理と一緒に祐子の墓参りを済ませ、久しぶりに「サンセット」を訪ねた。 サンセットは相変わらず大学脇の道路沿いにひっそり存在していた。 マスタはすっかり白髪交じりのおじさんになっていたが、私達を見てすぐに気がついてくれた。 「愛明に由美さん久しぶり。お連れは二人の娘さんかな?」 相変わらずのマスタに私は 「何を言ってるんですか、マスタ。私の姪です」 マスタは聞き流して 「ところで、彼女、どことなく祐子さんに似てるね」 愛明もうなづき 「マスタもそう思いますか。僕も初めて会ったとき、そう感じたんです」 私も真理が子どものころからそう思っていた、という気持ちを押さえ 「先ほど祐子のお墓参り済ましてきました。去年の二十五回忌は不義理しちゃって」 マスタは感慨深げに 「そう。もう二十五年になるんだね。僕の中で彼女は永遠に二十一歳のままだ」 「それは僕も同じですよ」 しばらく黙って聞いていた真理が話に割り込んできた。 「祐子さんてそんなに私に似ているんですか」 「そうね目元がそっくり。真理には学生時代の私の親友としか説明してなかったけれど、実は愛明の学生時代の彼女。真理が生まれた病院の看護学生だった。だけど、ウイルス性の病気で、真理が生まれてしばらくして亡くなったの。」 「私が生まれた病院の看護学生。中田さんの彼女」 真理は興味津々という顔で私を見つめる。 「高校時代はバレーの選手でね、彼女の高校はインターハイでベスト四」 「由美さんも確かインターハイでいいとこまでいったんですよね」 「高二の年にね、私はそれでバレー止めちゃったけど、祐子は三年の時最高に輝いたのよ」 「私も高二でインターハイ優勝したんだけど。それっきりしぼんじゃった」 「でも愛明のおかげでまた跳べるようになったって言ってたじゃない」 「うん。先週の日本選手権では一m八五で三位。中田さんから何のための助走かを教えられて、高跳びを少し理論的に考えるようになった」 「祐子は何事にも一所懸命な女性だったの。とにかく一筋って感じ」 「愛明が真理さんに助走を教えている。祐子さんは愛明の専属トレーナのようなものだったよね」 「私、なんとなく由美さんは学生時代中田さんの彼女だったのかなと思っていた。違ってたんですね」 マスタがここは自分の番とばかりに 「由美さんと愛明はね、いつもここでお互い言いたいこと言って、でも喧嘩するわけじゃなくてね。 『愛明、ちゃんと授業出なよ』とか 『おまえ、いいかげんに独りで帰れよ』 なんてね でもお互い用事を済ませたら、 『じゃあそういうことで』 みたいにあっさり、気の置けない関係ていう感じだったね」
マスタは祐子と愛明についての思い出も続けて話してくれた。
「祐子さんと愛明は、いい意味で相手に気を使っていたね。お互い相手が一番だったんだろうね。 愛明の試合翌日は練習休みで、いつも夕方ここに愛明と祐子さんの姿があった。 窓際の端が指定席で、私も気を利かして、試合翌日の夕方はそこの席をリザーブにしてね。 そこが待ち合わせの場所だったんだよね。 どちらが先に来ても行動は同じ。 お互い遅くなる時はここに電話してきて、必ず聞くんだよね、 『来てる?』って 私が席を見て、電話だよって合図すると、 どちらも手で×を作るんだ。まだ来てないって伝えてってことだろうと思って私もそう伝えていたよ」 「祐子もそうだったんだ。だろうな。待たせてると思うとかえって失敗してやり直しに時間掛かったりするからね。あのころはお互い実験とか実習で時間が自由にならなかったんだよ」
「そういえば、祐子さんが愛明の勝負に対する甘さについて気にしていて、こんなことがあったな」
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「最初の集中力はすごいと思うよ。一回目まず確実に跳んでくるもんね」 「ファールすることはまずないって自信はあるかな。歩幅は安定していると思っているから、助走練習でスタート位置を調整したらまずファールしない。時々ショートすることはあってもね」 「でも愛明は逆転されると弱いんだよね。シーソーゲームってあまり見たこと無い」 「祐子はどんなときも冷静だよな。由美に聞いたことがあるよ。祐子はマッチポイント取られても逆転することができると信じていたって。実際よくマッチポイントをひっくり返してたらしいじゃない。」 「どんなときでも冷静さを失わないように訓練したから」 「どうすればできるわけ?それにブロックを逆に利用していたとも聞いたよ。姉貴はできなかったんだって。直球勝負だから、ブロックに向かっていっちゃうんだよね。祐子はブロックアウトを狙ってたんだって?」 「泰子さんはブロックされるとむきになるからって由美が言ってた。私はブロックアウトになるように相手の指先に当てたりしたの。でも身長差はどうしようもなかった。壁相手には叩き落とされるしかなかった。 でも競った試合は別。勝つチャンスがある以上あきらめられなかった。バレーは負けたらそれで終わりだから。愛明は勝負に貪欲さがないよ。 このあいだも二cm差だよ。逆転された後。 あれもね、一回目に跳んだ後パスして相手にプレッシャかけることもできるんだよ。 越えらるもんなら越えてみろって余裕をみせると、意外に硬くなって実力が出せなかったり。愛明二回目以降も跳んだりするから」
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大学三年の時、国体予選を兼ねた県選手権と愛明の国公立大会が重なって静岡と岐阜に別れて小磯君と競うことになった試合。 愛明は逆転された後、六回目のジャンプで二cm差に迫りながら逆転できなかった。 大学の試合には絶対に顔を出さなかった祐子が岐阜から電話で江上君と連絡を取りあって、江上君が状況を愛明に伝えていた。 祐子が電話でパスすることを伝えなかったことを悔やんでいた試合だ。
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「愛明、一回目にやったよ十五m六十三。相変わらずやつは最初からきっちり跳ぶよ」 「愛明、自己記録だね。小磯君は二回目終わって十五m四十一。さっきから愛明の最初の記録を気にしてる。まだ跳ばないの、どうなったって感じでこっちを見てる。伝えてくるね」
「江上君、愛明抜かれた。十五m六十七だって。小磯君も自己新だ、愛明抜けないだろうって。大丈夫かな。愛明こういう場面で弱いんだよ。」 愛明の六回目は結局十五m六十五、二cm差で小磯君を逆転できなかった。 お互い自己記録での戦いだった。でも二cm差とはいえ、負けは負け。愛明は国体には行けなかった。
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その一週間後に祐子はあの戸隠行きを愛明に持ち出したんだ。祐子たちがインターハイ前にバレーを離れて合宿をしてきた場所で、同じことをするために。 そして愛明は精神的に強くなったと祐子が言っていた。 その後の愛明は相変わらず最初の集中力で他を引き離し、後はじっくり戦況を眺め、逆転された後の跳躍も冷静に集中して一回目以上の跳躍をするようになったという。 事実その年の全日本インカレでは一回目の跳躍でトップになり、その後三位まで落ちたが、二回目から五回目までパスして迎えた六回目、奇麗に決まりすぎてジャンプで普段のタイミングが合わないほど見事な跳躍だったらしい。結果的に記録は残せなかったが、ステップの着地が十一mを越えていたという話だった。 跳躍のリズムを変えることにも成功し、翌年の選考会までには日本記録どころか十七mも夢ではなくなったと祐子が話していた。
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その日私は真理を連れて久しぶりに実家に戻った。愛明も春からの単身赴任以来だといって一緒に岐阜に帰った。 愛明は泰子さんと結婚していた。 泰子さんは東京での美容師生活の後、岐阜に戻り親の残した美容室を再開していた。
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