「愛明ごめんね。 愛明がこれを読んでるってことは、もう私は愛明に会えなくなってるってことなんだ。 愛明、私はあなたを中学二年の時から知ってるんだよ。泰子さんや由美と一緒に優勝を喜んでいたでしょ。あなたの明るい笑顔にすごく惹かれた。 高校二年のインターハイでもあなたを見かけているの。ベスト十六が決まった時も満面の笑顔でコート脇から何か叫んでいたでしょ。泰子さんや由美がうらやましかった。 私が名古屋に来たのはお母さんが学んだ街っていうこともあるけど、あなたに会えるかもという期待もあったの。 神様は私の願いをいきなり適えてくれました。目の前に愛明が現れたんだよ。 あの日愛明と話しをすることができたことで私の運命は変わったんだと思う。 朝グランドで走っている人を見つけ、愛明とわかって散歩を装って見つけてもらおうと。それから一緒に走って。すごく楽しかった。 合宿所で愛明が目覚めた時、私がいて愛明びっくりしたでしょ。あの時話した同室の人の置き手紙なんてうそ、愛明があの部屋にいるってわかって急いで会いに行ったの。 夏の終わりの東海選手権。愛明はベスト八に残って、私を勝利の女神と呼んでくれた。 そこから愛明との旅が始まりました。 去年の夏、県選手権と大学の大会が同じ日になって、私と江上君と電話で状況報告しあったんだよ。 大学の大会を優先していいから記録で競おうって小磯君が協会の人説得してくれて、互いの競技場の電話使えるように配慮してもらって。 結局愛明は二センチ差で負けちゃったけど。 その後二人で長良川の河原を散歩して、愛明が石で水切りしてるのまねて、私も投げたけよね。『ドボン』ってうまくできなくて。『つまんない』とかいってすねてたら、急に 『三段跳びって水切りのようにすればいいのかな?』って愛明が突然つぶやいたよね。 私は技術的なことはわからないけど、愛明がイメージをつかんだってことは理解できた。 でも当時愛明は結果を求めることばかりでどこか精神的なもろさがあった。 『小磯君との対戦でどうして二p差で負けたと思う。愛明競り合った時に勝てないっていうか、シーソーゲームで勝てないでしょ。私達のチームもそうだった。追いつかれたりすると冷静さを失って、逆転されてそのまま負けちゃうことが多かった。そんな時、自然の中に身を置いていろいろ考えてみるのも役に立つだろうと先生に戸隠での合宿を薦められたの。愛明にもそういう時間があってもいいんじゃない。 愛明、集中している時も自分を今ひとつ信じていないような気がする。』 そう言って戸隠に行ってみないって誘ったんだよね。 一緒に過した戸隠での数日間は、私にとって何にも代えがたい日々となってしまいました。 私は愛明と一緒にいる時間が全てでした。愛明が一番でした。 愛明、私を見つけ、一緒の時を過ごしてくれてありがとう。
祐子」
一週間後の一九八〇年六月十一日、日本オリンピック委員会はモスクワオリンピックの正式なボイコットと、自主参加も認めない方針を決定した。
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