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作品名:晴れ渡る夏空 作者:全充

第15回   オリンピック選考会
「だから、気のせいなんじゃないかと思うの。ついこの間までは何とも無かったんだもん。愛明は大事な大会前は妙に神経質になるから。」
 祐子の具合は良いとは言えないけど、愛明の話をしている時だけは顔色が良くなる。

 祐子は三月に愛明が見舞いに来た時
「愛明、私は大丈夫だから気にしないで。選考会に向けてしっかり調整して。お願いだから、愛明のオリンピック、私の夢だから」
と伝え、愛明に見舞いに来る必要はない、オリンピックに専念してと告げていた。

 選考会まで一週間と迫った日曜日、愛明から金曜の夕方に東京に立つとの連絡があった。
 祐子の言葉を伝えたが、痛みを感じてから跳躍練習はしていないとのことだった。
 当日は祐子に教えてもらったテーピングをして臨むと話してくれた。

 日本オリンピック委員会からは、モスクワオリンピックに日本は出場しない意向が示されていた。
 しかしイギリスは国としてではなく選手の自由意志での出場を決定していた。
 日本にも同じ可能性があることを信じ、選考会で標準記録を突破しての優勝にかけるよう祐子は愛明に望んでいた。

 選考会当日、運良くテレビ放映の時間と愛明の試技時間が重なり、様子をテレビで見ることができた。
 去年までなら当然スタンドには祐子の姿があるのだが、今祐子はベッドからテレビの映像を見ている。
 さすがにオリンピック出場がかかった試合、今日は体育センタ所長で陸上部顧問の三木先生が付き添っているはずだ。
 祐子はこの二週間ほど痛みと戦いながらの状態が続いている。
 四月まではそれほどでもなかったのだが、最近は病魔を強い意志で押え込んでいるように思える。
 先生も「祐子君の強い意志だけが頼りだ」と話されていた。

 画面に愛明が映し出された。
 右足にはテーピングがしっかり施されていた。
 最後から三人目の跳躍順らしい。
 日本で三番以内の実力を持っていると認められているということだ。

 助走路に愛明が現れた。
 愛明は深呼吸をして目をつぶる。
 助走から一連のジャンプをイメージしているのだと祐子が教えてくれた。
 目を開いたと思ったら、審判に手をあげいきなりスタートした。
「スピードに乗ってる。あれをやるんだ」
 祐子がささやいた。あれってなんのことだろう。
 愛明はなんの躊躇も無く、踏み切ることなく砂場を駆け抜けた。
「どうしたんだろう?足が合わなかったのかな」と私。
「わざとよ。身体に刺激を与えるのと、二本目の集中力を高めるの。愛明時々やるの。自分を追い込むことで集中しやすくするんだって」

 そういえば、愛明が陸上を止めてから聞いたことがある。
『最近は、観客に手拍子を求め、観客を自分の試技に引き込んでるんだよ。当時は自分で集中力を高めるしかなかった。うらやましいよ』
 愛明もいろいろ考えていたんだなとその時初めて思った。

 一回目は他の選手も緊張のためか、それぞれまだ自分の跳躍をしていない、というような解説がテレビから流れていた。
 再び愛明の姿が映しだされる。
 先ほどと違って、入念にイメージを確認しているのか、ゆっくりと目を開き、審判に手をあげる。
 スタートするという意思表示だ。
 吹き流しはかすかに追い風を示している。
 一度状態を後ろに反らし、反動をつけ助走を開始。
 スピードに乗った助走から踏み切った。
 パシッ、パシッ、パシッ
 祐子が思わずつぶやく。
「あの時と同じ、今回はちゃんとジャンプした」
 確かに、ジャンプの位置は幅跳びの踏み切り板に少し掛かるあたりだった。
 ジャンプする直前に一回、それから着地でもう一回。テレビを通して観客のどよめきが伝わる。
『オーッ!』.....『オォーッ!!!』
 着地点が日本記録の印を明らかに越えているところを画面が映し出す。
 小躍りして愛明が砂場から外へ出てきた。
 スタンドに向かって右手を突き上げる。
 スタンドには江上君達がいるのだろう。
 審判の計測に耳を傾ける愛明。
 画面にも記録はまだ出ない。
 審判が何度も測り直している。

 愛明が手を叩いて喜ぶシーンとともに、電光掲示板に表示された記録が画面に映し出された。
『十六m八十一 日本記録』
「祐子!愛明やったよ」
 しかし祐子から返事が無い。
「祐子?」
 看護婦さんが慌ただしく動きだした。
「先生を呼んで来て!」婦長さんが別の人に指示している。
 祐子は涙を浮かべ、目を瞑ったままだ。
 看護婦さんが叫ぶ。
「意識がありません!」
 (愛明、もういい、早く戻ってきて)
 私は心の中で思わず叫んでいた。
 その時、江上君から私に電話が入った。
 おそらく愛明の結果を電話してきたんだ。
「由美?、愛明跳んだよ!日本記録だ。由美、聞いてる?」
「江上君」
「どうした?沈んだ声だな」
「祐子が」
「何?声が小さくて聞こえない」
「祐子が意識不明になった!愛明に早く戻るように伝えて!もういいからって」

.....

 愛明と江上君が病院に着いたのは、二十二時頃だった。
 しかし祐子の意識は戻らぬまま朝を迎えそのまま帰らぬ人となった。
 愛明は一晩中祐子のそばから離れなかったのに、とうとう祐子と話すこともできななかった。
 気がついたら愛明は病室から消えていた。
 愛明はこんなときは青空を見ているに違いないと思い、愛明を探して屋上に出てみた。
 屋上では従姉の恵さんが十日ほど前に生まればかりの赤ちゃんをあやしていた。
 やはり、愛明はベンチに横たわり空を見上げていた。梅雨前の青空が広がっていた。
 私は祐子から預かっていた手紙を愛明に渡した。


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