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作品名:晴れ渡る夏空 作者:全充

第14回   愛明の怪我(2)
 愛明にとって大学最初のシーズンオフ、祐子が専属トレーナのように身体や健康に気を遣い冬のトレーニングを消化していた。
 しかし春先から足首に痛みを感じていた。
 踏み切るときに激痛が走り、着地した後しばらく砂場にうずくまることが多かった。
 祐子が「医者に診てもらったほうがいいんじゃない」と言っても愛明は「そのうち直るよ。先輩にもらった薬塗ってるし」と取り合わなかった。
 五月のインカレで予選落ちの結果に落ち込んでいる愛明にたまりかねて、祐子は愛明に厳しい言葉をかけた。
「怪我を言い訳に落ち込んでたってしょうがないじゃない。怪我を押して出場したって、部にだって迷惑掛かるだけでしょ。医者に診てもらって、ちゃんと治療しないと、取り返しつかなくなるよ」
「医者に診てもらって直る保証ないじゃない」と愛明は相変わらずなことを言っているので、祐子は少し突き放した言い方をしてみた。
「怪我をしてるんだから、考えなさいよ。無理して試合に出たって何のメリットもないじゃない。直すことが先決でしょ。うちの病院の整形外科の先生に話を通しておくから、ちゃんと診てもらいなさいよ。ほんとに悪化しても知らないよ」
 さすがの愛明も、祐子の剣幕に、しぶしぶ応じ、診てもらうことに同意した。
 祐子はおそらく腱鞘炎であろう、であれば無理さえしなければ大丈夫と考えていた。でも自信はなかった。
 愛明の診察の後、なじみの整形外科の先生に聞いてみた。祐子の予想通り、おそらく腱鞘炎だろうということだった。
 三月に比較的暖かい日からスパイクを履いて練習していたというから、十分暖まっていない足首に負担がかかって傷めたのではないかということであった。
 幅、三段は散々だったインカレではあったが、百mは六位に入るなど、走るのに支障は無かった。
 六月、七月の対校戦だけは何とか出場しなきゃと幅跳びを従来とは逆の左足で踏み切る練習も始めた。
 最も、本来愛明の利き足は左で、高跳びだってハードルだって左足踏み切りだった。
 幅跳びの踏み切りと三段跳びの入りだけは右足でないと感覚的に馴染まなかっただけらしい。
 とはいえ、長年のリズムを変えるのは難しく、最初は助走スピードに負け抜けたような跳躍で記録が望めるものではなかった。
 しかしたまたま岐阜県出身の先輩ジャンパ大橋さんの怪我からの復帰第一戦を見る機会があった。
 愛明が大橋さんの助走を直接見るのは始めてであった。
 そして自分に合うリズムを感じたと言って、一ケ月ほどの練習で自分のものにしてしまった。
 六月には左足踏み切りで自己記録を更新するほどになっていた。
 さすがに三段跳びでは負担のかかるホップ・ステップを逆足でごまかせるほど甘いものではなかった。
 最も最後のジャンプは右足で跳ぶため、祐子としては賛成できなかったので、ほっとした。

 そんな中、七月の県選手権(国体予選)だけは三段跳びできっちり跳び、国体出場の候補であることを示しておきたいと、祐子にテーピングで足首を固定して跳べばなんとかならないかと相談してきた。
 国体の候補は、愛明を三段跳びの世界に引き込んだ小磯君と愛明のどちらかというまでに愛明は成長していた。
 小磯君は、愛明がまだ三段跳びがあまり得意でなかった中学時代から三段跳びの試合で何かと話し掛けてくれた人で、インターハイで入賞したほどの実力の持ち主、当時すでに十五M五十を跳び県内では第一人者であった。
 愛明も足首さえ問題なければ十五Mはいつでも越えられるレベルに達していた。
 祐子は先を考えればここで無理する必要は無いと思ったが、踏み切りで足首の外側方向に力が加わらないように固定すれば一回ぐらいの跳躍ならと了解した。
 試合当日、サブトラックで祐子は愛明の右足首にテーピングを施し送り出した。
 愛明がすこし緊張気味だったので、愛明を背後から抱きしめ、
「跳躍は1回目に集中して、助走練習では跳ばないで思い切り駆け抜けて。マーキングは私がちゃんと見てるから。大丈夫愛明はいつも一本目で決めてるじゃない」とささやいた。
 愛明の緊張が解けるのを感じ背中を押した。

 スタンド最前列まで降りていき愛明を見守った。
 助走練習でもスピードに乗り、踏み切り六歩前の位置も問題無し。
 後は一回目をきっちり跳べさえすれば、小磯君に近い記録が出るはず。

 愛明が一回目の助走路に立った。マークに合わせ前に出す足が逆だ。
 今シーズン踏み切り足を変え幅跳びしか跳んでいないから幅跳びの助走のイメージに入っている。
 祐子は思わず声をかけた。
「愛明!集中して!」
 愛明は祐子の声に気づき助走を開始する動作を止め、スタンドを見つめる。
 祐子は頷く。
 愛明は苦笑いをし、足をマーク位置から外した。
 一度踏み切り板の方向とは逆方向を向き大きく息を吐く。
 その後向き直りマークに合わせる足を変えた。今度は大丈夫。
 踏み切りまで十九歩、スムーズに入り、パーン・パン・パーン、リズム良くホップ・ステップ・ジャンプが決まり着地。
 踏み切り板にうまく掛かりファールはしていない。
 審判も白旗を挙げた。
 祐子は好記録を確信し、思わず腰の位置でこぶしを握った。
「やった!成功だ!」
 記録の発表を祈るように見守る。
 記録が読み上げられる。
「十五M...」思わず祈る。
 審判がもう一度メジャーを当て直し、一瞬の間を置いて再び記録を読み上げる。
「十五M〇一」
 やった、とにかく十五Mは越えた。
 愛明もほっとした表情でスタンドの祐子に手を合わせる。
「愛明、今日はこれで終わりにして!いいでしょ。自己新じゃない」
 祐子は愛明に念を押す。
 結局、小磯君は十五M三十二で優勝。
 でも審判には愛明の成長を印象づけたと思う。
 昨年は十三M九十九だったんだから。
 東海選手権でベスト八に残った十四M五十五を軽く越えたんだから。
 試合後、愛明は言ってくれた。
「しっかりテーピングしてもらったおかげだ。あの一発は全然足首痛まなかった。ありがとう」

 この年、三段跳びはそれが最初で最後だった。一年間右足を封印した。


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