そこはただの広い部屋だった。
マキはその一角でじっと空を見ていた。
次々と流れていく雲を目で追った。
頭の中にあるのはただ「無」だった。
マキは中学、高校のころから周りから「謎めいた女」というレッテルを貼られた。 端正な並びの、でも何を考えているかわからない無表情な顔。友達はほとんどいなく、休み時間も周りの人間と話すことなく、ただぼーっと空を見ていた。 マキ自身、人と話すのは苦手だった。人との会話というものは時に相手の話題に合わせなければならない。それが一番面相くさかった。自分の意見を曲げようとしないほど頑固ではなかったが、自分の興味のない会話なんかしたくはなかった。中学のときにそれに気付いてからは人との会話にまったく関与しなくなった。 担任や親に心配され、三者面談の後に帰った帰り道、空が真っ青に晴れていた。そこに自分という存在を探したが、見えなかった。帰り道、空を見ながら歌を歌って帰った。 自分の好きなところは少なかった。あえて言うならば声。マキは自分の声が好きだった。だから煙草は吸わなかった。誰もいない部屋で歌を歌う。その瞬間が一番好きな時間だった。そこにはいつでも自分の好きな「声」があり、「空」があったから。ある日の帰り道、いつものように空を見ながら帰っていた。だが、急に司会が真っ暗になった。
目が覚めると病院のベッドにいた。隣には母がいた。「あたし、どうしたの。」と聞こうとすると、違和感が走った。自分の声が聞こえない。耳が聞こえなくなったのかと思ったが、母の声は聞こえる。自分の声が出せないことに気付いた。 後で話を聞くと、車が自分に突っ込んできたらしい。そのときに喉の神経をやられたらしく、声が出せないらしい。車が突っ込んできた、そんなことはどうでもよかった。何より、自分の中で唯一気に入っていた声が出なくなったのがマキを絶望に追い込んだ。
あたしの声はどこにいったの?
前以上に部屋に閉じこもった。誰にも会いたくなかった。何回も歌を歌おうとした。だが、自分の声を聞くことは出来なかった。 母に精神病院に連れて行かれた。うつ病と診断。入院することになった。扉を開けたら、何も無い部屋にベッドと棚。そして窓が一つ。そこにはまた青空が広がっていた。神様はあたしを嗤っているのだろうか。
ベッドには腰掛けず、部屋の片隅に座った。窓の空を見ながら口をあけて声を出そうとした。声は聞こえなかった。
そこは「無」だった。
神様はあたしから唯一のものを奪った。
雲ひとつ無い青空を見る顔の頬を冷たい涙がつたった。
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