20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:飛騨の狐 作者:観自在

第7回   7
この一刻後、弥助とお富は頼母屋敷を辞したが、その背後から頼母の手の者が二人を付けている気配を感じて、別々の道を取った。頼母の疑心はこのことで判然としたのであるが、頼母がどのような行動に出るかは二人にも見当は付いていない。

                 (5)
弥助とお富が落ち合ったのは山中の例の小屋である。このとき他の狐はいなかったので、弥助は大胆にお富に迫っている。お富もそれを受けて弥助のなすままにしているが、勤めは忘れていない。弥助の心を奪い取って狐を守る役に仕立てようとしている。
頼母の計略を未然に防がねば角左衛門と狐が滅ぼされるだけではなくて、江戸家老・三浦多門と藩侯の身も危うくなる。ここは、わたしが必死の働きをして頼母を幕府の手で始末させねばならぬ。それには一揆の張本人は頼母であることを明かす役を弥助にやってもらわねばならないとお富は考えていた。
 弥助との濡れ場の後のひと休止で芋粥をすすりながら、お富は自分の考えを弥助にズバ  リと言う。
「幕府が頼母殿を謀反人として処断してくれないかね。一揆が起こってからでは遅い、一揆を未然に防ぐための処置として頼母殿を直ぐにでも捕縛してくれないかえ」
「それでは幕府が頼母を裏切ったことになろう」
「そうでしょうか、頼母殿が弥助さんとわたしのあとをつけさせたのは明らかに幕府隠密を疑ってる証拠でしょう。幕府を裏切るのは頼母殿だと思いますね」
「どう裏切るというのだ」
「領民の負担を軽減し、門徒衆を味方につける藩政改革を藩侯に進言し、それが容れられねば、幕府の改易の企みを洩らし、老中・但馬守の意向を受けた形で藩侯に進退をせまるでしょうよ」
「藩政改革の主導権をとって幕府の意図を葬るか、藩侯を改易で脅迫するか、幕府と藩侯を天秤にかけるというのだな」
「頼母殿は保身のためにはどんなことでもやるお方と見たね。角左衛門殿に危害が及ぶ前に除いてしまいたい。弥助さんにそれを頼みたいのだがやってくれるかね」
 お富は濁り酒を弥助の椀に注ぎながら詰め寄っている、肴は猪の肉の燻製である。
「お富がそこまで言うならば、俺はやらねばなるまい。頼母は幕府の秘密を知っておるから何れは始末せねばならぬ者よ。生かしておけば但馬守のためにもよくは無い。陪臣は哀れなものよな、主君を欺き、公儀に見捨てられるが運命というものだ」
 弥助はすでに頼母抹殺を決心したかのようである。そこには、隠密というよりはお富の虜になった弥助がいるようであった。その姿を見定めたお富は、「風に吹かれてくる」と言って小屋の外に出ると、小屋まで迫る裏山の鬱蒼とした森に向かって、「コンコン」と呼び声を上げた。すると月光に照らされた森から、木霊のように三つの鳴き声が帰ってきた。
 お富が小屋に戻ると、弥助は床に転んで眠りこけている。「男とはかくもたわい無いものか」と、お富は見下ろしている。そのとき、いつの間に入ったのか、小屋の天井には狐が二匹張り付き、庭の竈の隅に一匹が隠れていた。
 弥助が人の気配を感じたのか目を覚まし、あたりを見廻しながら、「お富、戻ったか」と体を起こすと、お富はそれを支えてやる。
「先程のことだが、頼母を角左衛門屋敷に招いて、幕府隠密の威光を示してやろう。われ等に刃向かえば、狐に噛み殺されると脅せばよかろう。角左衛門がまことは幕府隠密の組頭であることを示さば、頼母はたじろぐに違い無い」
「弥助さんの言ってることはよくわからないね。角左衛門さんは庄屋ですよ。狐と何のかかわりがあるんです」
「隠さずとも良い、角左衛門に投宿している旅役者は狐だと解っておる」
 弥助には狐を匿う角左衛門は幕府隠密であるという確信が付きまとっているが、それをいっそう強く信じ込ませているのがお富の存在である。
「狐の仲間はいま何処に居るのか、お富は知っていようが。狐を集めで頼母を打つ謀議をしよう。頼母が気付かぬうちに事は急がねばならぬ」
 お富が弥助は正気なのかと疑う程にこの言葉は激しいものだった。弥助が「頼母憎し」の感情に動かされていることを知ったお富は、この男と組すれば頼母一派から身を守ることが出来ようと確信した。お富が床を叩くと、それが合図のように狐が飛び出して来る。驚いたのは弥助である。「あつ」と声を上げた。
「梅、桃、桜、飛騨の国の春を待ちわびる仲間だよ。弥助さんの助けをして働こう程に、遠慮なく使ってくださいよ」


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 3413