(3) あのとき、角左衛門屋敷の床下に潜んでいたお富は、弥助がお富と見間違った尾由とは一卵性双生児で、体つきも気の動かし方もそっくりだから見分けは付きにくい。角左衛門はそのことを承知していて弥助に、「尾由を抱いて確かめるか」とからかったのである。弥助ほどの隠密がお富と尾由を見間違えるはずは無いと角左衛門は内心躊躇していたのだが、あまりに弥助が尾由をお富だと信じ込んでいる様子から、尾由を弥助に与えて勝負する気になったのである。もし弥助が尾由はお富でないと見破ればそのときは、弥助を生かしておかないつもりだった。弥助は幕府の隠密であるから角左衛門と狐には敵方になる。 お富と尾由が一卵性双生児だったので、角左衛門はこれまでに随分助けられている。ある日、藩侯からの密命で家老・頼母の動静を探ることになったとき、角左衛門がその役に選んだのはお富である。お富は狐にしておくには惜しいほどの器量よしで利口でもあったから角左衛門は格別に重宝にしていたが理由はそれだけではなかった。お富と尾由が傍目には見分けが付かないほどに同じ容姿で体格もそっくりそのまま同一人物と見紛う程だったので、まさかのときに二人を差し替えることが出来るという理由もあった。 頼母の動静を探るためにお富が頼母邸に侍女として仕えると、角左衛門は尾由を間者に送り込み、二人の連係プレーを取らせた。二人が侍女と間者の入れ替わりをすることがしばしばであったがこれを発見できた者は居ない。それで頼母屋敷の動静は途切れなく角左衛門に届いた。 角左衛門は、この藩の侍だったが、藩侯の命令で庄屋の婿養子になり、領民の動静を監視する役をおおせつかっていた。幕府には小藩を取り潰して天領にする動きがあって、この藩も狙われていたのである。幕府の隠密は何処にどのような姿で潜んでいるかわからないが、それを発見するのが角左衛門の任務で、狐六人衆は彼の手下であった。弥助がお富を幕府の薬草探索方と見たのは、お富の巧みな誘導であるが、清兵衛が幕府の里隠れであったことが弥助をそう信じさせる確かな証拠になったのである。 狐六人衆が清兵衛の逃走を助けたのはもとより角左衛門の指示であったが、城の物産方の侍として潜入していた幕府の隠密をもひそかに監視していた角左衛門は、この隠密が清兵衛の逃走を助けるのに乗じて、狐六人衆に七頭の馬を与えて逃亡を成功させたのである。 当時、高山藩は、幕府老中・但馬守の意向を受けた国家老・斉藤頼母派と藩侯派に分かれて暗闘していたが、その間には、幕府の隠密が暗躍し、頼母派にも藩侯派にも目を光らしていた。清兵衛は幕府の里隠れ、弥助は老中直属の隠密、城中の物産方の侍は幕府探索方、それに詳細不詳の幕府の一揆工作方の面々、これに対するに藩侯の隠密・角左衛門と狐六人衆が入り乱れていた。 「清兵衛が捕縛されれば、われ等の身元もばれるやもしれぬ。わしのことは藩侯のみがご存知の秘密じゃ。殿の侍女だったお前達は江戸屋敷のものだったからこの国許の者は面識をもたぬ。それ故、殿はお前達をわしの配下にくだされたのよ。清兵衛が捕縛されれば、かの宿の女中をしておったお富にも嫌疑が懸かり、われ等の素性も問われることにならう。さすれば殿にも迷惑が及ぶは必定。ここは清兵衛を逃して、われらは清兵衛の味方であると、あ奴に思わせるが上策だ。弥助も、お前たちの助勢で清兵衛が逃亡したと知れば、われらを幕府の隠密と思うて警戒心をとくであろう。弥助をわれらのもとに引き入れて、幕府の情勢を聞きだすことも出来ようぞ」 角左衛門がこう言ったのは、清左衛門の逃亡を助けるために狐六人衆を走らせるに先立ってのことである。 狐はその使命を果たしてから忽然と姿を消したが、角左衛門屋敷には、お富と尾由の二人が投宿している。角左衛門は藩の重役のなかにも幕府の要人と気脈を通じるものがいるのではないかと疑って警戒していた。 「弥助は国家老の斉藤頼母と連絡を取るやも知れぬ。八重を城に入れてあるが、頼母一派に覚られぬよう用心せねばならぬ。弥助と顔を合わせることがあれば八重の素性はばれるであろう。八重は狐の頭(かしら)だったから弥助に面が割れている。どうしたものかのう」 角左衛門が珍しく弱音をもらす。すべてに抜かりの無い角左衛門であるが、弥助の出現は思わぬことで、少なからぬ動揺を与えている。 「弥助が頼(よりとき) 候とわれ等の関係を知れば無事では済まぬ。謀反の志ありとして幕府より厳罰が下るは明らか。農民一揆が起きようものなら直ちに改易となろう。照蓮寺の門徒衆に藩祖・長近候以来、格別の配慮をしてこられたのも一揆を起こさせぬためじゃが、一揆を唆す間者どもが農民に化けて入国しているフシもある。家老・頼母と幕府の策略だと見当はついている」 「弥助をおびき寄せましょう。わたしは弥助に幕府の隠密と信じられているから心を許すでしょうよ。頼母の策動も弥助から聞きだして見せましょう」 お富が身を乗り出すようにして話すと、角左衛門も顔を突き合せるように上体を傾ける。二人が自然に取った密談の姿勢である。 (4) 家老・頼母の屋敷には厳重な警戒が敷かれていて容易には近付けないのだが、弥助は堂々と正門から入っている。その身なりは格式のある武士の姿で、案内に出た侍に書状を差し出した。その者が屋敷内に消えてしばらくすると、頼母自身が玄関に姿を現し丁重に出迎える。二言三言喋って二人は座敷に向かった。 弥助は部屋の上座に座り頼母に相対している。 「老中但馬守さまのご書状、確かに拝見仕った。御心労をおかけいたし申し訳なく存知居りますと頼母が申していたとお伝えください」 「承知いたした。但馬守さまの申されるには、事は急がねばならぬと。藩侯にはこちらの動きを察知し、頼母殿の身辺を探っているらしい。農民どもに一揆を起こさせるよう、早急に策を講じてもらいたい。改易に及ぶほどに大掛かりな蜂起をなさしめよとの老中殿の命を受けておる」 二人の話を天井裏で聞き取っていたのはお富である。お富は屋敷に忍ぶと、八重を逃走させている。弥助と八重が顔を合わせると面倒なことになるという角左衛門の言いつけに従って、頼母の偽書状を八重に持たせ、侍の検問をすり抜けさせたのである。 お富自身は、天井から降りると屋敷外に出て装束を鳥追い姿に変えて門前に立った。それを見咎めた門番に、お富は、 「頼母様のもとに参上している弥助の連れでござんす。こちらにお伺いするように言われたお富が来たとおっしゃってくださいな」 と告げて金子の包みをその男の胸に差し込んだ。門番が庭内に早足で戻ると、引き換えのように侍が出てくる。侍が近寄ってくるとお富は、清兵衛宿で教わった幕府隠密の符牒を耳元に告げる。侍から知らされた弥助が慌てるように出て来た。その足音が廊下を渡るのをお富は緊張した面持ちで聞き止めている。弥助はお富の姿を見るなり顔を強張らせて、 「拙者が此処に居ると誰がそなたに告げた」と、詰め寄るように言った。
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