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作品名:飛騨の狐 作者:観自在

最終回   10
               (8)
 この事件は、老中・但馬守が高山藩国家老・斉藤頼母の病気見舞いと称して高山藩邸を訪ね、その返礼に藩主・頼(よりとき) が但馬守の屋敷に伺候するという形で落着した。その直後、頼母は病死している。
「狐もお役目を終わり姿を消すか。 角左衛門殿はいかになされるおつもりかな」
 車座になった女たちのなかでお富が晴れやかな声をあげていた。
「飛騨の国許には戻りたくない」
 そういっているのは梅である。傍で頷いているのは桃と桜だった。三人ともに二十歳前である。若い娘には江戸がこの上なく楽しい。八重と尾由は思案顔で黙っていた。
「弥助さんとはいまも付き合っているの?」
 尾由が突然、意外なことを言った。言葉を向けられたのはお富である。他の狐が一斉にお富を見た。お富が戸惑っている。
「弥助さんは、わたしたちが藩侯の隠密だったと知った今、何を考えていなさるか」
 八重がお富に目をやりながら呟いた。
「いい男だったよね。隠密でなかったら惚れあいたいくらいだった」
 尾由が本音を洩らすように言った。
「みんな、いい加減にして頂戴、弥助とわたしの仲に疑いをかけているのでしょう。はっきり言うわよ。弥助とわたしは清兵衛宿の頃から出来ていたの。隠密が恋をしてはいけないという掟を破ってね。今度の事件を解決する筋書きは弥助とわたしが書いたようなものよ」
「それじゃあ、組頭の角左衛門殿を騙していたのね」
 八重が許せないといった口調で言った。
「組頭殿は承知されてました。この事件が終われば弥助と他国で暮らせとまで言ってくださった」
 さすがにこれは思いもかけない“事件”であった。
「組頭は、頼母護送に先立って、このことは、弥助殿にお富から、御手出し無用と伝えて
置くことだ、これが仁義じゃといわれた。組頭と弥助は敵味方を超えて仁義でむすばれていたのよ」
 お富はそのときのことを述懐するように言い、自分と弥助の恋を許してくれた角左衛門に感謝したように涙をこぼしたので、狐たちはしんみりとなり、角左衛門の懐の深さに感動した。 
 この頃、角左衛門は弥助を茶屋に招いて密談している。あの事件以後、二人が会うのは初めてであった。
「幕府にはわが藩に対しどのような処置を考えておられるのか。当面は難を避けえたものの今後のことがなお心配でならぬ」と角左衛門が切り出すと、弥助は、
「そのことだが、一旦は落着したものの、あの地は鉱山や山林に恵まれ資源豊な土地であるばかりか、軍事的にも要害の地であり、公儀に置いては天領とする意向があると聞き及んでいる。藩のわずかな落ち度も改易の口実となろう」と告げている。
「われ等が努力も無用と申すものか。して、弥助殿はこれからいかになさる。お役目を続けなさるのか。わたしは狐を自由にしてやるつもりじゃ。このままでは不憫でならぬ。幕府と藩の間に身を置かせて苦労をかけても所詮は無駄なことと、弥助殿の言葉から読み取った」
「角左衛門殿ご自身は何となさる?」
「藩侯に隠居を願い出る所存じゃ。跡取りは居ない故、後顧の憂いも無い」
 角左衛門の顔には苦労がにじみ出ていた。庄屋の務めにも限度を感じていた上に、隠密として狐たちを束ねてきた日頃の疲れも出ている。国家老・斉藤頼母にも哀れを感じていたが、その思いが自分に跳ね返っているように見えた。
 これから数ヵ月後の元禄五年七月二十八日、頼(よりとき) 候は出羽国上ノ山に転封された。理由は「家中取締不行き届き」である。金森家による高山の治世はこれで終わり、以後、飛騨は幕府直轄地〈天領〉となる。このとき、弥助とお富は、飛騨山中の例の狐小屋に居た。               (了)


 





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