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作品名:終末人形 作者:砂野徹

第9回   十字路へ
客は吹き上がる水蒸気のように天井にぶつかって広がり消えた。
ウェイトレスは驚かないのだから人間ではない。扉が開いて麦原ヤモが
現れた。
「いらっしゃ」「ヤモ答えるな!」
リコは叫びながら肩の高さに跳んで、人形の背中を蹴った。後ろから
蹴られた人形は勢いよく飛ばされて・・・エーテルは空気と同じ重さで、
関節は金属だが外殻はプラスチック的な軽い材質である。体重10キロ未満
だろう・・・ヤモの近くで顔から床に激突した。仮面が割れて、「素顔」が
現れた。エル人形のような笑顔ではなく不気味なデザインである。
ゆらりと立ち上がり、リコの方を向く。
「答えると消されるぞ!」
リコは傍の円筒花瓶をつかむと、野球投手と同じフォームで投げた。
円動作の遠心力により水が入ったまま花瓶は飛び、花は途中で抜けて空中に
並んだ。花瓶は人形の顔に命中した。円筒は縦の衝撃に強いのでこの程度では
割れない。

ばーん!

派手な音をたてて人形の顔は壊れた。花瓶の底に押し戻された水が放物線を描く。
顔の亀裂から勢いよく帯状にエーテルを噴きながらあおむけに倒れる人形。
リコは水を避けつつ数歩進んで、跳ね返った花瓶をつかんだ。エーテルは
天井付近でよどんでキノコ雲のように自体内にもぐりこんでは外に流れ出る
動きをしながらしだいに停滞すると、知らない女(本来のウェイトレスだろう)の
顔になった。それはヤモの方を向いて現れたがリコの方を向き、
「ガレドリームへ・・・」
と言いながらぼやけて、エーテル全体が霧散した。床には動かなくなった人形、
たくさんの衣類、その上に花が散らばって店内のエントロピーは甚だしく
増加した。
「どどどど・・・どうなってるんだ」
カウンタの奥からマスターがあえぎながら発言した。他に客もかなりいる。
人形から遠い者は溶けなかったのだ。リコは
「(ヤモに)局のアドレスをみんなに教えて。
 あとでメールで説明するわ。(マスターに)店の被害は私が補償してあげる。
 (誰にともなく)カレーとグラタンは他の人が食べてもいいわ。」
と言いながら自分の席の鞄と(掛けて来た)仮面を持つと、風のように立ち去った。

[森の椅子]とヒューマシン社はひとつの交差点をはさんで百メートルほどの
距離である。信号が赤なのでリコはたちどまった。仮面はつけずに眼鏡状の
ツルを左手のひとさし指でひっかけて持っている。他の指は肩から下げた鞄の
紐を軽く握っている。仮面をつけないのはこの際どうでもよいからだ。尾行して
いた写真誌の男は訝りつつシャッターを切る。リコは考える。印象としては天界が
人界を侵食しつつあり、それは加速されていてこのままだとダムが決壊するように
人界が崩壊するのではないかと思える。なんとかしなければならないのだが、
どうにもならない可能性が大きい。しかし明るい材料もある。ガレドリームへ
行けという言葉が私に限定して向けられたことだ。造形にも思考にも「粗」と
「密」があり、いずれもたいてい粗→密の順がよい。先にこまごま考えても
前提から間違っていて無意味ということが多い。が、一方で行き詰まったら
他方に転じるのは賢い方法である。リコはこれを迷路踏破と名づけた。

デジタルな逆転のポイントがあるのかもしれない。あるとしてもタイムリミットは
わずかなものだろうが。エーテル人形の言動には方向性があるようだが整合性に
欠ける。自律ロボットの限界とそっくりだ。人形には自意識が無いのだろう。
気絶したボクサーは負けてしまった。より高度な行動すなわち個体性(種性の対義語。
精神の個体差は高等生物ほど大きい)の高さには自意識が必要なのだ。(だからと
いって西洋科学的にそれに応じて自意識が生まれたとはならないが)物理的に宇宙が
存在するためには自意識に記述されることが必要といいまわすことができるのかも
しれない。精神こそがすべてであり物質はその現れ方の一種なのだから。
・・・いずれにしても人形の外殻は物理的に製造されたもので、工場はガレドリーム
である。それを停止させることは我々にとってすくなくともマイナスではないはずだ。
ではなぜ人形はそこへ来いと言うのだろう?黙っていたほうがよいではないか。
機械的挨拶的にそう言っているだけなのか。あるいは自分たちの生産を停止して
ほしいのだろうか。こう考えながらリコは交差点の向かいとその左右の歩道の、
多くの人間の中のあわせて4人の仮面の女に注目した。二人は背が高くひとりは
低くひとりは中間である。ガレドリームで単一の型から人形を量産しているか、
さまざまな型を用いているかはわからない。しかし単一の型がエルの体格と一致する
確率は小さい。信号が青になり夥しい人々は歩き始めた。リコも交差点の中心へ向かう。
頭脳は粗と密の十字路を踏査している。
「あれ米山リコじゃない?」
誰かが遠くで声をあげると、同じ言葉の押さえ気味の輪唱が起こった。


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