リコは弾かれたようにドアを抜けて、ボクサーとは逆側の廊下に出た。 そこには事務員マネキンがなぜか倒れていた。(この時一階の量産マネキンも、 街中のマネキンもみんな倒れて動かなくなっていた。内部のエーテルが エリートに吸収凝縮されたのかもしれない)リコは外部通路への出口を抜ける。 途中手にしたモップを外からつっかい棒にして扉を閉じた。しかしボクサーは その出口へは向かわずエレベーターを使った。リコは使わないと読んだが、 これは構造上、箱の屋根に載って二階に降りて、屋根から退いて箱を元通りに 上げ、つぎに箱に入って降りるという手間がかかるからだ。しかしそれを省く ために実は箱の屋根が上に向かって観音開きになるのだ。リコは走りながら 考える。一階にある武器とはなんだろう。たぶん工作用のドリルか、 ガソリンとライターだろう。火炎瓶かもしれない。流介が戦闘を考え作って おいた可能性がある。当てるのが難しくても床に叩きつけてボクサーと一帯を ガソリンで濡らして点火すればよい。炎で包めば、すくなくとも外殻は変化する。 溶解はしなくても膨張によりどこか動きに支障が出るはずだ。そうなれば勝機は 大きい。彼女が16メートル通路を3秒ほどで渡った時すでにエレベーターは 一階に着いているタイミングだった。しかし実際は一階の天井から 1メートルほど下降したところで止まっていた。ゴリラが下から支えて止めた のだ。多用途作業機であり高さ3メートルの脚立としても使えるのである。 三階の仮面カメラは社長の机と反対側の壁近くに立ててあった。 ヒューマシンスタッフからは状況がずっと見えており、流介に告げたのである。 ボクサーに蹴られた社長の丸椅子が仮面三脚を倒さなかったのは幸運だった。 リコが一階内の金属階段を跳び下りるとき、ボクサーは箱の中でひざまずいた。 こちらも飛び降りるつもりだ。階段を下りたところに火炎瓶とライターが 置いてある。流介はパソコンからやや離れて、エーテルボンベから伸びた チューブ先端の棒部分を抱え、銃のように構えている。ボクサーはなかなか 飛び降りなかった。ゴリラがエレベーターを大きく不規則に揺らして、妨げて いるからだ。リコは階段を下りて、火炎瓶を取ろうとしたが流介が叫んだ。 「リコ!俺が撃てと言ったらZを打鍵しろ」 階段とパソコンは数メートルの距離だ。リコはそこへ吸い込まれるように うずくまると 「わかったわ」 と静かに応えた。科学者が 「ゴリラ止まれ!」 舞姫が 「決戦単体!私はここよ」 と呼びかけると揺れる脚立は鎮まり、ボクサーは3メートルの高さを飛び降りた。 その軽い体は着地の際深くかがむでもなくすっくと立ち直ると二人の人類に 向かってふたたび戦いのフォームを・・・ 「撃て!」 リコのひとさしゆびは決着のキーを押した。 流介の銃からは輝く闇とでも言うべき黒く細長い80センチほどの弾丸が 音も無く直線を飛んだ。それはボクサーの腹のやや脇に突き刺さり、埋没した。 彼の動きは一瞬止まり、やがて腹から黒い闇が細く噴き出すと、その噴射に 押されて立ったまま自転を始めた。黒い輝きは噴き出し続け、彼の周囲に スプリング状のオブジェを形成する。スプリングはそれ自体しだいに膨らみ、 また全体の形も緩んでゆく。その黒い筒はボクサーの姿をすっかり包み、幅広く 太ってゆく。高さ2メートルあまり太さ5メートルほどだ。そこからボクサーは 踏み出した。まだボクシングのフォームとフットワークでゆらゆらと進んでくる。 リコは立ち上がり、闘竿を振って伸ばし棒状に固定し構えた。ボクサーの 足取りはリコまで届かず、ファイティングポーズのまま前に倒れて鈍い音を 立てると、動かなくなった。歩み寄っていた流介は、 敬意を表してカウントを取り始めた。
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