夕子は化粧に時間をかけなくなった。むかしは鏡をいつまでも見ていて、際限がなかった。満足するまでにはかなり時間がかかる。早く起きれば済むことだが、最近は仕事で帰りが遅く、朝は遅刻寸前まで寝ていたかった。仕事か化粧かといえば仕事をとった。そのことをそれほど彼女も自覚してはいなかったが。 いつものように、眉を引き、薄く口紅をつけると、食事もそこそこに部屋を出た。満員電車に揺られ、一時間ほどで会社に着く。既に社員は来ていて、彼女は最後のひとりだった。彼女が現れると同時に朝礼が始まった。 40名ほどの社員を擁すこの会社は新橋のKBビルの3階にあり、主に大手求人誌の広告代理店だった。社長はその大手求人誌発行会社から独立し、代理店経営をし、既に六年経過した。創業当初より社員は約五倍にふくれあがった。当初社長の横山と二人の社員で創めたのであるが、やり手の横山の強引な社員引き抜きで、人材を集めた。朝霧夕子も横山社長に引き抜かれた口である。彼女はその大手求人誌発行会社の社員であったが横山社長が辞めたニ年後に彼に引き抜かれた。横山は確かに女性受けはよかった。A大のフランス文学科卒という噂で、感受性豊かな半面、豪胆な面も兼ね備えていた。繊細な気遣いを見せるかと思うと、厳しく人を叱責することもしばしばあった。しかし、それは根が深くなく翌日には何事もなかったごとくあっけらかんとしていた。そんな横山の人柄を慕って、転職する者もいた。役員の内田や、部長の佐藤などがそうだった。 夕子は午後中途採用者の面接に立ち会う予定のあったことを思い出した。上司の石田課長が出張で、その代役を任せられていたのだ。総務の部長と一緒に面接官にならねばならなかった。彼女の部署では一人の営業担当者が必要だった。彼女は豊製薬との商談を夕方に延ばさねばならなかった。 「仕事のことしか考えていないのだわ。」と彼女は思った。面接のことはどうでもよかったのだ。それに代役はいくらでもいる。なんなら総務部長一人に任せてもよかった。社長も役員もいる。彼女が任せられることはなかった。石田課長の指示を安易に受けてしまったのは、まずかった。いざとなると彼女にとって煩わしいことになってしまった。
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