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作品名:オトズレ 作者:ENOKU

第1回   1
【オトズレ】



君、迷子になった経験はあるかい?


―――第一章―――



―――春が訪れて、また日が照り付ける季節が着々と近付き、他の桜が緑の葉に着替えようとしている中。時がズレてしまっている様に。錯覚、目の前の桜だけは、どうしてか、未だにその花で枝を着飾っていた。

生暖かい夜風が桜を撫で上げ、小さな花弁が散らされて一つの空間が出来上がる中。それを何時の日かと同じく雨の様に浴び続けながら、それに呆然と、その美しさに見惚れ続けている。根元の地面で仰向けに伏し、自分の体が段々と冷たくなってゆく感覚に流されながら、季節という時間から脱線した桜の美しさに酔っていた。

―――いや、本当は酔っているというよりも、夢を見ている感覚に近い。

満月の月光に妖しく照らされる色は、自分の状態がどうなっていうのか気にならないくらいに綺麗で。日に照らされている時とは比べ物にならない程に儚くて、まるで月夜にのみ姿を現す幻想の如く眼を奪われる。

月は不思議だ、遠くでしか見る事が出来ない美しさは、実際に月へ到着してみれば唯の朽ちた岩肌でしかないというのに。それをいうならば地球もそう、宇宙という空間に出て初めて、自分達が足で踏み締めている『地球』という名を冠した星の美しさを理解する。

そして、その美しさを根源を支えているのが、それを照らし出す太陽の存在。月も、地球も、他の星も。太陽という身を焦がしながら光り輝く炎の存在がなければ、その美しさを表す事は出来ないのだ。

数少ない例外を抜かせば、光という存在は常に人の価値観に対して美を付属させる。考えれば、光を失えば人の眼球は物質を視認出来ない。しかし逆をいえば、光そのものが『美しさ』とも捉えられる。太陽の光も、月の光も、どちらも相反でありながら同一であるというのに。

やはりその互いの美しさを区別するのは、それだけ人という存在が、光に対して魅入られている証拠なのだろう。それに照らされる桜も日本人独特の価値観というべきか、太陽によって反射される光を浴びているだけだというのに、まるで別物のような存在となる。

ある意味―――人は、光の強弱で簡単に美を見出してしまうのかもしれないと、目の前の美しさを素直に受け入れられない、捻くれた部分の思考が力無く口を歪ませる。

―――ああ、なら。
この眼に映る桜はきっと月光で生まれた錯覚なのだろう。

桜が、どうしても桜色に見えないと、誰かが言っていた。
自分は、その言葉に人の血を吸っていないからだと、そう答えた。

―――ああ、全くもってその通り。
桜という雨で濡れた地面、麓で血を零して倒れている僕の『命』を吸って。
桜は、この世の物とは思えない程に美しく/醜く、そして赤く色付いているのだから―――

―――そして、その空間の中で。
白く、白く、まるで世界の異物であるかと思う程、真っ白な、人が。全ての光を反射してしまいそうな程に純白な誰かが、自分を見下ろしていた。

「―――ああ、アレだけ忠告したのに。君って奴はどうにも、ワタシの『急がば回れ』を理解していなかったみたいだね。

音がズレた事に気付いたら、決して振り向いてはいけない。

オトズレからは逃げられない。
オトズレからは眼を背けられない。
オトズレは消せない、殺せない。

オトズレは―――忘れた頃に、訪れる。

ああ、来るよ、迎えに来るよ。
泣き喚き迷子の『オトズレ』が。

さぁ、オヤスミ。
そして、オハヨウ。

次からは気をつけてね、合わせ鏡の住人さん」

赤く咲き誇る血の花、その麓で、同じくらいに美しい/醜い人の形。
きっと、この人は光に照らされて、遠巻きの視認でしか美しく見えない星と同じ。
美しいのはこの人では無く、きっと、彼女を存在させている世界が美しいのだろう。

そんな曖昧で、何処か揺るぎようの無い美しさの。
とても白い人に、僕は―――優しく、息の根を止められたのだ。


【遭わせ鏡】


『一月兄ちゃん、何を書いてんの?』

見覚えのある風景。夕焼けに水面を橙色に染める川辺の傍、道路の橋が向こう岸にまで繋がり、その下を時々船が通る大きな川。其処でスケッチブックらしき物に絵を描く人影に、誰かが話しかけている。

『……ああ、フヅキか。絵を描いているんだよ』

スケッチブックに描かれた風景画は、黒い鉛筆のみで書かれたシンプルな物。けれど、影や光などの表現や細かい所まで描写しているソレは、贔屓目をしなくても素晴らしい風景画だという事がわかる。黒一色で構成されているというのは一見して蛋白だが、非常に味のある絵だった。

『わぁ……』

素早く白い画用紙に描き、作られてゆく一つの世界を見ている二月と呼ばれた少年の眼は、魔法か何かでも見ているかのように輝いている。それもそうだ、その黒鉛筆を走らせる手は絵を書いているとは思えない程に素早く、それでも確実に小さな絵には風景の写し身が描かれているのだから。

『僕が描いた絵なんて、大した事ないよ』

弟の覗き込んだ反応に何か感じたのか、作業を一度止めて左側から覗き込んで来ている弟へ視線を移す兄。

『何けんそんしてるんだよ、俺は上手いと思うよ』

幼い少年がその絵に、それを描いている兄に子供らしい素直な感想を述べる。それが恥ずかしかったのか、兄の方は開いて膝の上に置いていたスケッチブックを閉め、立ち上がって首を動かした。其処からは何かが折れるような音が鳴り響き、それを聞いた弟がビクリと、体を一瞬震わせて驚いている。

『く、首折れるんじゃないか?』

そんな弟の態度が面白かったのか、兄は小さく笑い、そして幼い少年の手を掴み、夕日に染まっている川を沿って歩き出した。

『帰ろうか、二月』

『あ、ちょっと待てよ兄ちゃん。いきなり歩き出すなよー』

弟らしき少年も、嬉しそうに手を動かしながら付いてゆく。その途中、兄が脇に仕舞い込んでいたスケッチブックを弟が引っ張り出そうとしている。どうやら中身を見たいらしく、それに気付いた兄もすんなりとスケッチブックを渡し、蝶結びになっている紐を解いて弟に渡す。

『兄ちゃんは、どうして色使わないんだ? いっつも黒しか使わないよな?』

弟が開いたスケッチブックには、数枚程の弟も知る場所の風景画が描かれていた。その枚数は余り多くは無く、精々五枚程の少ない量。しかし、どれも完成度は高く、練習する為に描かれたそれらしき絵は見当たらない。

一枚目、よく弟も遊んでいる公園のベンチから眺めた風景。
二枚目、同じく公園のベンチから、前の絵と繋がるようになっている風景。
三枚目、家の二階から覗くと見られる、町全体の風景。

どれもが黒一色で描かれた絵、その黒以外が存在している絵は一つも、このスケッチブックには無い。

『ねぇ、なんでさ?』

弟もその事が気になっていたのか、横を歩く兄を見上げながら質問する。その質問に対し、兄は少しばかり考えるような素振りをしながら弟の持つスケッチブックを閉じて仕舞い―――思いついたように、

『理由は……得に無いよ、黒鉛筆しかなかったんだ。一枚目を黒一色で描いたから、統一しようと思っただけだよ。別に意図は無いね』

その答えは何とも現実味のある、ありふれた答えだった。何かもっともらしい理由を期待していたのか、弟はがっかりした素振り歩きながら呻いている。それから、会話は続かなかった。けれど弟は何とも楽しそうに兄の手を振りながら歩き、兄はそれに従う形で手を振られながら帰路を歩く。

川沿いの土手道を歩き、住宅街から少し離れた小さな山を階段で登って我が家を目指す。
その山の中腹にあり、中庭から街を―――花枝市全域を見渡せる場所にある、赤色屋根の家が、彼等家族の住む家。小さくも無く、大きくも無く、だが確かに人が住むに対して役目を立派に果す住処。

常葉(ときわ)・光助(こうすけ) 海奈(かいな) 一月(いつき) 二月(ふづき)

銀色の鉄板に黒い文字で記された表札、それが彼等の家族構成だった。現代の日本においては全く持って平凡な、父と母と兄弟二人の四人家族。手に余る訳でも無く、足りない訳でも無いその数は、皮肉にも日本という国で忌まれていた筈の数字と同じの、けれど現代では何も不思議では無い『お馴染み』の数だった。

『お母さんただいまー!』

『ただいま』

茶色い木製で作られた玄関口を開け、弟は元気良く、兄はそれに続くように少しばかり小さく言いながら家へ入ってゆく。それを出迎えるのは母親だろうか、直に夕日は完全に沈み、夜が訪れて父親が帰り、家族四人が揃う夕食が始まるだろう。

父親、母親との雑談を交わし、体の汗を流し。夜になれば弟から夢に旅立ち、兄、そして親と、完全に寝静まり、次の朝を迎える。そんな毎日、別段に変わった事も無いけれど、裕福というには十分な、幸せな家庭。

―――過去の思い出、その幸せだった過去の一日を再現する夢に終わりが差し掛かる。これを夢だと気付いたのは―――正直、夕焼けの部分から気付いていたのだ。人にとって夢と現実の区別は非常に重要だ、どちらが自分にとっての幻想で、どちらが自分の生きている現実なのか、それを区別というよりも履き違えてしまう。生憎、自分はまだ正常であり、現実に居る事を望んでいるから、これが夢だと分かる。

子供の頃は分からなかった現実という幸運。幸せ過ぎて、今の自分にとっては掛け替えの無いものだったのかもしれない。夢は、過去に起こった幸せを再現してくれる。それはとても現実のような夢物語で、存在したらどんなに救われたかという現実逃避。全てを投げ出して逃げてしまいたいという欲求は無くは無い、もし叶うのなら、きっと自分は戻りたがっている。

―――けど、所詮は夢。
確かにその世界はとても魅力的で、抗えなくなりそうな誘惑があるけれど。同時に酷いくらいに錯覚だらけで、継ぎ接ぎじゃない部分なんて一つも無い、虚ろで閉じきった空間だから。

だから、現実に戻ろう。
自分の見る夢の環境に感謝、一日の度に過去の残影を見せてくれるのは、正直に嬉しい限り。しかし幸せだけじゃ駄目なのだ、生きてゆくという事は、きっと苦しみと同価値なのだから。

―――ああ、夢が覚める。
精神の作り出す小さな現実逃避の一日はこれで終わり、あとは、本当の一日を過さなければ。


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