前略 一別以来久仰です。その後益々ご健闘されているとの事、大慶に存じます。 貴名宛の手紙を私はもっと早く出すべきでありましたが、今まで延引した理由として以下記する状況等に之に因って生じた事務の整理多忙のため、亦私個人の環境の変化によって到底筆を取る気持ちに至らなかった事等を挙げたいと思います。 安東出発より日本到着迄の私達遭難者の行動については既に二月十一日(注・昭和22年)附の各新聞紙上の報道によって大略判明したことと思います。私は今更惨状眼を覆わしむる過去を追想し、之を語ることを好まないのであります。が、しかし私と貴兄とは過去に於いて在安邦人の日本送還事務の一部を担当し、就中第五街に対しては最も責任を有しており、特に私は十月二十五日以後、即ち民主連盟員の安東撤退を契機として邦人送還に対しての責任を第五街的なものから安東全市的なものにまで拡大せられてしまいました。 以上の理由によってこの貴兄宛の手紙に於いて私は語るに好まざる事を語り、貴兄も亦その理由によって徒に過去を語る私の態度を寛容して戴きたいと思います。 とりわけ私は帰還の途次に偶発的な遭難に因って自らもその渦中に於いて惨状を体験し、遂に家族の全部と永遠に別れ去ったことは私の生活史中の最大の打撃であり、帰還前に構想していた帰還後の生活プランは全面的に破綻してしまったものであります。 その故に私は只今田舎に距蹟して将来の生活のついて新しい角度から再び構想を練っているのであります。此度の心理的打撃の深刻さは只単なる一片の慰安婦的な言辞によって癒されるものではなく、私の将来の生活過程に於いて漸次解決せらうるべきものでありましょう。
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