『あの日』
あの日、2分間ほどの激しい揺れにさらされながら
「隣町で一人暮らしのばあちゃんは大丈夫だろうか
これほど揺れていても、ここが震源ではないだろう
そして、震源付近では未曾有の事態に違いない」
僕はそんなことを考えていた
電気、水道、電話、みんな止まった
まだ3月の青森はストーブなしではいられないが、
電気を要するストーブは無意味で
テレビやパソコンも使えずに
頼りになるのはラジオだけだった
24時間後、電気や電話も復旧して一安心
ただ、お店から商品が無くなってしまった
ガラガラの陳列棚の中にあるのは酒とタバコ
「水がないならお酒を飲めばいいじゃない」
マリー・アントワネットのような言葉が頭をよぎった
ガソリンスタンドでは長蛇の列で
給油までに30分以上はかかった
しかも、一人10リッターや1000円分まで
そんな給油制限も設けられており
トラック野郎の怒鳴り声が響いていた
怪我をしたわけではない
2,3ヶ月間、不便だっただけ
あの日のすべては教訓となった
周りの人々が無事だったから
何より、今も僕は生きているから
2014年3月10日作 2014年3月23日ラジオNIKKEI『私の書いたポエム』放送分
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