[法曹夢未実現革命軍]の出現
菊野文彦はソファーに身をしずめ目を瞑(つぶ)った。
[菊野弁護士の回想] 実は、法曹夢未実現革命軍の総司令官としてマスコミを騒がせた黒井雄太という男は 優秀な司法試験受験者だった。答案練習会では優秀賞を受賞して合格の可能性が高い と評価され、司法試験の本番でもいい線をだしなかがら、合格点すれすれのところで、 なんども合格のチャンスを逸していた。それで50歳も半ばを過ぎた現在でもなお受験を つづけているのだった。しかも自分が受験をつづるだけではなく、自分とおなじ境遇にある者つまり「合格点の評価について年齢差をつけられている同士」を結集して「法曹夢未実現革命軍」を結成したのだ。それというのも違憲の疑いさえ論議されるような不適切な司法試験政策を強行する司法試験管理委員会という司法界の行方を左右する強大な権力に対抗しているのだった。わしには黒井の気持ちがよくわかる。 花園委員長殺害事件で黒井雄太が起訴されてから、わしは必死で被告人のアリバイを 証明することができる訴訟資料を捜(さが)しまわった。多摩エリアにおいて被告人が出入りしそうなレストランやバー、飲食店などを虱潰(しらみつぶ)しにあたってみた。 それはアリバイ捜しをはじめて一カ月ほど経った夕刻だった。わしは中央線日野駅にほど近い寿司店松寿(しょうじゅ)の暖簾(のれん)をくぐった。 マスターの須司握三さんが事件当夜、黒井が来店していたことを記憶していた。 わしは、このマスターを証人台に起たせ、花園委員長殺害事件当夜における黒井被告人のアリバイを立証した。その公判廷でわしは、駄目押しに公訴の取り下げを迫った。検察側は公訴を取り下げ、黒井は釈放されたのだ。 マスコミは法務司法省の高級官僚殺害事件の被告人が釈放されたと派手に報道してくれた。これだけマスコミを騒がせたのだから、黒井の当初からのもくろみは効を奏したといえよう。 法務司法省の高級官僚殺害という事件の重大性から、東都地検と警視庁捜査一課とは 合同捜査を継続している。その総指揮を執っている竹中輝夫検事にしてみれば、花園委員長殺害事件を解決できないで焦りだした矢先に法務司法省の直属のエリート女検察官剣山切子検事殺害事件が発生してしまった。 竹中検事の苛立ちは、わしにもよくわかる。 井の頭公園第二殺人事件の被害者剣山切子検事は、東都大学法学部在学中に司法試験 に最終合格したエリートであることはわしも識っていた。しかもだ。法学部3年のとき、初めて司法試験を受験し、処女戦でみごとに合格したのだ。司法試験の合格者には10年選手がかなり多い。案外、順調にいった人でも3回は受験しているはずだ。現にこのわしも3度めの合格者だった。法務司法省としても、受験回数3回くらいの合格者を歓迎しているらしい。 このレベルの合格者は23歳から24歳くらいだから若手検察官の員数確保という政策的なメリットも期待できる。これに対し、10年選手組は司法試験浪人ないし社会人ということになってしまい中高年合格者となってしまうのだ。そのうえ実力十分なキャリア組は、司法修習生として司法研修所を卒(お)えるとほとんど収入の多い弁護士稼業にながれてしまう。だから法務司法省には歓迎されない合格者だ。ひとりの司法修習生を一定の期間、実地訓練教育し、裁判官、検察官、弁護士業務などの実務をこなせる法曹に育てあげるためには数百万円の予算が投入されなければならない。これだけの投資をしている法務司法省にしてみれば、弁護士の途を選択されたのではたまったものではない。かといって検察官への任官を強制することもできない。そうだとすればなんらかの代償的な政策をうちだすしかない。そこで法務司法省は司法試験の「短答式試験」における合格点の評価について苦肉の策として「年齢差」という政策を内密に実施したのだ。このような「年齢差」を認める法的根拠はどこにもみあたらない。明確な法的根拠もないまま、年齢差をつけた合格判定を実施しているのだから、このような合格決定という行政処分は、法曹界からも批判されている。 こうした司法試験政策に対する批判を現実の行動をもって代弁しているのが、黒井の率いる「法曹夢未実現革命軍」という稀有(けう)のプレッシャーグループなのだ。
菊野文彦はソファーから身を起こしライターでタバコをつけた。 文彦はガウンの着替えもしないまま書斎から階下に降りていった。
キッチンにはいってきた文彦は、食パンを焼いてバターを塗りトーストをしあげた。ガラスの容器にプロッコリーとレタスを盛りつけた。冷蔵庫の扉を開いて佐保子が準備しておいたリンゴの皿をテープルにはこんだ。寿司屋「松寿」の名が焼きこまれたおおきな湯呑茶碗にトロロ昆布を摘みいれ熱湯をそそぎ「ムラサキ」をひと垂れ垂らした。 文彦はテーブルに向かいトロロこぶ汁を竹の箸で掻きわした。
[菊野文彦の回想]
この湯呑茶碗は黒井被告人のアリバイ捜しで寿司店「松寿」を訪ねたときマスターの須司握三さんからプレゼントされた思い出の逸品だ。 井の頭公園池の「ひょうたん橋」で花園委員長が殺害されたと推定されるのは、平成9年11月27日のことだった。司法解剖の結果によれば、花園委員長の死因は頚部圧迫による窒息死とみられ、被害者の死亡推定時刻は当夜の午後8時から10時とされている。 その犯行の時刻に黒井雄太は「松寿」の近くに居住していた宮川といっしょに寿司店のカウンターで飲んでいたという。宮川も筆門大学法学部ではわしと同期だった。大学の在学中には、花園正義と黒井雄太、それに宮川とわしもおなじ民法研究室の室員だった。そのうち黒井雄太と花園とわしは司法試験の途を選んだが、宮川だけは当初から裁判所書記官の途を選択していた。裁判所書記官に任命された宮川は各地の裁判所を転々したが、3年ほどまえから東都家庭裁判所のベテラン書記官として活躍している。 実は、黒井雄太と宮川書記官が事件当夜、寿司店のカウンターで飲んでいたことを証言してくれたのは、「松寿」のマスター須司握三さんだった。黒井は釈放された直後、宮川に伴(ともな)われて同店を訪問し礼をのべている。そのとき黒井は文明堂のおおきな箱入りのカステラの包みのうえに、紅い日の丸印の下に黒い文字で法曹夢未実現革命軍と染め込まれた木綿の手拭5本入りセットを載せて謝礼していた。 これらの経緯は宮川からわしに伝達されている。
菊野文彦は、リンゴの切り身を載せた皿を持って二階の書斎にもどった。 リンゴの皿をデスクのうえに載せた文彦は、リンゴの切り身をひとくちかじった。デスクには向かわないで書斎の壁に掛けられていたミレーの晩鐘の絵をおろした。そのうしろの壁に造り込まれた「隠し金庫」の扉を開けた。この隠し金庫は、書斎の壁のほかの部分とおなじデザインの壁紙で貼りめぐらされていた。その扉の発見は困難だった。 文彦は金庫の扉を開き長さ50センチほどの桐の箱をとりだした。桐の箱をデスクのうえに載せ、デスクに向かい回転椅子をぐるりとまわした。デスクに向かった文彦は、桐箱の蓋を開け、積み重ねて収納された書類のいちばん底から自分の法律事務所専用の水色で大型の角封筒をひきだした。水色の大型角封筒のなかからは、小型のクラフト封筒と純白の小型封筒がでてきた。 文彦はまずクラフトの封筒を開披(かいひ)した。封筒のなかからは花園威一郎殺害被告事件に関する黒井雄太の供述を録取した「供述録取書」のコピーがでてきた。
[ 黒井雄太の供述録取書の要旨]
そもそも法務司法省は、司法試験の合格者の選別において若手優先のポリシーを強行するため、司法試験の第二次試験の第一関門である「短答式試験」につき、明らかに合格点を採っている中高年齢者を不合格者として取り扱い、その第二関門である「論文式試験」を受験させないという誤った措置を採りり続けている。このような法律に根拠のない年齢にる差別待遇は、不合理な差別として憲法14条の平等則に違反する違憲の「行政処分」だ。 そこでこのような違憲・違法な合格決定処分を撤回するよう厳しく要求した。 しかし法務司法省はこれを無視したままだ。こうした法務司法省の官僚主義的な態度を反省させるための手段としてわしは、年齢差をつけられ差別待遇をされている、いわば被害者を結集して「法曹夢未実現革命軍」を結成した。ちなみに法務司法省のこのような合格決定処分に対して、その取り消しを求める「行政訴訟」を提起してみても埒(らち)があかない。現に、このような訴訟を提起した勇気ある受験者も出現したが、東都地裁はこの訴訟において原告敗訴の判決をだしている。このためやむなく強硬手段を採らざるをえなくなり、その具体策としてまず法務司法大臣を襲撃(しゅうげき)して猛省をうながすことを画策した。しかしSPによる警備が厳しく、大臣を襲撃するチャンスを掴むことは困難であった。そこで攻撃目標を変更することになり、そのターゲットを法務司法省事務次官で司法試験管理委員会委員長の花園威一郎に据(す)えた。花園委員長は、わしとおなじく筆門大学法学部を卒業し、司法試験の受験をつづけている花園正義の従兄弟であるためアプローチしやすかったからだ。そのうえ毎年のように花園正義の誕生祝いの宴席に委員長が出席することも識っていた。 平成9年11月27日の夕方、花園正義に電話をいれてみたら「威一郎は7時ころには来て、10時ころには吉祥寺経由で国立(くにたち)の自宅に帰る予定だ」といい電話はそこできれた。 この情報をキャッチしたので、チャンスはいまだと考えたわしは、当夜の9時40分ころから井の頭公園の「ひょうたん橋」近くの木陰に潜み、委員長を待ち伏せした。やがて10時25分ころだったとおもうが、威一郎威委員長が公園近くの花園邸の方角から千鳥足でやってきて、池の畔で立ち小便をはじめた。このときとばかりわしは、威一郎委員長の背後から襲かかり、あらかじめ用意していた太いポリ縄で彼の首を力いっぱい締め付けしばらく手を緩めなかった。すると委員長はがっくりしたので「この野郎 !」とばかり鋭利な刃物で委員長の両耳を切断し、両眼も抉(えぐ)りとった。そして法曹夢未実現革命軍の名入りの手拭5枚を束ねて醜くなった委員長の顔を緊縛し、「ひょうたん橋」のうえから委員長を池のなかに放り込んだ。そのあと、かなり離れたところにある公園内の公衆便所で手を洗い、凶器のナイフとポリ縄は近くのゴミ収集場に投げ込んだ。わしが率いる法曹夢未実現革命軍の名入りの手拭をわざわざ用いたのは、法務司法省に対するプレッシャーグループとしての革命軍の存在をアピールするためだった。 わしは、年齢差をつけられ差別待遇されている成績優秀な中高年齢者のために生贄になる覚悟だった。 花園委員長の殺害は、わしがひとりで殺ったことであるから革命軍の隊員諸君には、なんらのかかわりはない。それに、わしが逮捕されたからといって、格別、隊員らが過激なアクションをおこすことはない。 本件については、速やかに公訴を提起して欲しい。わしが公訴を提起されても特に弁護人は要らない。自分の防御は自力でするつもりだ。
菊野文彦は黒井雄太の供述録取書をよみおえた。 文彦は回転椅子から起ちがり、ソファーに向かった。 文彦はアイボリーの生地にブラックの菊模様をあしらったソファーに凭(もた)れた。 シガレットケースからタバコを引き抜きライターで点火した。 天井に向け紫の煙を噴きあげた。
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