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作品名:目には目を歯には歯を 作者:藤田耕太郎

最終回   薫り高き菊の花
            [ 薫高き菊の花 ]

 東都拘置所の正門前で菊野弁護士と多摩美枝子が待機している。
 秋の空は清澄に晴れ渡っている。

 係官によって正門の扉が開けられた。
 紺の背広姿でグレーのボストンバッグを提げた石川流太郎が現れる。
 石川は係官に深く頭を垂れ、くるりと向きなおる。
「菊野先生。わざわざすみません」
 石川は菊野弁護士に視線をおくり頭をさげる。
「やあ。石川君、釈放されてよかったね」
 菊野弁護士は石川に微笑みかける。
「はい、先生。みんな先生のおかげです。ほんとうにありがとうございました」
 石川は深く頭を垂れる。
「流ちゃん」
 たまりかねて多摩美枝子は石川に抱きつく。
「美枝ちゃん」
 石川は固く美枝子を抱きしめる。
「先生。ごめんなさい。あたしったら」
 石川から離れた美枝子は、ちらっと菊野弁護士に視線をながし、苦笑いを
しながらハンカチを目にあてる。

 一台のタクシーが流してくる。
「あっ」
 菊野弁護士は手を挙げてタクシーを呼びとめる。
「さあ。車へどうぞ」
「はい、先生。どうも」
 石川は美枝子の背中を押した。
 菊野弁護士は先に車の奥へ乗り込む。
 美枝子がこれにつづき菊野の脇に座る。
 石川が美枝子のあとから車に乗り込む。
「東京駅の八重洲口まで」
 菊野弁護士が運転席を覗きこむ。
「はい。かしこまりました」
 タクシーは滑りだした。
 やがてタクシーは車の流れのなかに吸い込まれてゆく。

 秋の青く澄んだ天空には白い一握りの雲が浮かんでいた。

 東京の西部を流れくだる多摩川縁(へり)の羽村堰を玉川上水に沿って
1キロほどくだったブナの林のなかに菊野邸は静かな佇(たたず)まいを
みせている。
 菊野邸の正門から邸内にはいってみる。
 南側の陽あたりのいい庭の一角には赤紫、黄色、白など色とりどりの
薫り高い菊の花が咲き乱れている。

 菊野邸のキッチンでは、壁に掛けられた「日捲りカレンダー」が太く
赤い文字で1999年11月3日文化の日になっている。
 セピアで木彫風の縁取りをした壁時計の長針がぴくりとうごき午前10時に
なった。
 グリーンのエプロン姿で妻の佐保子がお茶の準備をしている。
長女の法子も母を手伝いながらショートケーキ、もなか、ようかんなどの
お茶菓子をお盆のうえにそろえる。

 菊野邸の庭では3人の植木職人がぱちりぱちりと庭木の刈り込みを
している。
 庭師たちは、いずれも紺の生地に「梅」の1字をおおきな「円印」で囲み、
白く染め抜いた袢纏(はんてん)を纏(まと)っている。
 そのうちのひとりは、陽焼けした浅黒い顔の揉みあげが白くなった多摩
梅吉だった。
 もうひとりの男庭師は、白い手拭でハチマキを締めた青年庭師の石川
流太郎であった。
 ただひとりの女庭師はサングラスをかけ、白い手拭で姉さん被(かぶ)りを
した多摩美枝子だった。
 ぱちりぱちりと剪定(せんてい)バサミの音が広い敷地の庭に響きわたる。
剪定バサミの音はかなり離れたキッチンにまでつたわってくる。

 広い庭に佐保子と法子がお茶とお菓子をはこんでくる。
 南側の芝生の中央におかれた白いテーブルのうえにお茶とお菓子が
ならべられる。
「みなさん。お茶がはいりましたから、どうぞいらしてください」
 歯切れのいい佐保子の声が庭に響きわたる。
「すみません。そいじゃいっぷくさせてもらうか」
 梅吉は剪定バサミをキャタツのバーにひっかけ、テーブルに向かって
あるきだした。
「流太郎さんも、美枝子さんもいらしてください」
 佐保子は大声をはりあげる。
「はーい。すみません」
 石川流太郎は剪定バサミをキャタツに載せてあるきだす。
 美枝子も自分のハサミを流太郎のハサミの脇に載せいそいそと流太郎の
あとにつづいてあるきだした。
 

 袢纏姿に手っ甲脚絆の庭師たちはテーブルに向かって座る。
「どうぞ。おめしあがりください」
 佐保子はお茶を勧める。
「そいじゃ。ちょうでえしあす」
 梅吉は節くれだったごつい手でお茶をすする。
「いただきます」
 流太郎もお茶をひくちすする。
「いただきます」
 美枝子もお茶をすする。
「美枝子さんも石川さんとご結婚なさってよかったですね」
 佐保子は多摩美枝子に微笑(ほほえ)みかける。
「はい。おかげさまで。ようやく落ち着くところにおちつきました」
 美枝子は佐保子に微笑みをかえす。
「石川さんも大学をおやめになって、梅吉さんの植木職を継承なさって
ほんとによかったですね」
 佐保子は石川に視線をながした。
「はい。でもまだ植木職のほうは、ビギナーですから役立たずですが。
残念ながら、腕のほうは美枝子のほうがうえなんです」
 石川は苦笑いをする。
「そりゃ、美枝子さんはお小さいときから植木職のベテランであられる
お父さんの背中をみてお育ちになられたんですから」
佐保子は急須にお湯を注ぐ。
「梅吉さんにしても、立派な後継ぎが生まれてご安心ですね」
 佐保子は梅吉にお茶のサービスをする。
「へえ。こいつはめんこいときから、美枝子とは兄弟のように育った
もんですから、素性がわかり、一安心ですわいな」
 梅吉はお茶をすすりあげる。
「ほんとですこと」
 佐保子は梅吉に笑みをおくる。
 緑の芝生に囲まれた白いテーブルの周りでは、佐保子と法子を
交えて談笑のひとときが弾(はじ)けるのだった。

 菊野邸の書斎では、菊野弁護士が分厚い判例集をあちこち捲り
つづけている。
 離婚訴訟に関する判例を調べているところだった。

 多摩鉄道幸福駅のプラットホームにオレンジ色をした10輌連結の
電車が滑りこんでくる。
 チョコレート色のおおきな鞄を提げた菊野弁護士が、鉄路を跨ぐかのよう
に架橋(かきょう)された陸橋の自由橋を渡ってゆく。
 菊野弁護士は自由橋から幸福駅の東口に降りてくる。
 並木道の路面には落葉したイチョウの葉が黄色い絨毯(じゅうたん)を
敷き詰めている。
 黄色いイチョウの絨毯を踏みしめながら菊野弁護士はゆっくり歩き、
駅前ビルにはいってゆく。

 菊野法律事務所の壁にかけられた「日捲りカレンダー」が1999年11月
4日木曜日になっている。
 白い壁にかけられたブルーの波板模様の縁取りをした壁時計の長針が
ぴくりとうごき午前10時になった。
 事務職員の足立淑子がパソコンのキーをたたいている。
 事務所の自動ドアがするっと開いて菊野弁護士がはいってくる。
「おはようございます」
 微笑みながら足立淑子は起ちあがる。
 足立淑子はコーヒーの準備にとりかかる。
「おはよう」
 菊野弁護士は一番奥のデスクに向い、デスクのうえに鞄を載せる。
 事務コーナーとは衝立で仕切られている応接コーナーにでてきた菊野は
新聞立から朝刊を引き抜き、ソファーに凭(もた)れ新聞をひろげる。
 「はい、先生。コーヒーがはいりました」
 足立淑子ははテーブルのうえにコーヒーをさしだし、自分のデスクに向かう。
 デスクに向かった足立淑子ははパソコンのキーをたたきはじめる。
 菊野弁護士はコーヒーをすすり、新聞を裏返した。

 多摩鉄道幸福駅のプラットホームにオレンジ色をした10輌連結の電車が
滑り込んでくる。

 幸福駅前のイチョウの並木は葉が落ちつくしてしまった。
 イチョウの並木道では木枯らしが吹きすさび、散り落ちた黄色いイチョウの
葉が舞いあがる。
                                        
                                 [了]


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