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作品名:目には目を歯には歯を 作者:藤田耕太郎

第44回   梅雨明けのシーズン
            [ 露明けのシーズン ]

 その年も梅雨が明けて日本列島は猛暑のシーズンを迎えた。
 そんな猛暑のつづくなかで石川流太郎被告人に対する判決言い渡しの期日
が到来した。
 1999年8月23日月曜日の午前10時には、石川流太郎被告人に対し判決が
言い渡された。

 法廷の傍聴席はマスコミによる報道陣で万席となっていた。

「判決主文。被告人を懲役3年に処する。この判決確定の日より5年間、刑の
執行を猶予する」

 咳一つしない静粛な法廷では、在廷者の見守るなかで裁判長は厳粛に判決文
を読みはじめた。
 その一瞬、傍聴席にざわめきの波がたった。
 
 その日の夕刊やテレビユースでは異例の判決だとおおきく報道された。

「石川はなんといっても二人も殺害しているんだから実刑判決は免れない」
「おそらく懲役5年にはなるだろう」
「まあ。そんあところだな」
 その日の判決は、そうした記者たちの予想に反した判決だった。

 幸福市の中心街の一角ではっ白い生地に[うな梅]と黒い文字が染め込まれた
ウナギの老舗[うな梅]の暖簾(のれん)が夕風に揺れている。

 ウナギの老舗[うな梅]の奥の間で菊野弁護士と多摩美枝子が紫檀のテーブル
をかこんでいる。
「お待たせしました」
 高名な女優によく似た店のママ幸恵が一番搾りのジョッキーをはこんできた。
 幸恵はジョッキーとウナギの酢の物”うざく”をテーブルにさしたした。
「どうぞ。ごゆっくりなさいませ」
 幸恵は襖の向こうに消えていった。
「それでは、乾杯しましょう」
 菊野弁護士はジョッキを掲げる。
「はい、先生。乾杯」
 多摩美枝子もジョッキを掲げる。
「実は東都地検の公判担当の山形検事の起訴状によれば、石川流太郎被告人
にはふたつの殺人罪が成立するほか、ふたつの死体損壊遺棄罪が成立し、これ
ら数個の犯罪は併合罪として処断されると主張して、懲役10年の求刑がなされて
いたんてすががね」
 菊野は”うざく”に箸をつける。
「はい。けど判決では懲役3年になりました」
「懲役を3年以下にしないと執行猶予はつけられないんですよ」
「そうなんですか。法律でそうなってるんですか」
「まあね。裁判官は、はじめから執行猶予をつけたいと決めていたんでしょうな。
それで宣告刑を懲役3年にしたんでしょうな」
「それにしても懲役10年を求刑されたのに懲役3年ということは随分寛大な
判決ですが。それというのも菊野先生の弁護作戦が奏功したせいですね」
「まあね。弁護作戦では、本件に関する行為当時における特段の事情を強調した
からね。その点が量刑の判断において考慮されたんでしょうな」
「その量刑が裁判官の間ですんなりと決まったんでしょうか」
「いや。わしの想定によれば、裁判官の間ではこんな状況だったんでしょうな」
「こんなとおっしゃいますと。どんな状況だったんでしょうか」
 多摩美枝子は”うざく”をもりつけた角型の白い食器をもちあげ箸をつけた。
「たしかにふたりも殺害したうえ、死体損壊遺棄の行為もかなり派手になされた。
という点からすれば、量刑は重いほうに傾斜するはずです。しかしうら若いひとり
の美女に対し、紳士(しんし)の仮面を被った男たち3人の暴行に端を発した事件
の特質に着目すると寛大な判決に傾斜することになる。そうだとすれば裁判官の
間で意見が対立し、裁判長は合議のとりつけに苦心したことでしょう。たとえば
一人だけの女性裁判官は執行猶予をつけるため3年の懲役を主張した。これに
対し一人の男性裁判官は実刑判決にすべきだと主張して譲らなかった。裁判官室
では長い時間をかけて協議がつづけられた。その結果、本件における格別の
情状を考慮して刑を減軽する方向で結論をだそうと裁判長は決断した」 
「先生のおっしゃるとおりかもしれません」
 襖がすうっと開いて白衣のマスターがウナギの料理をはこんできた。
「お待たせしました。こちらは”うな重”の特上です」
 マスターは梅の枝に数輪の梅の花を塗りあげた重箱をテーブルにならべた。
「それにこれは”肝吸い”です」
 マスターは細長い、蓋を載せた吸い物椀をさしだした。
「フルーツもどうぞ」
 マスターはパインの缶詰を盛りつけたフルーツ皿をテーブルに載せた。
「どうぞ、ごゆっくりなさいまし」
 にこりとしてマスターは襖のそとへ消えてゆく。
「さて冷めないうちに”うな重”をいただきましょう」
 菊野弁護士は”肝吸い”のお椀に手をかけた。
「はい、先生。いただきます」
 美枝子も”肝吸い”の蓋を摘みあげる。
「ウナギも冷めないうちにいただきましょう」
 菊野弁護士は”うな重”に箸をつける。
「はい。いただきます」
 美枝子も”うな重”の蓋に手をかける。
「それで流ちゃんは、これからどうなるのでしょうか」
「そうねえ。もし検察側がこの判決に対して控訴しなければ、判決は確定
します。判決が確定すれば石川君は釈放されるでしょう」
「そうなればいいんですけど」
「おそらく検察側は控訴しないでしょう。遠からず石川君は釈放されること
になりましょう」
「はい」
 多摩美枝子は”うな重”の蓋をとり、こってりした蒲焼に山椒をふりかける。
 
 壁時計の長針がぴくりとうごき午後4時になった。


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