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作品名:目には目を歯には歯を 作者:藤田耕太郎

第40回   黙秘権の行使
              【黙秘権の行使】

 五十嵐検事室では検事デスクを挟み五十嵐検事と石川が対峙(たいじ)している。
「石川さん。ねえ、そうなんでしょう。千代田マンションの350号室では、多摩美枝子さんの貞操権にかかわるような状況になっていた。そこへ石川さんがはいってきた。そういうことではないでしょうか」
 五十嵐検事は石川を自白へと誘導する魂胆(こんたん)だった。
「とんでもない。検事さんの誘導尋問に乗るわけにはゆきません。そのときの状況は、なんといっても美枝子の人権にかかわることですから」
「誘導尋問ね。仮に誘導尋問になるとしても、実体的真実は解明されなければなりません。問題の6月10日木曜日の夜、8時前後に、あなたが千代田マンションの350号室にはいっていったとき、なにか異常なシチュエーションになっていた。たとえば5月13日の夜とおなじように、男が多摩美枝子さんのうえに馬乗りになっていた。そんなシチュエーションだった」
「検事さん。単なる推測にすぎないことを弱い立場にある被疑者に押しつけないでください。そんな状況は単なる検事さんの推測にすぎません」
「ほう。単なる推測ね。その推測にすぎない事実が果たして実体的真実かどうかを吟味ししてるんですよ。石川さんの供述により、その推測した事実が実体的には誤りかどうか、それとも真実かどうか、はっきりしてくるはずですが」
「それはそうかもしれませんが。これ以上、美枝子を痛めつけることはできません」
「しかし真実を解明しないで、全地球おりも重いといわれる人の命という重要な法益
侵害行為を黙認することはできません」
「それは、たしかに検事さんのおっしゃるとおりですが。しかしだからといってあえて
真実を究明しようとすれば、さらに被害者のプライバシーを公に曝(さら)してしまう
ことになります。現に生きている人間の法益こそ尊重されるべきです」
「しかし、それでも真実はきちんと解明されなければなりません。現に犯罪が行われ
ている疑いがある以上、真実を解明して真犯人を特定し、国家の刑罰権の発動を適正
に行う必要があります」
 石川は胸を張って五十嵐検事と視線をあわせた。
「そもそも国家の刑罰権とういものは主として人権つまり国民の法益を擁護(ようご)
するための制度でしょう。憲法や刑法の講義ではそのように教わりました。国民の
法益を保護することを狙った制度の運用によって、かえって国民の個人的法益を
侵害するような結果をもたらすというのは、明らかに自己矛盾です」
「いわれてみれば、たしかにそうなんですが。それでもやはり真実は解明されなけれ
ばなりません」
「検事さんのおっしゃるように真実の解明は必要でしょうが。そのために新たに個人
の法益侵害という結果を生みだすのは、どうみても矛盾してます」
「そうかもしれませんが。検察官といううものは事件を適正に捜査して犯罪を犯した
行為者を特定し、公判という手続保障のフィルターをとおして国家の刑罰権を発動
することを任務としております」
「それは検事さんのおっしゃるとおりですが。しかし検察官の社会的使命を達成する
ためであれば、すでに法益を侵害されて、惨(みじ)めなおもいをしている人をさらに
不幸のどん底に叩き落としてもよいというのですか」
「いいえ。そうはいっておりません。しかしなんといっても真実はやはり解明されな
ければなりません」
「これ以上、被疑者を虐(いじ)めるようでしたら、もうなにもしゃべりません。黙秘権を行使することになります」
 石川流太郎は激しく反発した。
「黙秘権の行使ですか。それもいいでしょう。しかし黙秘権を行使すれば、犯行の疑い
がいっそう濃厚になり石川さんを再逮捕せざるをえなくなります」
「再逮捕でもなんでもしたらいいでしょう。こっちはすでに覚悟はできています。もう
松瀬殺害の自白をしてるのですから。もはや怖(こわ)いものはなにもありません」
「しかし、石川さんはそれでいいかもしれませんが。多摩美枝子さんの立場はどう
なんですか。石川さんが黙秘した結果、落合賢次殺害事件の真相が明らかになら
ない以上、こんどは多摩美枝子さんから真相を聞きだすしか手はありません。もし
そうなれば、美枝子さんをいま以上に苦しめることになるんじゃないでしょうか」
「はああ・・・」
 石川は深い溜め息を吐く。
「もしそうなれば、美枝子さんを釈放するどころか、検察側としては、あなたを松瀬
殺害の真犯人として起訴するとともに、多摩美枝子さんを死体損壊・遺棄の幇助
(ほうじょ)犯として起訴し、未決囚としての拘留期間を活用して美枝子さんから事件
当夜の具体的事情を聴きだすということになります」
「はああ。そうですか。そうなりますか。しかし、それは困ります」
「そうでしょう。そうなれば美枝子さんをまもってあげようとする石川さんの意図とは
逆の結果を招くことになりますがね」
 五十嵐検事は石川と視線をあわせる。
「たしかに、よく考えてみると、論理的にはそうなりかねません」
 石川はがっくり肩をおとし膝のうえに載せた拳(こぶし)をみつめる。
「そうだとすれば、この場で6月10日木曜日の夜、千代田マンションの350号室で
なにが起こったか。そのまま正直に述べたほうがましだとおもわれませんか。石川
さん、そうでしょう」
 石川は下を向いたまま黙りこくってしまう。


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