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作品名:目には目を歯には歯を 作者:藤田耕太郎

第4回   白山司法書士の逮捕
 菊野邸の書斎では、どっしりとしたデスクに向かい菊野文彦がパ
ソコンのキーをたたいている。
 壁に掛けられた『日捲りカレンダー』が1999年5月14日金曜日
になっている。
 壁時計の長針がぴくりとうごき午前5時になる。

 菊野弁護士はパソコンのキーをたたきおえる。
「ようし、これでよいだろう」
 起ちあがった文彦はカレンダーを捲る。
 カレンダーは太い水色で5月15日土曜日に変わる。
 文彦は書斎のカーテンをひき寄せ窓を開ける。爽やかな早朝の空
気が書斎に舞い込んでくる。
 文彦はうっと背伸びをしてソファーに凭れタバコをつける。ふうっと
天井に向けて紫の煙を噴きあげる。

菊野『昨夜、わたしは徹夜で原稿を執筆しました。明け方になって
ようやく第3回目の連載分を書きあげました。この作品は、司法試
験の受験雑誌ローヤーの編集長からの依頼によるものでした。受験者
頭休めとして巻末に小説を掲載するという企画でした。頭休めとはいえ
法律家の卵に読ませるものだから、法律の匂いがする作品にして欲しい
というのが編集長の要求でした。そこで、舞台を上信越国立公園の一角に
設定し閉ざされた峡谷で独裁者の専制のもとで暮らす郷民の生き方(B)と、
民主主義が定着した日本列島における市民の生き方(A)を対立させて、
そのカントリーを支配する『規範』の相違に対応して『犯罪の類型』つまり
犯罪の構成要件も異なることを浮き彫りにしようと考えました。A側には、
椿弁護士と山形検事を、B側には幻の里といわれる小松原郷から脱郷してきた
小榊賢一と小榊雪恵を登場させたのです。
今回のサブタイトルは“鎖国のカントリー”としました』

 菊野文彦はソファーから腰を浮かせデスクにもどった。
 パソコンのメモ帳に打ち込んだ『鎖国のカントリー』の推敲をは
じめた。


 警視庁捜査一課の壁に掛けられた『日捲りカレンダー』が水色の
太い文字で1999年5月15日土曜日になっている。
 黒い縁取りをした円い壁時計の長針がぴくりとうごき午後2時になる。
 係官に案内されてはいってきた白山咲一は、窓側のソファーに浅く
腰をおろした。
 円筒形脱毛症紛いで脂ぎった春山捜査一課長がソファーに寄って
きた。
「課長の春山です。本日は」
 春山課長は名刺をさしだしてソファーに背筋を擦り付けた。
「お忙しいところ、お超しいただき、ごくろうさまです。さっそく
ですが、白山さんは司法書士のお仕事をなさっていられましたね」
「はい。いまは事務所を閉鎖しておりますが」
「ところで白山さんは、聖橋で変死体が発見されたことをご存じで
しょうか」
 春山捜査一課長の穏やかな口調のなかにはカラタチのような棘が
ふくまれていた。
「ええ。事件のことはテレビでも新聞でも報道されましたから」
「それで白山さんは」
 春山課長は白山に訝しげな視線を浴びせた。
「この5月13日の夜、どちらにおられましたか」
白山『この課長はオレをまるで被疑者扱いにしている。ここはひとつ
反発してとことん拗ねてやろう』
 白山は胸のうちで呟いた。
「わしは聖橋事件の被疑者ではないから取調べは拒否します」
「とんでもない白山さん。きょうは決して取り調べではなく、まあ、
後日の参考のために事情をうかがっているだけなんですが」
「しかし課長さんは、はじめから」
 白山はむっつりした表情になった。
「被疑者扱いの目つきをしてます。初手から聖橋事件当日のアリ
バイをたしかめようとしてます。あきらかに・・・。まあ、いいでしょう。
ええと。5月13日の夜ですか。その夜は自宅におりました」
「その在宅を証明してくださる方はおりますか」
「そんな人はおりません。すでにお調べでしょうが。わしは東都地検
の沢井検事を殺害して公判にかけられ、有罪判決で懲役刑が宣告
されました。ただ弁護人だった菊野弁護士の手厚い弁護のおかげ
で執行猶予になりました。そんなわけで司法書士は廃業となりまし
た。それ以来は自宅周辺のわずかな畑を耕し、晴耕雨読の生活をし
ています。それも老人の一人暮らしですから、事件当夜の在宅の事
実を証明することはむりというしかありません」
「そうですか。ところで白山さんは桜門大学お茶の水病院で診察を
受けたことがありますか」
 春山課長は、じりじりと白山を追い詰める姿勢になった。
「はい。わしはそのォ」
 白山は春山課長の額のあたりを見つめる。
「もともと桜門大学法学部の出身でしたから、自分の健康管理はす
べてその大学病院にまかせてありました」
「なるほど。それで白山さんが大学病院の眼科外来で受診した際、
医事課職員に事務処理の不手際があったとして、民法第717条の
使用者責任を根拠として、同病院に対し不法行為に基づく損害賠償
の請求をされましたね」
 春山課長は、項が白くなった白山の顔を食い入るように凝視する。
「はい。正常な判断能力を有するクランケに対して、まるで痴呆扱いの
処遇をされたので、あたまにきました。そこで医事課職員の右の行為
は、クランケの人権を侵害し、ひいては他人の法益をも侵害する不法
行為であることがあきらかでしたから、当然のことながら不法行為に
基づく損害賠償を請求しました」
 白山は、春山課長が指摘した事実をそのまま認め、滔々と筋のと
おった法理論を捲くしたてた。
「実に明快な法理論ですな。その明快な法理論による損害賠償の請求
は、口頭でなされましたか。それとも書面でなされましたか」
「いうまでもなく口頭では埒があきませんから、確定日付ある文書
つまり内容証明郵便で正式に通告しました」
「その通告書がこれですよね」
 春山課長は警視庁と印刷された角封筒のなかから一通の文書をと
りだしテーブルのうえにひろげた。
「これは、白山さんが松瀬病院長宛にな内容証明郵便で送達した配達
証明つき通告書のコピーなんですが」
「そんな文書がどうしてまた」
 白山は怪訝なまなざしになった。
「そちらのお手元にあるんですか」
「実はですね。聖橋で発見された変死体は」
 春山課長は、通告書のコピーをあちこち捲りつづける。
「桜門大学お茶の水病院の松瀬病院長だったんですよ。しかも聖橋
のうえにあったクレーンから神田川の水面すれすれに吊るされた被害者
の両方の手首を緊縛していたロープは桜門大学病院からもちだされた
ものと判明しました。それを手掛かりとして捜査をすすめたところ被害
者は同病院の松瀬病院長だと判明したのです」
「なるほど。そうでしたか」
「そこで病院長室を捜索した結果、この通告書が発見されたわけです。
それで、白山さんにお超しいただいたわけです。大学病院の病院長殺
害という事件の重大性から、課長の本官が直接、白山さんの事情を聴
取しているわけなんです」
「わかりました。しかし課長さんは事情聴取に名を借りて、実質的には
取調べ同然の遣り方をしてしておられます」
「とんでもない。これは事情聴取であって、取調べではありません」
「いえ。取調べです。それにしても、民事上の損害賠償を請求したその
文書と松瀬病院長の殺害とが、いったいどんな関わりがあるというん
ですか。まったくこれは。人権侵害もはなはだしい」
 白山は訝しそうなまなざしを春山課長に向ける。
「この通告書と聖橋事件とがどのような関係にあるかは、これから
しだいに明らかにされてくることでしょう」
「課長さん。それはどういう意味ですか。このわしが松瀬病院長殺
害の実行犯だとでもいうんですか。そうした疑いがかけられるのも
わしに前科がある所以ですか」
 白山は一瞬、威きり起ちテーブルの表面を右の拳でこつんと叩き
つけた。
「それは白山さんご自身が、いちばんよくおわかりのはずではない
でしょうか」
「正当な権利行使の意思表示をしたというだけで、殺人の実行犯扱
いされたんではたまりません」
 白山は白くなった眉毛のしたで、かっと目を吊りあげた。
「別にあなたを実行犯と見てるわけではありません。ただ松瀬教授
を取り巻く関係人のひとりとして事情を聴取しているだけです」
「さきほどからの課長の訊問は、事情聴取ではなく、まるで被疑者
の取調べそのものではありませんか。人権侵害もはなはだしい」
「ともかく、この通告書を読んでみてくれませんか」
 春山捜査一課長は通告書のコピーを白山のまえに突きつけた。
「おことわりします。実際には」
 白山は、つんとしてそっぽを向いた。
「例の請求について被告サイドの松瀬病院長は、大学病院という
巨大な組織のうえに胡坐をかいて、被害者からの通告書を握り潰
したまま、いまだになんら応答をしておりません。そんな状況ですか
ら、それを読めば不愉快になるだけです。読みたくありません」
「なるほど。そうですか。それでは」
 春山課長は通告書のコピーを摘みあげた。
「白山さんに代わって本官がよみます」
 春山課長は東北訛りのある太い声で通告書を読みはじめる。

◇ 白山咲一の通告書 ◇

              
               通  告  書

      東京都幸福市緑ヶ丘3丁目××番地○○号
             通告人      白 山 咲 一
      東京都千代田区神田駿河台2丁目××ッ番地
             被通告人 桜門大学お茶の水病院
                 病院長  松 瀬 栄 三
一 末尾添付の証第1号に記載した眼科外来医事課職員の行為は
 故意に他人の法益を侵害する違法な行為であります。そこで証第
 3号に示す内容証明郵便によって被害者が被った損害を賠償せら
 れるよう通告したが、なんらの回答がえられなかった。
二 右のような誠意のない態度は、職員に対する日常の監督責任
 を怠っている証拠とみられます。このような不遜な態度を黙認する
 ことはできません。
三 問題の処理を回避して放置すればするほど被害者の精神的損
 害は拡大していきます。したがってその拡大分は拡大損害として
 賠償額も加算されていくことをご承知ください。
四 証第2号に示すとおり被害者はもはやこれ以上受診を続ける
 ことができない状態に追い込まれております。そこでこれまでに
 受診した眼科・循環器科・心臓外科・皮膚科のカルテの原本また
はそのコピーを速やかに交付せられたい。それと共に損害額350
万9425円を賠償せられるよう請求します。本件について誠意ある
回答がえられない場合には、損害賠償請求訴訟及びカルテ引渡し
請求訴訟を提起すると共に、診療事務処理過程における文書隠匿
の罪にかかわる刑事告訴をも含めあらゆる法律上の手続を採らざ
るをえなくなりますのでご了承ください。本案訴訟の提起とか、刑事
告訴ともなれば、必然的に司法記者を通じて右のような大学病院に
おける不祥事がマスコミによって公開され、大学病院にご迷惑がか
かることは避けられません。そのような好ましくない事態を事前に回
避するためにも、被通告人は被害者の請求を認容し、すでに発生し
た損害を賠償され、速やかにカルテを交付されるのが賢明でありま
す。本件について速やかに問題解決のための話し合いがなされる
ことを切望いたします。
 平成11年1月29日
                     右通告人  白 山 咲 一
 桜門大学お茶の水病院
  病院長  教授  松 瀬 栄 三  殿

 春山捜査一課長は白山の通告書の全文を読みおえた。
「とまあ。こういう文書になっているんですがね。この確定日付あ
る通告書をそのォ」
 春山課長は白山に対し二重瞼の鋭い眼光を浴びせた。
「松瀬病院長宛に配達証明付の書留郵便で送付されたことはたし
かなようですが。この事実を認めますか」
 白山は春山課長の訊問を無視してそっぽを向く。
「白山さん。この事実は真実ですね。この事実を認めますね」
白山『これは事情聴取ではない。事実上は取り調べだ。そっちが
そっちなら、こっちもこっちだ。とことん拗ねてやろう』
 白山は黙秘を決め込んだ。
 白山は春山課長を睨みつづける。
「白山さん。いつまでも黙りこくってると、ますます不利な取り扱い
を受けることになりますが。それでもよろしですかな」
 春山課長は念を押した。

 しばらく沈黙がつづいた。

「これは困りましたね。ええと」
 春山課長はシガレットケースを開けて白山のまえにさしだした。
「おひとつ、いかがですか」
 白山は、春山課長のサービスを無視して意固地になる。
 自分でタバコをつけた春山課長はソファーに背筋を擦り付け
天井に向けて紫の煙を噴きあげた。
 ソファーの周辺では、しだいに重苦しい取調室のような黒い
霧が沈殿していった。
 白山は貝のように堅くくちを噤んだままになった。
 黒雲が立ち込めたような取調室のようなムードのなかで白山
は春山課長との対決姿勢を決して崩そうとはしなかった。
 アイボリーの壁に掛けられた黒い縁取りの円い壁時計の長針
がぴくりとうごき午後3時になった。

「白山さん。どうなんですか。この通告書を握り潰されたままで、
あたまにきて松瀬病院長に反撃を加えたんでしょう」
 春山課長の追及を無視して白山は沈黙をつづける。
「ここに書かれてることばは鄭重ですが。しかしこのォ」
 ふたたび春山課長は通告書を摘みあげた。
「文書に含まれている内容は、その名文の背後に枳殻の蒼い棘のよ
うなちくりとした鋭いなにかが察知されますがね。ねえ。そうでは
ありませんか。白山さん」
 白山は右手に固めた拳でテーブルをこつんと叩いた。
「白山さん。あなたは職務怠慢の検察官だと決めつけ、沢井法夫 
検事を殺害しました。ただそのォ」
 春山課長は、白山のロウタケタ鋭い視線を避けソファーに凭れ
宙を見つめ滔々と語りだした。
「沢井法夫検事の不起訴処分が私情に絡んでいたことが考慮され、
白山さんは有罪判決ながら執行猶予がつけられました。このような
白山さんの過去の行動から見ても、あなたは正義派というか、気性
が激しく意志の強い方でしょう。司法書士の業務をつづけながら40
年にわたり司法試験を受験してこられたそうですね。これは通常人
のなしうる技ではありません。この粘り強さとその努力は敬服に値
します。ただそのォ」
 春山課長は身を乗り出しシガレットケースからタバコを引き抜き
ライターで点火した。
「そうした気性が権力者ないし巨大組織の管理者などに対する攻撃
面に向けられると、あなたは信じられないような大胆なアクションを
おこしかねない。なによりも沢井法夫検事殺害という過激な行動は、
あなたの性格の徴表とみられます」
 春山課長は、まるで刑法理論における『犯罪徴表説』のように理路
整然と白山を吊るしあげた。

 暗雲が垂れ込めたような雰囲気のなかで沈黙がつづいた。

「白山さん。あなたはそのォ」
 痺れをきらした春山課長の顔は苛立ちの表情に変わっていった。
「生来の激しい気性をそのまま外部に徴表させ一気に爆発しマス
コミが騒ぎたてるような手法を選択し、松瀬病院長を血祭りにあげ
たんでしょう。ねえ。そうなんでしょう。白山さん」
 春山課長は最後の手段として誘導訊問を試みる。
白山『誘導訊問でオレをオトソウとしてやがる。その手に乗ってたま
るか。ここはひとつ、とことこん拗ねてやろう』
 白山は胸のうちでそう決めこんだ。 
「それではやむをえません。ええと」
 春山課長はソファーのうえで腰を浮かせた。
「しばらく別室で休憩なさってください。係りの者にご案内させますか
ら、そちらで休憩なさってください」
 課長デスクにもどった春山課長は部下の警部補になにやら耳打ち
をする。
 警部補は白山のところに寄ってきた。
「それでは白山さん。別室にご案内します」
 警部補に促されて白山はしぶしぶ起ちあがった。
 廊下にでた警部補は白山を地下の留置場に案内した。
「白山さん。適当な部屋が空いてないので、こちらで」
 森閑と鎮まりかえった地下留置場の一室に案内された。
「しばらく休憩してください。部屋の都合がつかないので、むさ苦しい
ところですみません」
 白山は警部補のことばを信じ、自分で鉄格子のなかへはいった。
 すると予期に反して警部補は鉄格子をロックしてしまった。
白山『騙されたか。まあ、いいや』
 白山は反発することをおもいとどまった。
 警部補は、白山にあたまをさげて立ち去った。
 冷たく薄暗い地下留置場からこつこつと警部補が立ち去る靴音を
聞きながら個室の壁に寄りかかった白山は、沢井検事殺害容疑で
逮捕されたときのことを想いだした。
 白山にしてみれば、留置場に放り込まれたのは二度めの経験でも
あり、別に狼狽えることもなかった。
白山『春山課長は、オレの逮捕・拘留の手続を事後に留保してオレ
を苛め自白をとりつける魂胆なんだろう。まあ、不貞くされて、この
個室で休むことにしよう』
 いちどトイレにたった白山は、ふたたび壁に寄りかかり両足を投げ
だして目を瞑った。


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