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作品名:目には目を歯には歯を 作者:藤田耕太郎

第32回   黎明の裏づけ捜索
              【黎明の裏づけ捜索】

 多摩鉄道梅林駅のプラットホームにオレンジ色をした一番電車が滑り込んで
くる。駅長室の壁に掛けられた「日捲りカレンダー」が1999年6月23日水曜日
になっている。
 プラットホームの屋根裏の黒い縁取りをした円い壁時計の長針がぴくりとうごき
午前4時になった。
 梅林駅のプラットホームから見あげる多摩丘陵地帯には梅林杉が林立している。
林立する梅林杉は早朝の白い霧に呑み込まれてゆく。
 多摩丘陵地帯の一角にはかなり広い平坦な永山公園が展開される。その公園に
ほど近いブナの林のなかに平屋建て瓦葺の古風な多摩梅吉の家が浮かびあがる。
 梅吉の家の玄関脇では、数人の捜査官がツルハシやショベルを振るって樅の木の
根っこを掘り返している。その周辺には堀りおこした土の匂いが漂い、ツルハシを
振るう金属音が早朝の静寂のなかにこだまする。
 多摩梅吉の供述によれば、その樅の木の根っこには松瀬教授の衣類が埋められて
いるはずである。しかし樅の木の根っこには雑草が生えていて土を掘り起こした痕跡は
まったく残されていなかった。
「課長。ここにはなにも埋められていないんじゃないですか」
 若い捜査官がツルハシの手をやすめ掘り起こした地面をみつめる。
「最近になって土を掘り起こした痕跡はみられない。けど、もしかしたらということも
考えなければならない」
 春山捜査一課長は腕を組み地面をみつめる。
「それもそうですね。もうひと踏ん張りしてみましょうか」
 若い捜査官はふたたびツルハシを振りあげる。その金属音が谷間にこだまする。
 樅の木の近くには白いボデイーの小型トラックが放置されたままになっている。
 そのトラックの荷台からは、梅吉が犯行当時、自分の体を聖橋の欄干に括りつけた
という荒縄を発見することはできなかった。
 
 梅吉の家のなかでも数人の捜査官が家宅捜査をつづけている。
 仏間の戸棚とか押入れのなかも隈(くま)なく捜索がつづけられてゆく。
 やがて捜査官が玄関から外にでてくる。
「課長。松瀬殺しに結びつくような物的証拠はなにも発見できませんでした」
 若い捜査官は春山課長の顔を覗(のぞ)き込む。
「そうか。梅吉老人に一杯くわされたか」
「はい課長。あの朴訥(ぼくとつ)な植木職人にしてはできすぎの猿芝居だったかも」
「それにしても、まんまと植木職人のパフォーマンスにしてやられたか。忌々しい
はなしだが、ひとまず引きあげるしかあるまい」
 なんらの収穫もないまま、捜査隊は公用車を停めておいた谷間の舗装道路まで
降りてゆくしかなかった。
 
 公用車に乗り込んだ春山課長は東京地検の五十嵐検事に無線電話をいれる。
「春山ですが」
「検事の五十嵐です。捜査状況はどうでしたか」
「はい。それが残念ながら、なにも収穫はありませんでした」
「すると梅吉の供述は真っ赤なウソだったというわけか」
「まあ。検事のおしゃるとおりです」
「そうすると梅吉はだれかを庇ってパフォーマンスを演じたのかもしれない」
「はい。おそらく娘の美枝子を庇ってるのでしょう」
「けど。女の単独犯行には無理がある」
「はい。検事のおっしゃるとおりです。美枝子以外に共犯者がいることはたしかです」
「その共犯者としては石川流太郎が浮かんでくるな」
「そうかもしれません。それで、千代田マンションの捜索結果はどうでしたか」
「それがねえ。千代田マンションの350号室も徹底的に捜索させたが、被害者の
頭を丸坊主にしたり、松瀬のペニス周辺の陰毛まで剃り落としたとされるカミソリも
発見することはできなかった」
「それは残念でした。いまから新青梅街道にでて帰庁いたします」
「どうもごくろうさま」
 警察無線はそこできれた。
 公用車は青梅街道をひたはしりに走りつづける。

 警視庁の東側の桜田通りでは、ひっきりなしに車の流れがつづいている。
 梅雨の中休みで、並木のマロニエの葉が降りそそぐ陽光に輝いている。

 警視庁捜査一課の壁に掛けられた「日捲りカレンダー」が1999年6月23日
の水曜日になっている。
 白い壁に掛けられた黒い縁取りの円い壁時計の長針がぴくりとうごき
午前10時になった。
 課長デスクで書類を点検していた春山課長はデスクを離れ廊下に消えてゆく。

 第一取調室では、デスクを挟んで若い刑事と多摩梅吉が対峙(たいじ)している。
そこへ春山課長がはいってくる。
「それでは、わしが交替しますから」
 課長にいわれて若い刑事は起ちあがる。
「それでは、交替いたします」
「梅吉さん。昨夜はよく眠れましたか」
 そういいながら春山課長は梅吉とさし向かいで椅子に掛ける。
「へえ。あらいさらい遣ったことあ、そのまんま、みんな吐きだしたせえか、
ぐっすり眠りあしたで。へえ」
「そうでしたか。ところで、梅吉さんの供述の裏づけ捜査をしたんですが。樅の木
の根っこからはなにもでてきませんでした。梅吉さんの云うような被害者松瀬の
着用していた衣類は発見されませんでした」
「そげえなはずあ、ねえですが。そちらの捜し方がいけねえだ」
「でも、はじめから樅の木の根っこに被害者の衣類など埋めてはいなかった
んでしょう。梅吉さん」
「とんでもねえだ。ここがいちばん安全だということで、ちゃんとあそこの土を
掘り起こし、深あく穴を掘り埋めあしたで。へえ」
「さて、それはどうかな。樅の木の根っこは青々と雑草が生えていました。
最近になって土を掘り起こした形跡はありませんでした」
「そげえなことあ、ねえはずだが。なにかのまちげえだべ」
「いずれにしても被害者の着用していた衣類は発見できませんでした」
「そんなら、だれかが掘り起こして、そのあとに草を植え込んで、松瀬の衣類は
どこかに隠したんでしょうな」
「それはどうでしょうか。とにかく、樅の木の根っこには根の強い芝がぎっしりと
蔓延(はびこ)っていて、その芝を取り除くのに苦労したほどです。事件当日は
5月13日でしたが、その翌日に被害者の衣類を埋めたとしても、その場所を
捜索したのが今朝の黎明(れいめい)です。あれから6月23日までの期間は、
わずか1ヶ月あまりなんですから、もし掘り起こしてるんならば、あれほど芝の根
が蔓延るということは考えられません。むりなはなしです」
「むりかどうかは芝に聞いてみなけりゃわかりあせんがな」
「いったい、被害者の衣類はどこに埋めたんですか」
「そりゃ、樅の木の根っこしかありあせんが」
「それに聖橋の欄干から丸裸の被害者を神田川の水面すれすれにまで
吊りさげるときに、あなたのからだを欄干に縛りつけたという荒縄もトラック
の荷台からは発見されませんでした。その荒縄はどこにやったんですか」
「あの縄は、刈り込んだ庭木の枝などを縛り括るための道具じゃけん。あの
トラックの荷台においてたはずですが」
「それが発見されませんでした」
「だとすれあ。子供かだれかが、いたずらして、どっかに持っていったん
じゃないんでしょうか」
「さらに、あなたが被害者の両眼を抉(えぐ)りとり、両耳を切断するときに
用いたという文化包丁には、梅吉さんの指紋は残されていなかった」
「それで、いってえ、だれの指紋がでてきあしたか」
「それが娘さんの美枝子さんの指紋と石川流太郎さんの指紋が残って
いたにすぎません」
「そげえなはずあ、ねえですが。あっしが素手でその包丁を握ってるんで
指紋が残らねえはずあねえであすが・・・」
「それが残っていないということは、梅吉さんはその包丁に触っていない
ということになります」
「とんでもねえ。刃物なしで松瀬の両眼を抉りとったり、両耳を切断したり、
あいつのばかでっけえチョンボコまで切り落とすことあできねえだ」
「もはや梅吉さんのいうことは信用できなくなりました。あなたの供述を
裏づけられる物的証拠は、なにひとつでてきません」
「そりゃ、人を殺(や)るんだから、やたらと証拠を残すバカあいねえはず
だべ。みんな、あっしが遣ったことで、娘が遣ったんじゃねえですだ。女手
ひとつで、あのからだのでっけえ松瀬を橋の欄干から吊るすことあできねえ
相談でごあすだ」
「はたしてそうでしょうか。娘さんにほかの男が加勢すればできるはずです」
「いってえ、美枝子にそんな男がいるんですかいな」
「たとえば石川流太郎さんとか、梅吉さんとかが、いるんじゃないですか。
美枝子さんが松瀬に押さえ込まれて、彼の性欲発散の道具のようにされ、
たまりかねて松瀬の首を絞めて窒息死させたところへ梅吉さんがはいって
きて、被害者の遺体を処理するという、娘さんがしでかしたことの後始末を
かってでたんじゃないんでしょうか。ねえ。梅吉さん。そうなんでしょう」
「とんでもねえだ。美枝子あ、そんなことのできる女じゃねえだ」
「もしかしたら、千代田マンションの350号室にはいってきた石川流太郎さん
が松瀬に押し倒された美枝子さんを救うために、咄嗟(とっさ)の機転で自分
のズボンから革バンドを引き抜いて、うしろから松瀬教授の首を絞めあげた
のではないでしょうか」
「とんでもねえだ。流太郎あ、昼間あ働いて、夜あ夜学に通ってるまじめな
苦学生じゃけん。そげえのことあできる男じゃねえだ。刑事さのそんなあて
推量の考げえあ、早とちりじゃ」
「さあ、どうでしょうか。石川さんにも事情を聞いてみなければなりません」
「そんな苦学生を苛めるようなことあ、しねえでもらえてえ。将来あ弁護士に
なるいうて法律の勉強しとる苦学生に人が殺せるはずがねえだ」
「けど、さきほども云ったように、被害者の死体を損壊するときに使ったと
いわれる文化包丁には、美枝子さんの指紋のほか石川流太郎さんの指紋
も残されているんですよ。あなたの指紋はどこにもなかった。石川さんが
その文化包丁を使ったことはたしかですがね」
「流太郎あ、白山咲一先生から『鯉こく』の造り方をおば教えてもらっている
けん。美枝子んとこで『鯉こく』を造るために鯉をばらすときに包丁を使った
から指紋が残されてるんじゃ。そうにちげえねえだ」
「それに松瀬教授の首を絞めつけたのは、梅吉さんではないという証拠も
ちゃんとあるんですがね」
「それはまた、どげえな証拠があるというんですかいな」
「ひとつの傷痕は被害者が窒息死してから両手首を縛ったうえ、首にまで
ロープを巻きつけて橋の欄干から吊りさげたときにできたとみられる傷なん
ですよ。だから松瀬の首に残された傷痕は2種類なんですよ」
「それがまた、どうして、あっしの犯行じゃねえちゅう証拠になるんですかいな」
「それがですね。最初に松瀬の首を絞めたときにできたとみられる傷痕は
革バンドかなにか、こう、やや堅いもので絞めつけたときにできたものです。
しかし梅吉さんは自分の腰に巻いていた『兵児帯』で被害者の首を絞めた
と云っているんでしょう。『兵児帯』のほうは革バンドのようなものよりも繊維質で
柔らかいから、傷痕もちがってきます」
「へえ。そげえなもんですかいな。人を殺すとき、いちいち被害者に残る傷痕まで
気にするバカあ、いねえだべ」
「とにかく梅吉さんの云うことは信用できません。あなたは少なくとも松瀬教授
殺害の実行犯ではありません。その実行を幇助(ほうじょ)したかどうか。
殺害後にその死体の損壊や運搬に関与したかどうかは別ですが」
「刑事さんも的外れのあて推量はやめて、さっさと、あっしを公判にかけてくだ
さいあせんか」
「少なくとも、いまの段階では、それはできません」
「だって刑事さん。当の本人が松瀬を殺ったと白状してるんだすけえに、裁判
にかけられねえことはあるめえ。あっしを検察庁に送りこんで、検事さんに
起訴してもらい、あっしを裁判にかけたら、娘の美枝子を一刻も早く釈放して
もれえてえだ。おねげえしあすだ」
 梅吉は朴訥(ぼくとつ)な口調でそう云いながら、デスクのうえに両手をつき
額を擦りつけた。
「梅吉さんの気持ちはよくわかります。娘さんを釈放してもらいたいという親の
気持ちは痛いほどわかります。本官も人の子の親ですから。しかし、ほんとの
ことを教えてもらわないと、娘さんを釈放することもできません」
「だからなんども云ってるでしょう。あっしが異常なセックス野郎の松瀬を殺っ
たと、ほんとのことを白状してるだ。これ以上、ほんとのことあ、どこにもねえだ。
刑事さん。そうでしょうがな」
「わかりました。梅吉さんの希望どおり、なるべく早く検察庁に送ってあげる
ことにしましょう。その代わり5月13日の夜、娘さんのマンションの350号室
でなにが起こったのか。そのあとだれが、どんな遣り方で被害者を聖橋の
欄干から川に吊りさげたのか。梅吉さんが識っている、ほんとのことをその
まま教えてください。その真実が判明すれば、娘さんの美枝子さんも釈放
されますから」
「だから、ほんとのことあ、もう、みんな刑事さんにはなしましたがな。これ
以上のことあ、あっしあ、なんにも識りあせん。へえ」
「まったく、困ったお人だ。これではどうしようもない」
 春山課長の執拗(しつよう)な追及にもかかわらず、多摩梅吉はこれまで
の供述を撤回しようとする素振(そぶ)りはなかった。


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