【革バンドで絞殺】
菊野弁護士は多摩美枝子が哀れになった。 「さあ。ハートのうちを鎮めて!」 そう云いながら菊野はアイロンの効いた白いハンカチを美枝子の まえにさしだした。 「すみません。お借りします」 多摩美枝子はハンカチで涙を拭いた。 美枝子の動揺が沈静するのを待って五十嵐検事はふたたび訊問を はじめるポーズになった。 「松瀬との場合は、竹山とのときのような異常な現象はなかったので しょうか。当初、院長室であなたがコーヒーを炒れかけているところを 松瀬が突然うしろから襲いかかり、あなたを押し倒し、スーツを剥ぎ取り あなたを性欲発散の受け皿にしたということは、あなた自身が事情聴取 のとき、本官のまえで説明された事実です。松瀬にそういう傾向がみられ る以上、その後においても、おなじようなパターンの乱暴があったと考え られます。どうなんですか。美枝子さん」 五十嵐検事は美枝子の目を避け、天井をみあげながら穏やかな 調子になった。 美枝子はハンカチを握ったまま俯(うつむ)いてしまう。 「美枝子さん。その点はどうだったんでしょうか」 「・・・・・・・・・・」 「例の5月13日の夜、午後8時すぎに、千代田マンションの350号室 で、ベッドにはいるのを待ちきれないで、松瀬が応接間で突然、 あなたを押し倒し、スーツを剥ぎ取り、松瀬は左手であなたを押さえ ながら、右手で自分のズボンを脱ぎ捨て、押さえ込まれている、 あなたのすぐ横に放りだし、あっという間にペニスをあなたの 下腹部の柔らかいポケットに挿入した。突然のショックで、竹山 事務長に襲われたときと、おなじようにあなたのバギナは異常な病的 痙攣(けいれん)をおこし、射精後もペニスは抜けなくなった。ふたりが 縺(もつ)れあっているところへ、石川流太郎さんか、多摩梅吉さんが はいってきて、異常な状態に驚嘆(きょうたん)し、脱ぎ捨てた松瀬の ズボンから革バンドを抜き取り、松瀬の背後から、その首を締めつけ たんじゃないですか。ねえ。美枝子さん。そうなんでしょう」 五十嵐検事は生々しい犯行現場を目撃したかのように滔々(とうとう) とまくしたてた。 「五十嵐検事。違法な誘導訊問はやめてください。そんな状況は、 検事の単なる憶測にすぎません」 菊野弁護士は厳しい表情で検事に抗議した。 「・・・・・・・・・・」 五十嵐検事は菊野弁護士の抗議を無視した。 検事室には、ふたたび黒い霧がたちこめていった。
黒く円い縁取りの壁時計の長針がぴくりとうごき午後2時30分になった。 「実はその」 多摩美枝子は俯いたまま涙を堪(こら)えながら語りだした。 「実は検事さんのおっしゃるとおりの事実が現実におこりました。ただその 一部には食い違いもありますけれども。はい」 「ほう。それではそのときのシチュエーションをもういちど詳しく述べてくだ さい。まず、あなたは5月13日の夜、なん時ころ千代田マンションに帰宅 されましたか」 五十嵐検事は興味津々(しんしん)という目つきでデスクに身を乗りだした。 「はい。たしか8時近くだったと」おもいます」 美枝子は顔をあげ五十嵐検事をみつめる。 「あなたがお帰りになったとき、部屋にだれかがいましたか」 「はい。松瀬が先にはいっていて、ソファーに浅く掛け、じれったそうに、 あたしの帰りを待っていました」 「あなたが応接間にはいっていったとき、なにがおこりましたか」 「はい。松瀬は、まるで発情期の獣(けもの)のように、あたしに跳びついて きました。あたしはその場に押し倒され、持っていたハンドバッグやレタス、 タマネギ、キュウリ、甘夏蜜柑、ハッサクなどのはいったレジ袋も放りださ れ、絨毯(じゅうたん)のうえにばらまかれました」 「それで、そのあとは」 「はい。松瀬は、あたしのスーツを剥(は)ぎ取り、ブラジャーなどの肌着も すべてむしりとり、あたしは丸裸にされました。松瀬は自分のズボンを 脱ぎ捨て、胸を肌蹴てあたしを抱き締め、遮二無二(しゃにむに)ペニスを あたしの下腹部の禁断のホールに挿入しました。松瀬の精液を蓄えた 精嚢(せいのう)には精液が鬱積(うっせき)していたのでしょうか。短い時間 で射精し、松瀬はすぐにペニスを抜こうとしました。けどペニスは抜けませ んでした。松瀬がペニスを抜こうと焦るたびに、あたしの下腹部は火がつ いたように痛みました。性交痛などというものではありません。文字通り 耐え難い痛みでした。松瀬がいくら焦ってもペニスをバギナから抜去する ことはできませんでした。このまえの事情聴取のときにも、検事さんに申し あげたのですが。あたしのバギナが異常な状態で極度の把握力のある 病的痙攣(けいれん)を生起したんだとおもわれます」 「そうかもしれませんね。医学の専門家に聞かなければ、その状態の正確 なメカニズムは判りませんが・・・」 「はい。検事さんのおっしゃるとおりです」 「とにかくセックスのあとで信じられないような異常なトラブルが生起したことに なりますが。そのあと、どうなりましたか。できるだけ具体的に話してください」 「はい。松瀬が彼のペニスを抜こうとするたびに、あたしが下腹部の痛みで 悲鳴をあげるので、松瀬も抜くのを諦(あきら)めたのでしょうか。彼はあたし のおなかのうえにノサバッタまま眠り込んでしまいました。セックスの直後には 一瞬、深い眠りに陥るといわれますが。あのときのような眠り方で眠り込んで しまったのです」 「なるほど。それで、そのあと、どうなりましたか」 五十嵐検事は腕を組み、興味津々という目つきで天井をみあげる。 「はい。あたしは松瀬の体重で押し潰されそうでしたが。辛うじて首を左右に うごかして周囲をみると、あたしの手が届く位置に、松瀬が脱ぎ捨てたズボン に革バンドがまわされていることに気づきました。あたしは手を延ばし、その 革バンドを抜き取りました。その革バンドを両手で松瀬の首に巻きつけました。 松瀬は眠りこけています。そのまま一気に締め付ける決心をしました。松瀬 を窒息死させれば、ひょっとしたら松瀬のペニスが弛緩(しかん)して抜けるか もしれないと閃(ひらめ)いたのです」 「ほう。それで」 五十嵐検事は念を押した。 「はい。あたしは両手に全力を集中し、必死の力を振り絞り、自分の息を 止め、力のかぎり絞めつけました。当初、松瀬はばたつきましたが。そのうち、 げんなりとして、あたしのおなかのうえにぐったりしました」 「それで」 「あたしは、しばらく目を瞑(つぶ)ってそのままにしていました。そのうち、 下腹部がラクになったことに気づきました。松瀬の胸に手をあててみると、 もう心臓の鼓動(こどう)は停止していました。あたしは下腹部を左右にうごか してみました。すると松瀬のペニスは抜けたのでしょうか。あたしのおなかは 松瀬から離れることが判りました」 「なるほど。前代未聞の異常な光景でしたね。そのあと美枝子さんは、どう なさいましたか」 五十嵐検事は天井から視線をながし美枝子の瓜実顔をみつめる。 「はい。あたしは」起きあがって、すぐ浴室に駆け込みシャワーを浴びまし た。ガウンに着替えてから、病院の医事課に電話をいれました。幸いにも 落合賢次医事課長が電話にでました。課長は残務の処理でただひとり 残っていたもようでした」 「それで」 「はい。あたしは『緊急事態がおこったので病院のワゴン車ですぐ来て欲し い』と課長に哀願(あいがん)しました」 「ほう。それで落合課長は来てくれましたか」 「はい。病院から千代田マンションまでは車だとノンストップなら1〜2分 ですので、5分ほどで落合課長は来てくれました。課長は現場をみて 驚嘆しましたが。とにかく、あたしがビールの栓を抜いて課長に勧め ながら、これからどうするか、と話し合いました」 「それで、話し合った結果どういうことになりましたか」 「はい。課長は、松瀬が性的には異常な性格の持ち主だと識っていた らしく『ここはひとつ松瀬教授をもっと懲らしめてやろう』と云いだしました」 「それで、どんな方法で松瀬を懲らしめることにしたんですか」 「そこまで云えば、おおかた察しがつくとおもいますが。『あとはオレに 任せておけ』と云って竹山事務長の屍体を毀損(きそん)したときとおなじ ような方法で、松瀬の亡骸(なきがら)を浴室まではこび、文化包丁で 松瀬の両眼を抉(えぐ)り取り、両耳を切断し、鋭利なカミソリで松瀬の 頭を丸坊主にしたうえ、そのペニスをカットしてから、陰毛まで綺麗に 剃り落としたのでした。そして課長は『丸裸にされた松瀬の亡骸を聖橋 から神田川に吊るすのだ』と云いだしました」 「ほう。そあと、どうされましたか」 「はい。課長が『段ボール箱はないか』と云うので、『空き箱があるわ』と あたしは寝室へ向かいました。寝室の奥の押入れから大型洗濯機の 空き箱を取り出し、応接間にもどりました。それを課長に渡しました。 課長は松瀬の亡骸をその箱のなかに入れ、『ちょっと手を貸してくれ』 というので、ふたりで力をあわせ、松瀬の亡骸がはいった箱をマンション の入り口のドアのところまではこびました。『あとはオレに任せろ』と云い いながら、マンションの備品である手押し車で洗濯機をはこぶような格好 (かっこう)ではこびました。やがて課長は」エレベーターホールに吸い込ま れてゆきました。それから先のことは目撃したわけではありませんが。 おそらく、マンションの木陰に停めてあったという病院のワゴン車で聖橋 まではこび、橋の欄干から吊るしたものとおもわれます」 「なるほど。ここで一段落したので、ちょっと休憩することにしましょう。 杉山君、コーヒーでも炒れてくれないか」 「はい。ただいま」 取調べの状況を録音していた杉山検察事務官はテープの電源をきり 起ちあがった。
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