20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:目には目を歯には歯を 作者:藤田耕太郎

第25回   梅吉の自白
          【多摩梅吉の自白】

 東京の西部にあたる多摩川縁の羽村堤を玉川上水に沿って1キロ
ほどくだったブナの林のなかに,くっきりと洋風建築の菊野邸が浮かび
あがる。赤紫色をした屋根の煉瓦が、しっとりと梅雨に濡れている。
 菊野邸の正門から紺色をした木綿の生地に白く太い文字で梅の一字
を囲み染め抜いた半纏姿で、地下足袋を履いた多摩梅吉がはいってゆく。

 菊野邸の応接室では「日捲りカレンダー」が黒い文字で1999年6月21日
月曜日になっている。
 セピアで木彫風の縁取りをした壁時計の長針がぴくりとうごき午後6時半
になった。
 壁に造りつけの書棚には、法律関係の専門書や判例集がぎっしり収納
されている。窓側の一角にはグランドピアノがおかれていて、ソナチネの
楽譜がひろげられたままになっている。その日の昼下がりに佐保子が娘
時代を回顧しながら、昔レッスンした楽譜をひろげピアノを弾いてそのまま
にしていたのであった。
 植木職人の多摩梅吉がソファーに座っている。梅吉にしてみれば、なんと
なく寄り付きにくいムードが赤い絨毯のうえに淀んでいた。
 梅吉がソファーに浅く掛けて窮屈そうにしていると、奥のドアーが開いて
菊野弁護士があらわれた。
「お待たせしました。梅吉さん、気楽になさってください」
 そういいながら菊野は梅吉とさし向かいでソファーに身を鎮める。
 奥のドアーが開いて佐保子がビールとお摘みをはこんでくる。
「梅吉さん、おひとつどうぞ」
 佐保子は梅吉のまえにさしだしたジョッキに麒麟麦酒の一番搾り
をなみなみとそそいだ。
「あなたは、ご自分でなさるんでしょう」
 そういって佐保子はビール瓶を夫のまえにさしだしながら、
「うちの先生は、ビールとコーヒーは自分でしないと気がすまないん
ですよ。梅吉さん、ごゆっくりなさってください」
 梅吉に向かい、そういいながら微笑んだ佐保子は奥のドアから
消えていった。
 菊野は自分のジョッキに七分三分の泡立ちでビールをそそぎ、
右手でもちあげながら、
「梅吉さん、どうぞ」
 とジョッキを下唇にあて45度に傾け、白い泡と小麦色の液体との
境界線をジョッキの縁まで浮きあがらせ、その透き間から吸いあげ
るようにひとくちすすった。
「いただきあす」
 梅吉は、節くれだって黒く陽焼けしたおおきな右手でジョッキをもち
あげ、ぐっとひとくち飲んだ。
 ジョッキをテーブルのうえにおきながら梅吉は、
「いつもご馳走になるばかりで」
 そういいながらおおきな目でじろりと菊野文彦をみつめる。
「とんでもない。いつも庭木の手入れでお世話になっているのは、
こちらのほうです」
 菊野文彦はライターでタバコをつける。
「オラア、それが商売ですんで。へえ。ふだん、うちでは焼酎の白波
ばかり飲んでるんで。ビールあ最高の味がしあすだ」
 梅吉はジョッキを傾けながら、ぼやくようにいう。
「ところで、さきほど事務所にいれていただいた電話では、急ぎの用件
ということでしたが。なにか起こりましたか」
 そういいながら菊野は天井に向け紫の煙を噴きあげ、
「梅吉さんもどうぞ」
 とシガレットケースを梅吉のまえにさしだす。
「へえ。そいじゃ1本いただきあす」
 そういって梅吉はタバコをつける。
「実は娘の美枝子が警視庁のホテルに泊まらせられることになりまして。
へえ。今晩からですが・・・・」
「そうですか。五十嵐検事の事情聴取を受け、なにかまずいことでも
発覚したんでしょうか」
「おそらく松瀬殺しの犯人と疑われてるんだとおもいあすだが」
「美枝子さんは、桜門大学お茶の水病院の病院長室の秘書という被害者
に最も近い距離にいましたからね」
「へえ。それで疑われてるんだとおもいあすだが。さっき菊野先生に電話
するめえに、検察庁の杉山という人から電話で知らされたもんで。へえ。
あの子あ人を殺めることなんぞできねえはずであすが」
「おっしゃるとおりです。仮になにかの弾みで殺ったとしても、あの火聖橋
の欄干から女手ひとつで被害者を神田川の水面すれすれにまで、吊り
おろすことはむりでしょう」
「へえ。あっしも、そう考げえておりあすだが」
「おそらく、五十嵐検事も美枝子さんを真犯人と疑ってるわけではないで
しょう。多分、重要参考人ということなんでしょうが。検察側も焦りはじめて
いるので、美枝子さんの了解をえて、ひとまず泊まってもらって、あすの朝
から,さらに詳しく事情を聴取して、真実を探索りだそうとしているにちがい
ありません」
「それでこのまま美枝子が検事さんに苛められ、殺ってもいねえことを白状
でもして、裁判にかけられたときには、菊野先生に弁護をお願げえしてえと
おもいあして。へえ」
「わかりました。さっそく、あしたの午前中に検察庁に出向いて、五十嵐
検事にかけあってみましょう」
「よろしくお願げえしあすだ。それで、あっしもいっしょに連れていってもれえ
てえんでごぜえあすだが」
「それはかまえませんが。しかし梅吉さんが出向いても、美枝子さんに遭わ
せてもらいないとおもいます。まだ初動捜査の段階ですから」
「それでもええですけえに。とにかく先生のお供をさしていただきてえんで」
「わかりました。それでは、ごいっしょしましょう」
 そういいながら菊野弁護士は梅吉のジョッキにビールをそそいだ。
 奥のドアが開いて佐保子が寿司をはこんできた。
「てんやものですけど。おひとつどうぞ」
 と佐保子は梅吉に寿司を勧める。
 佐保子は、もうひとつの寿司桶を夫のまえにさしだし、
「梅吉さん、ごゆっくり」
 と、微笑みを残して奥のドアから消えてゆく。
「さあ。梅吉さん。ビールをどんどん空けて、寿司も摘んでください。美枝子
さんのことは心配要りませんから」
 そういって菊野はジョッキを傾ける。

 菊野邸の応接室では、セピアの縁取りをした壁時計の長針がぴくりと
うごき午後7時30分になった。
「すっかり、ご馳走になりまして。どうも」
 そういいながら梅吉は起ちあがった。
「それでは、あした9時すぎの東京ゆきの電車に乗りますから。梅吉さん
は9時ころ幸福駅のホームで待っていてください」
「へえ。わかりました。よろしくおねげえしあすだ」
 梅吉はぺこりと頭をさげた。
 応接室をでた梅吉は、玄関のあがりがまちに腰をおろし地下足袋を履いた。
「菊野先生。おやすみなせえませ」
 梅吉は深く頭を垂れると玄関のドアに手をかける。
「車ですか」
 菊野に聞かれ梅吉は、
「へえ。電車ですんで。でえじょうぶです」
 おおきな目でちらっとみあげた梅吉は菊野邸をあとにした。

 警視庁近くの並木道では、濃緑になったマロニエの葉が梅雨でしっとりと
濡れている。
 地下鉄丸の内線霞ヶ関の地下道から菊野弁護士と多摩梅吉がマロニエの
並木道にのぼってくる。
「菊野先生。松瀬を殺ったんは、実は、あっしなんでして」
 梅吉は菊野のうしろからぽつりとぼやいた。
「なんですって!」
 菊野弁護士は、はっとして振り向き、梅吉のまえに起ちはだかった。
「松瀬を殺ったんは、美枝子であなくって。このあっしなんでして。
美枝子はそれを見ていただけなんでして」
「まさかそんなあ。それほんとですか」
「へえ。それできょう、先生のお供をしてきたんは自首したかったんで
ごぜえあす。自首するにはどこへ顔だせばええですか」
 梅吉は、履きふるして罅割れしかかった黒い靴をみおろしがら
小声でいった。
「それは、警視庁でも、検察庁でもいですが」
 菊野弁護士は梅吉の肩に手をかけた。
「そいじゃ。美枝子と鉢合わせになりたくねえんで、検察庁ではなく、
警視庁のほうに連れていってくだせえ」
「わかりました。とにかく自首するまえに、詳しい話をきかせてもらい
ましょう」
 菊野弁護士はマロニエの下のベンチに向かってあるきだした。
 肩をおとして梅吉はそのあとにしたがった。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 17859