【多摩美枝子の告白】
五十嵐検事はタバコをつけると、ソファーに背筋を擦りつけ天井に向け 紫の煙を噴(ふ)きあげた。 「それで、そのあとはどうなりましたか」 「はい。そのあとをつづけます」 多摩美枝子はからだの慄(ふる)えを堪(こら)えながら、ふたたび語りだした。
美枝子『落合賢次課長は「喉(のど)が渇いた」といいました。あたしは飲み物を 用意するためキッチンに向かいました。あたしがお盆にグラスふたつと麒麟麦酒の 一番搾りと栓抜きを載せて客間にもどったとき課長はソファーに背筋を擦りつけて いました。 あたしがビールの栓を抜くと、 「少なめにしてね。まだ仕事があるから」 と、課長はいいました。 そこで、あたしはグラスに軽くそそぎました。すると課長はぐいと一気に飲み干し ました。あたしもビールをひとくち飲みました。あたしはおなかがからっぽでした から、ビールをひとくち飲むと胃袋がかあっと熱くなりました。 「段ボール箱とロープはあるかな」 課長はあたしをみつめました。 「はい。ロープは非情脱出用のもがあります」 と、あたしがいいました。 「よくまあ。そんあものがあるね。君は用心深いんだね」 課長は薄ら笑いを浮かべました。 「ええ。このロープは松瀬にセガンデ3本ほど病院から持ちかえったんです」 「松瀬教授に駄々を捏(こ)ねていたんだね。ところで段ボール箱はあるかな」 「はい。あります。冷蔵庫を配達してもらったときのがありますから、いますぐ 持ってきます」 そういいのこして、あたしは寝室へ向かいました。 寝室の押入れのなかから折り畳んだ段ボール箱を客間にはこび、そのまま 課長にわたしました。 「これでよし」 と、いいなががら課長は段ボールを組み立て立体的な箱を造りました。 「あとはオレひとりでいいから、君はしばらくベッドにはいって寝すみなさい」 「それでは、そうさせていただきます」 と、あたしはそのまま寝室に向かいました。 あたしはライトを消してベッドに潜り込みました。 しかし、疲れきっているのに、なかなか寝つかれませんでした。はい』 多摩美枝子の語りはそこで一段落した。 「ところで、その夜の事件現場において」 五十嵐検事はソファーに身を乗りだした。 「竹山事務長が落合賢次課長に首を絞められ、窒息死したのは夜の 何時ごろでしたか」 「はい。あたしは竹山と密着し縺(もつ)れあったまま、もがき苦しんで いましたから、時間の記憶はありません。ただ、あたしがマンションに 帰宅したのが事件当夜の8時すぎでしたし、そのあとで、あたしがトイレ を使って客間にもどったところを襲(おそ)われたこと、そのあと竹山が 射精して満足し、ペニスを抜こうとしたけどアレが抜けなくなり、絡(から)み あってもがいているところへ落合賢次課長がはいってきて、あたしと竹山を 引き離そうとしたけど、それがむりだと判断され、非常手段としてベルトで 竹山の首を絞めたものとみられますから、竹山が窒息死したのはおそらく 8時40分ころではないでしょうか。より具体的には、竹山のペニスがあたしの 禁断のホールからぽそりと抜け、あたしの下腹部がラクになったときです」 「そうすると、竹山が死亡したのは、事件当夜の午後8時40分ころ ということになりますかな。いずれにしても、あなたはベッドでお寝すみに なったんですから、段ボール箱を課長にに渡してからの経緯(けいい)は わからないわけですか」 「はい。その後における課長の仕草を見ていたわけではありませんが、 おそらく組み立てた段ボール箱を浴室に持ち込み、丸裸にされた竹山の 亡骸(なきがら)をその箱に収納したものとおもいます」 「多分、そうでしょうな。それでは、そのあとをつづけてください」 「はい。つづけます」 多摩美枝子は検事の視線を避け、目をおとしてふたたび語りだした。
美枝子『あたしが着替えもしないでベッドのなかでいくらか蕩(とろ)けて いると、寝室のドアがノックされました。どれだけの時間が経ったのか わかりませんでした。あたしがドアを開けたら課長が起っていました。 「これから荷物をはこぶからロープを1本だしてくれないか」 と、課長はいいました。 あたしは押入れのなかから非常脱出用のロープを1本とりだし課長に 渡しました。 すると課長は、 「手を貸してくれ」 と、云いのこして浴室へ向かいました。あたしも課長のあとについてゆき ました。浴室には冷蔵庫を収納したものとしか見えない荷物ができてい ました。ふたりでその箱をマンションの入り口まではこびました。 「これから、どうやってお茶の水橋まではこぶの」 と、あたしが聞きました。 「病院のワゴン車を近くの木陰に停(と)めてあるから、その車で運搬する が、あとはオレひとりでいい」 課長は周囲を警戒しながらドアをめいっぱい開きました。南天の鉢の 脇にはマンション共用の荷物運搬用の手押し車がおかれていました。 その手押し車に亡骸を収容した箱を載せました。 「ブザーが鳴るまでカギをかけておくように」 と、課長は云いのこし手押し車を押しはじめました。あたしは気には なりましたが、いつまでも外を見ていると、他人に目撃されるかもしれ ないとおもい、すぐにドアを閉め、カギをかけ、客間の電灯も消して、 ソファーのうえで横になりました。 仄(ほの)暗い部屋のなかで壁時計をみあげたとき、たしか深夜の 1時近くでした。千代田マンションからお茶の水橋までは、車でしたら ノンストップなら2分程度でしたから、もうそろそろかなとおもってると ブザーが鳴りました。 用心深くそっとドアを開けると課長が帰っていました。 「お帰りなさい」 「ああ。みんなおわった」 課長はソファーに掛けるなり、 「朝までこのソファーで寝かせてくれ」 と云って、ごろりと横になりました。 「車に乗らないんなら飲みましょう」 あたしは、そういいのこしてキッチンに向かいました。 カシュウナッツと密栓をしていた先ほどのビールをお盆に載せて 客間にもどりました。 「だれにもみられなかったの」 あたしは、課長のグラスにビールをそそぎました。 「ああ。だれにも見られなかった。うまくいった」 課長はぐいとグラスをあけました。 「ジョッキで飲みたいな」 あたしに甘えるように課長はいいました。 「いますぐにね」 と、云ってあたしはキッチンの戸棚からジョッキとビールをはこび、 つぎつぎにビールの栓を抜き、ふたりで3本も飲み干しました。 やがて酔いがまわったらしく、課長はソファーのうえにごろりと横に なりました。 「風邪をひくといけないわ」 あたしは寝室の押入れから毛布をもってきて課長にかけてやりまし た。あたしも寝室にもどり、着替えもしないでベッドに潜り込みました。 けど、異様な緊張が残っていて寝つかれないまま朝を迎えました。 そうですね。その翌朝つまり5月28日の午前6時ころ、客間を覗いた ら、課長の姿はありませんでした』
多摩美枝子は隠し立てをしないで、歴史的に実在した真実を そのまま、五十嵐検事のまえで告白した。
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