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作品名:目には目を歯には歯を 作者:藤田耕太郎

第17回   菊野弁護士の模索
 それは1999年6月11日の早朝であった。
 警視庁の通信指令センターに110番通報がはいった。
 係官は緊張して応答の姿勢になった。
 JR中央線高尾発東京行一番電車の乗客からの通報によれば御茶ノ水駅
近くのお茶の水橋の欄干から神田川の水面すれすれに全裸の変死体が
吊るされているとのことだった。

 警視庁捜査一課はただちに捜査官を現場に出動させた。
 春山捜査一課長が聖橋の現場に駆けつけたときには、すでに千代田
警察署の捜査官によって変死体は橋のうえに収容され、ブルーのシート
のうえに仰向けにされていた。
「課長。この無残なほとけの格好(かっこう)は聖橋事件のときと、まったく
共通してますね」
 砂山警部は血の気を失った変死体のうえに覆(おお)いかぶさるよう
に屈みこんだ。
「そうなんだ。聖橋事件のときとおなじパターンだな」
 春山捜査一課長も変死体の脇に屈みこんだ。
「このほとけも、両眼がなくなり、両方の耳もなくなっている。これでは
人間としての個性は喪失され、被害者の特定は困難になりますな。
見てください課長。髪の毛はきれいに剃りおとされ、頭は丸坊主に
されています」
「惨(むご)いはなしだ。そのうえ男のペニスにまで手をつけてる。ほとけ
は陰茎と睾丸まで切断されてしまった。しかもごていねいに陰毛まで剃り
おとされているんだ。もっともその乳房からみて男にはちがいないが」
「鑑識さん ! カメラ」
 春山捜査一課長の叫びに反応してカメラ係りは遺体の全容にピント
をあわせ、がちゃりとシャッターをきった。
「両方の手首を緊縛したロープもまえの事件とおなじ種類のものらしい。
名札はついてるかな」
「はい。ついてました。いまからアップで撮影します」
 鑑識班のカメラ係りは手繰り寄せられたロープについていた名札を
アップにしてフラッシュを炊いた。
「このロープもまた桜門大学お茶の水病院の非常脱出用のものだと
すれば、このヤマもやはりまえの事件と同一犯人かもしれないな。」
「はい、課長。ほとけの頚部の傷痕もまえの事件のときとほぼおなじ
ようですね。犯人はどこか別の場所で被害者を絞殺してから、ここ
まで屍体を運搬して、橋の欄干から神田川の水面すれすれにまで
吊るしたものでしょう」
「そうすると、この事件も砂山警部が云っていたように性の乱れの
成れの果てに起こった見せしめ目的のものかもしれない。だからこの
聖橋事件、お茶の水橋第一事件、お茶の水橋第二事件とこれら三つ
の事件は、やはり同一犯人による連続殺人事件でしょう」
「いずれにしても殺人の犯行現場が別の場所だとすれば、凶器の
発見は困難でしょうが。繰り返し神田川周辺一帯の探索をするしか
ありませんか。課長」
「まあ。そうだね。わしはひとまず本庁にひきあげる。あとの指揮は
警部にまかせる」
「はい、課長。わかりました」
両眼を抉りとられ、両耳を切断されて、人間としての個性を完全に喪失し
蒼ざめた全裸の変死体は担架に載せられワゴン車に収容された。
 ワゴン車はサイレンを鳴らしながら小川町方向にはしりだし、警視庁
に向かってはしりつづけた。
 黒塗りの公用車に乗り込んだ春山捜査一課長はワゴン車のあとを
追いつづけた。

 鑑識班は、交通規制をしいたお茶の水橋の欄干だけでなく、被害者の
手首を緊縛(きんばく)していたロープからも念入りに指紋を採取してゆく。
 砂山警部の指揮のもとで、ボートに乗り込んだ捜査官は神田川一帯の
捜索をつづけていった。


 東京の水源地として知られる多摩川に沿った羽村堰から玉川上水
を一キロほどくだった山毛欅(ぶな)の林のなかに菊野邸は静かな
佇まいをみせていた。
 菊野邸の書斎では、壁に掛けられた『日捲りカレンダー』が1999年
6月11日金曜日になっている。
 セピアで木彫風の縁取りをした壁時計の長針がぴくりとうごき午後
7時になった。
 菊野文彦は書斎のデスクに向かい分厚い判例集を捲っている。
 ドアを開けたままの書斎に長女の法子がはいってくる。
「ただいま」
「ああ、お帰り」
 父は返事をしただけで判例集を捲りつづける。
「はい、夕刊」」
 グリーンのショルダーバッグを肩に掛けた法子は、テーブルのうえに
夕刊を載せ、廊下へ消えてゆく。

 文彦は回転椅子をぐるりとまわし、デスクを離れてソファーにからだを
鎮め夕刊をひろげてぎくりとした。
「またか。いったい、どうなってるんだ」
 おもわず大声をあげた文彦の目にショッキングな夕刊のトップ記事が
とびこんできた。
 菊野文彦はトップ記事にくらいついた。
 
 夕刊のトップ記事を読みおえた文彦はライターでタバコをつけた。
ソファーに背筋を擦りつけた文彦は天井に向けて紫煙を噴きあげた。
 文彦はお茶の水橋第二事件の真相を模索しはじめた。

◇ 菊野弁護士の模索 ◇
 このお茶の水橋第二事件の犯行の手口は、松瀬病院長殺害事件に
つづく竹山茂太郎事務長殺害事件の犯行の手口と完全に符号している。
その被害者の頭は丸坊主にされ、被害者の両眼を抉りとったうえ両耳を
切断している。なおそれでも飽き足らず、まるで『アベサダ事件』のように
陰茎や睾丸までもカットし、陰毛も剃り落としている。そのうえでわざわざ
人目につきやすいお茶の水橋の欄干から全裸の被害者を神田川の水面
すれすれにまで吊るしているのだ。こうした残酷な犯行の手口からみて、
お茶の水橋第二事件は、やはり性の乱れに端を発した怨恨による見せし
めのための犯行とみるのが自然であろう。しかも唯一の現場遺留品である
被害者の両方の手首を緊縛していたロープが桜門大学お茶の水病院に
かかわりのある備品だとすれば、その犯人はおそらく桜門大学お茶の水
病院にかかわりのある人物であろう。この点、同病院の元患者だった
白山咲一は現在、お茶の水橋第一事件の被疑者として起訴され、被告人
の身分で東京拘置所に拘禁されている。だから白山君はお茶の水橋第二
事件の実行犯ではない。白山君以外の実行犯はだれか。それにしても
お茶の水橋第二事件の発生により白山君がお茶の水橋第一事件の真犯人
ではなかったという可能性がいっそう高まったことになる。ともかく、できる
だけ早い機会に拘置所にゆき、白山君と接見してみよう。白山君のアリバイ
証人でも捜しだし、無罪の主張にもってゆくことができればよいのだが。
なにかこう無罪の主張に直結する新たな情報はみつからないものか。
これれまでとは視点を変えて無罪を立証することができる証拠資料を探索
することに重点をおいてみよう。

 廊下に人の気配がした。
「パパぁ」
 法子が書斎のドアから顔だけ覗(のぞ)かせた。
「お食事の準備ができました。今晩は『本マグロ』のお刺身だから、
鮮度がおちないうちにはやく来てね」
 菊野弁護士は灰皿にタバコの吸いさしを擦りつぶした。
「それじゃ飯にするか」
 文彦はソファーのうえで腰を浮かせた。

 お茶の間に文彦がはいってくる。
 法彦も法子も妻の佐保子もテーブルをかこみ文彦を待っている。
 お茶の間のテレビでは金曜時代劇がはじまったいた。


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