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作品名:目には目を歯には歯を 作者:藤田耕太郎

第13回   凶器の発見
 東京地検の五十嵐検事室では白い壁に掛けられた『日捲りカレンダー』
が黒く太い文字で1999年6月3日木曜日になっている。
 黒い縁取りをした円い壁時計の長針がぴくりとうごき午前10時になった。
 検事デスクのまえには手錠をはずされた白山咲一が五十嵐検事と対峙
し、重苦しさが床に沈殿している。
「それでは取調べにはいります。白山さん」
 五十嵐検事は書類を捲りながらきりだした。
「あなたは平成11年2月8日付けの内容証明郵便で桜門大学お茶の水
病院の事務長である竹山茂太郎に対して損害賠償を求める通告書を
だしたとされていますが。この事実を認めますか」
「はい。ええと」
 白山被疑者は記憶を喚起しようと右手の拳で軽く額をたたいた。
「その日付はよく覚えていませんが。通告書はだしました」
「その通告書で病院側に求めた損害賠償請求はなにを根拠としたもの
でしたか。その法的根拠はなんでしたか」
「はい。それは眼科外来医事課職員の不法行為を理由とした民法第
717条による使用者責任の追及でした」
「なるほど。使用者責任でしたか。たしかに」
 五十嵐検事は被疑者と視線をあわせた。
「大学病院は医事課職員の使用者にあたりますが。その職員の不法
行為の内容はどんなものだったか、具体的にはなしてください」
「はい。その不法行為の内容については、通告書に添付した証拠書類
に詳述してありますが。要するに医事課職員から痴呆扱いされたという
ことに尽きます」
「痴呆扱いといいますと」
 五十嵐検事は被疑者の目線で白山の目を見つめ腕を組んだ。
「どんな扱いだったのか、具体的にはなしてください」
「はい。わしが眼科外来で、診察を受けるためではなく、単に処方箋
の交付を受けるため受付の受函に診察券を投入しました。ところが、
なぜか、その診察券が一人歩きして、眼科の隣の耳鼻科の受函に
潜り込んでいたのです。というのは、耳鼻科の受付から呼び出された
のです。診察を受けていない耳鼻科の受付から呼び出されてはじめて
診察券が一人歩きしていたことが判明したのです。これはおかしいと
おもい、眼科の受付に詰問したところ、耳鼻科から処方箋がでている
ということでした。診察を受けていない耳鼻科から処方箋がでるはず
がありません」
「それはそのとりですな」
「ねえ、検事さん。論理的にもまったく筋のとおらない、デタラメなはなし
をでっちあげて、わしを愚弄し、痴呆扱いしたわけです。つまり白山は、
ボケがはじまり、耳鼻科と眼科との受付をまちがえたという虚偽の事実を
でっちあげて、患者のわしを愚弄し、痴呆扱いしたわけなんです」
「どうしてまた」
 五十嵐検事は腕を組んだまま首をかしげた。
「医事課職員が『カラカイ・ゲーム』のターゲットとして白山さんを選んだ
のでしょうか。それには、なにか訳があるんでしょうね」
「なるほど。『カラカイ・ゲーム』ですか。検事さん、うまいこと仰る。いわ
れてみれば、その概念がぴったりのようですな。実は不法行為をはたら
いたのは、そのときだけではありませんでした。それまでにも、類似の
行為がなんどかありました。そこで、わしは考えてみました。その結果、
ひとつの結論がでました。それは眼科受付の女子職員のひとりが、わし
に対して特殊な感情を抱いていたのではないかと」
「特殊な感情といいますと」
 五十嵐検事は検事デスクのうえに身を乗り出した。
「ええ。ちょっと適切なことばがみあたりませんが。尊敬の念というか、
恋慕の情念というか。そうした類の感情を抱いていることが、その
女子職員のわしに対する日頃の態度からよみとれました」
「なるほど。つまり」
 五十嵐検事は薄ら笑いを浮かべた。
「白山さんのお孫さんにあたるような若い女子がロマンスグレーに
惚れ込んだということですか」
「検事さん。うまいことを仰いますね。あるいは惚れ込まれたのか
もしれません。とにかく、その女子は統率力のある職員でして、彼女
の後輩の職員を抱きこみまして、3人のグループが共謀して計画
したものとみてます。例の『カラカイ・ゲーム』をです。仮に犯罪行為
にあたるとすれば、共謀による共同正犯というこですな」
「すると、すくなくとも3人による共同不法行為というわけですか」
「はい。共謀の事実についてはわしの推定にすぎませんが。彼女ら
の行為は、おなじ職場に勤務する者同士の連帯感で繋がった横の
関係における共同意思があったものとみています」
「ところで、白山さんの請求に対して病院側はどんな応答でしたか」
「はい。それが」
 白山は、いかにも忌々しそうに右の拳でこつんとデスクをたたいた。
「葉書1枚、電話1本もこないという、なしの礫でした。握り潰された
ままになっております。こんにちまで、ずうっと」
「たしかに酷いはなしですね。病院サイドには誠意のかけらもない
ということでしょうか。それで痺れをきらした白山さんが訴訟の提起を
考えられたと」
「はい。検事さんの仰るとおりです」
「しかし白山さんが松瀬病院長殺害事件の被疑者として書かれた
供述書によれば、通告書を突きつけられた場合、大抵の人は握り
潰すどころか、震えあがって法律専門家に相談したうえ、誠意を
もって回答するはずだ、それにもかかわらず桜門大学お茶の水病院
では請求を握り潰したままだった、とされています。そこで白山さん
は、松瀬病院長とおなじく竹山事務長も一筋縄では効き目がないと
決めつけ、あなたの持ち前の正義派的な厳しい感情が爆発し、いき
なり竹山事務長を血祭りにあげたのではないでしょうか」
「とんでもない。検事さん」
 白山は拳を固め反発のポーズになった。
「そもそも刑法第199条の殺人罪における人を殺すとは、自然の
死期に先立って故意に人の生命を断絶することをいうと、司法試験
の受験者ならば、だれでも暗記しているはずです。最高裁も人の生命
は全地球よりも重いと明言しています。そのような貴重な他人の生命
を故意に断絶するなど、おいそれとできるものではありません」
「それはたしかに仰るとおりですですが」
白山『ここはひとつ、滔々と捲し立てて自己弁護をしておこう』
 胸のうちで白山はそう決め込んだ。
「そりゃ、あまりにも人をコケにした大学病院の態度は、決して容認
することはできません。ですから殺ってやろうとおもわなかったといえ
ばウソになります。しかし『思想は罰せず』という法諺のとおり、殺ろう
とおもっただけでは、なんらの犯罪も構成しません」
「それは白山さんの仰るとおりですが。とはいえ、お宅のキッチンの
包丁たてから発見された血痕が付着した出刃包丁をどう説明すれば
よいのですか」
「なんですって !! 出刃包丁ですって」
 白山は、もはやパフォーマンスでおしとすこが困難になった。
 杉山検察事務官は、施錠された戸棚から出刃包丁が入った透明な
ビニール袋をとりだし検事デスクにさしだした。
「これがそれなんですがね」
 五十嵐検事は包丁のはいったビニール袋をもちあげた。
「この包丁で竹山事務長の両方の目玉を抉りとり、両耳を切断し、
さらには被害者の陰部までカットしたんじゃないですか」
「そんなものは識りません。そりゃ、うちにも出刃包丁はありますが、
その包丁はわしのものではありません」
「けど、お宅のキッチンの包丁立に差し込んであったんですがね」
「仮にその包丁がわしのものであったとしても、その包丁をもちいて
竹山事務長を殺ったという証拠はどこにもないじゃないですか」
 白山被疑者は検事にくいさがった。
「しかし、それがあるんですよ」
「いったい、どんな証拠があるというんですか」
「この出刃包丁には、血痕が付着してるだけでなく、この包丁からは
白山さんの指紋が検出されてるんですがね」
「そりゃ、わしのキッチンの包丁立にあった出刃包丁であるとすれば、
それを使っているわしの指紋がでてくるのはあたりまえです」
「たしかに、それはそのとおりですが。なにしろ血痕が付着しているん
でね。この点をどうやって切り抜けることができますかな」
「それは検事さん。出刃包丁というものは魚をばらしたり、肉を切ったり
するもんですから、キッチンの包丁立に差し込んであったとしても不思議
ではありません。その包丁に付着していた血痕は、わしが鯉こくをつくる
とき、鯉をばらしたまま包丁の手入れをしないで包丁立てに差し込んだ
からですよ。鯉こくは、わしの得意料理で月に一〜ニ度は、その包丁で
鯉を捌いています。だから、わしの指紋がついていたり、血痕が付着し
ていても、決して不思議ではないということになります」
「そうはいっても、なにしろ血痕が付着している包丁ですからね。凶器の
立証については十分な証拠価値があります。そうだとすれば、この血痕
が付着した出刃包丁は有用な証拠になります」
「それを証拠にもちいるかどうかは」
 白山被疑者は肩をおとして俯いた。
「そちらの勝手ですが。仮にその包丁が竹山事務長殺害後に、目玉
を抉りとったり、両耳を切断した凶器だとすれば、それをキッチンに
残しておくようなバカな犯人がいますか。仮にわしが犯人だとすれば、
とうに多摩川か神田川に棄てたはずです。その辺のことも推量しない
で、凶器がでた、凶器がでたと騒ぎ立てる。ばかばかしいったら、
ありゃしない。まったくう」
「ばかばかしいかどうかは、これからしだいに明らかになってくる
ことでしょう」
 白山は肩を揺らせてふうっと溜め息を吐いた。
「ところで、先般、白山さんが」
 五十嵐検事は白山に厳しい視線を浴びせた。
「松瀬病院長殺害事件の被疑者として作成した供述書は、まったく
虚偽の部分と客観的にも真実の部分があるといわれましたね」
「はい。それは」
 白山は顔をあげて検事の額のあたりをみつめた。
「聖橋事件の締めくくりとして、わしが釈放される直前に菊野弁護士
の立会いの席で、検事さんにもうしあげたとおりです」
「その蒸し返しになりますが。ここからは」
 五十嵐検事は白山被疑者の供述書を捲りかけた。
「その真実の部分を手掛かりにして、白山さんの行動の一部始終を
そのままお聞かせください」
「はい。わかりました。そのまえに、はっきりさせておきますが。
その出刃包丁に付着していた血痕は、わしが鯉こくをつくったときに
黒い二匹の鯉を捌いたときのものでしょう。その当時かなり酔いが
まわっていたので、包丁の手入れをするのが億劫になり、そのまま
包丁立に差し込んだものでしょう。ですから出刃包丁が押収された
からといって、なんら隠し立てをする必要もないので、真実は真実
としてありのままをおはなしします」
「白山さん。あなたはそのぉ」
 五十嵐検事は、検事としての威厳をかあっと白山に照射した。
「松瀬病院長の行動を調査したところ、毎週、きまって木曜日と土曜日
の夜には、明治大学の脇から、つま先のぼりの小高い丘のうえに建て
られた千代田マンションに出入りしていることを突き止めました。この
事実に偽りはありませんか」
「はい。そのとおりです。偽りはありません」
「それで松瀬教授がそのマンション三階の350号室にはいってゆく
ところを確認しました。これもたしかですか」
「はい。それも真実です。たしかにこの目で確認しました」
「さらにマンションのドアの脇においてある南天の鉢のうしろから
鍵を探りだし、松瀬教授が多摩美枝子の居室にはいってゆくところ
を目撃したとありますが。これも真実でしょうか」
「はい。そのとりですが」
「これらの松瀬教授の行動は、どのようにして確認したのですか。
具体的にはなしてください」
「はい。実は千代田マンションから100メートルほど離れた向かい
側には、丘の上マンションが建っていまして、そのマンションの
三階にあがり、野晒しの露出廊下から双眼鏡で千代田マンションを
覗くという方法で確認しました」
「なるほど。それで5月27日の夜、双眼鏡で覗いていると多摩美枝子
を訪ねて竹山茂太郎事務長があらわれ、南天の鉢のうしろから
鍵をとりだし、350号室にはいるのが見えた。そこで白山さんは、
これ幸いとばかり千代田マンションに駆けつけ、そのマンションで
竹山茂太郎事務長を殺害し、こんどこそ本当に被害者を段ボール箱
に押し込み、手押し車に載せ、マンション近くに停めておいたワゴン車
まではこび、幸福市の自宅まで運搬、自宅の浴室でこ出刃包丁を
もちいて被害者の両眼を抉りとり、その両耳を切断し、浴室にあった
剃刀で髪の毛を剃り落として丸坊主にし、さらに陰茎や睾丸までも
切断し、陰毛まできれいに剃り落とした。そして被害者の両方の手首
を非常脱出用のロープで緊縛し、ふたたび被害者を段ボール箱に
入れ、ワゴン車でお茶の水橋まで運搬して、橋の欄干から全裸の
被害者を神田川の水面すれすれに吊るしたんでしょう」
「とんでもない。検事さん。そんなあ」
白山『ここは、なんとしても、検事の攻撃を跳ね除け、自己弁護で切り
抜けなければならない』
 白山は胸のうちで呟いた。
 作戦を決め込んだ白山は反撃の姿勢になった。
「いまのおはなしは、すべて検事さんの推測にすぎません。聖橋事件
において、わしがパフォーマンスとして書きあげた虚偽の供述書の
焼き直し、いや、盗作のシナリオです。その中身は単に被害者を松瀬
教授から竹山事務長に入れ替えたにすぎません」
「いずれにしても、凶器と推定される血痕が付着した出刃包丁がお宅
のキッチンから発見されました。しかし竹山事務長殺害の状況につい
ては、まだ直接証拠がないため、あなたの自供をまつしかありません。
真実を吐いたほうが楽になるということは、白山さんがすでに経験済み
のはずですが」
白山『ここで抽象論をもちだし、五十嵐検事に反撃することにしよう。
そのためには刑事訴訟法の鉄則である証拠裁判主義を盾にとるの
がよさそうだ』
 老たけた白山は五十嵐検事を愚弄する姿勢になった。
「そもそもわが刑事訴訟法は、近代国家並みに証拠裁判主義を採用
しております。その刑事訴訟法の規定によれば、『事実の認定は証拠
による』とされております。ですから単なる推測だけで被告人を有罪に
追い込むことはできません。はきりした証拠もなしに無実の者を逮捕
して公判にかけることは、訴訟法の建前である証拠裁判主義に反す
る人権侵害になります」
「たしかに刑訴の規定は白山さんの仰るとおりになっていますが」
 五十嵐検事は自信ありげに腕を組んだ。
「いずれその証拠は、きちんと固めてゆくことになります」
「検事さん。前科者いびりもいいかげんにしてください。いくら苛め
られても、殺ってもいないことを自白するわけにはいきません。もし
それにもかかわらず自白すれば、虚偽自白として結局のところ裁判
官によって排除されるのが関の山です」
「自白を強制するつもりはありません。ただ竹山事務長を殺ってるん
なら、一刻もはやくすべてを吐き出したほうが賢明でしょう」
 白山は、むっつりとした表情になった。
「ええと。きょうは」
 五十嵐検事は回転椅子をぐるりとまわし腰を浮かせた。
「ここまでにしておきましょう。ありのままの真実を素直に述べたほう
が賢明ですが。まあ警視庁のホテルでじっくり考えてください」
 検事は杉山検察事務官に顎でサインをおくった。
 待機していた係官は、杉山検察事務官の指示にしたがい、起ちあ
がった白山被疑者にがちゃりと手錠を嵌めた。
 手錠を嵌められた白山被疑者は係官と捕縄で繋がれ、羊飼いに
追われる羊のように検事室から消えていった。


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