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作品名:目には目を歯には歯を 作者:藤田耕太郎

第12回   白山司法書士の再逮捕
 警視庁捜査一課の壁に掛けられた『日捲りカレンダー』が 黒く太い
文字で1999年6月1日火曜日になっている。
 黒い縁取りの円い壁時計の長針がぴくりとうごき午前10時になった。
 白山咲一がはいってくる。
「呼び出しを受けました白山ですが」
「どうも。こちらでおまちください」
 係官は白山を窓側のソファーに案内した。
 白山はソファーに身を鎮めた。
 係官は課長デスクに近づいていった。
「白山がみえましたが」
「ああ」
 デスクに向かって書類を点検していた春山捜査一課長は、その書類
を持ってソファーに寄ってきた。
「またしても白山さんに」
 春山課長は書類をテーブルのうえに載せ、ソファーに背筋を擦りつけた。
「こうして、おめにかかることになりましたね」
「それというのも、そちらから勝手に呼び出したからですが」
「たしかに仰るとおりですが。こんどは、お茶の水橋の欄干から
変死体が吊るされました。ご存知でしょうか」
「ええ。お茶の水橋事件については、マスコミで派手に報道されました
から識っています」
「そのニュースを聞いて、白山さんはどう思われましたか」
「どうって。それは、やはりクランケを虫けらのように待遇しておき
ながら、被害者からの損害賠償請求を握り潰し、大学病院という
巨大組織のうえに胡坐をかいてる、ひと握りの権力者に対する不満
が爆発したからでしょうな。この事件は多分、正義派の犯行と見られ
ます。そうとしか考えられません」
 白山は持ち前の正義派感情剥きだしの地金を曝け出した。
「なるほど。あいかわらずの」
 春山課長は鋭い二重瞼の眼光を白山に照射した。
「手厳しい発言ですな。ところで白山さんと竹山茂太郎さんとはどう
いうご関係ですか」
「こんども、わしを疑ってるんですか」
「とんでもない。決したそいうわけではありません。こんどのお茶水橋
事件と関係のありそうな方すべてに事情をうかがってるだけなんです」
「それならいいんですが。松瀬病院長事件でもわしが供述したとおり、
わしが桜門大学お茶の水病院のクランケで竹山氏がその病院の事務
長であったという関係ですが。それがどうかしましたか」
「実はですね」
 春山課長はライターでタバコをつけた。
「聖橋事件の被害者は松瀬教授でしたが、こんどのお茶の水橋事件の
被害者は竹山事務長でした」
「なんですって ! あの竹山事務長が殺られたんですか」
 白山は一瞬、驚嘆した。

春山『この驚嘆振りはいつものパフォーマンスで、たいした演技力だ』 
 春山課長は胸のうちで呟いた。
「そうなんですよ。ところで白山さんは、竹山事務長に対しても厳しい口調
の内容証明郵便を突きつけていますね。どうですか。一本どうぞ」
 春山課長はシガレットケースの蓋を開け白山にタバコを勧めた。
「課長さん。その手には乗りません。まるで被疑者か被告人に対する
誘導訊問じゃないですか。竹山事務長にそんものを突きつけたおぼえ
はありません」
 白山は厳しい眼光で春山課長の訊問を跳ね返した。
「白山さん。惚けないでください」
 春山課長の二重瞼のまなこがきらりと光った。
「とんでもない。惚けてなんぞいません。遣っていないことを遣った
と認めることはできません。あえてそれを認めれば虚偽の自白に
なってしまいます」
「そうすると、この」
 春山課長は白山名義の通告書のコピーをちらつかせた。
「確定日付のある正真正銘の通告書は、いったいだれが発送した 
というんですか」
「そんなものが、またどうして課長さんのお手元にあるんですか」
「実はですね。お茶の水橋事件の被害者が桜門大学お茶の水病院
の竹山事務長だということが確認されたので、状況証拠を発見する
ため事務長室を捜索したところ、この通告書がでてきたんですがね」
「ああ、そうですか。いわれてみれば、そんな文書を発送したかもしれ
ませんな。記憶は定かではありませんが」
 白山は飄々として顔色を変えることもなかった。
「そこで、きょうの事情聴取ということになったわけですが」
「その通告書は聖橋事件のときに述べたとおり、大学病院ともあろう
ものが、クランケを虫けらのように扱い、その人権を侵害したので、
医事課職員の不法行為にもとづく民法第717条の使用者責任を
追及したものでしょう」
「なるほど。そうでしたか」
「ところが、なんらの誠意も示さないで、被害者の請求を握り潰した
ままになっています。大学病院という怪物のような巨大組織は、いわば
『私的政府』ともみられる性格のものです」
「ええと。仰るところの」
 春山課長は怪訝な表情になった。
「なんでしたか。その『私的政府』とは、そもそもなんのことでしょうか」
「はい。文字どおり私立大学は国家の権力的な組織ではなく、私的
団体としての財団法人にすぎません。ですから巨大な組織ではあって
も国家的な権力を行使しているわけではありません」
「それは白山さんの仰るとおりです」
「しかし私立大学も強大な力を有する組織であることはたしかです
ので、そうした性格に着目すれば、その活動はあたかも国家権力に
匹敵するものとみられます。だからその活動を国家的組織の活動に
なぞらえ、権力の主体としてこれを『私的政府』といいます」
「たしかにそうかもしれません。しかしそうした巨大組織による人権
侵害といっても、憲法の条文には『私的政府』という概念はどこ
にもありません。そうすると『私的政府』という発想は、白山さん
が司法試験受験のベテランとして考えだした理論ですか」
「とんでもない。失礼にもほどがある。まったくぅ」
 白山はむっつりとした表情になった。
「この理論はアメリカの判例がいいだしてから、しだいに学説として
も定着した高度な憲法解釈の手法なんですよ。それをわが国の憲法
学者が輸入して、さらに日本国憲法の解釈として工夫を凝らした素晴ら
しい学説なんです。わしの独断ではありません」
「わかりました。勉強不十分で」
 春山課長は白山の通告書のコピーを摘みあげた。
「たいへん失礼しました。ところで、この通告書を竹山事務長に送達し
たことは認めますか」
「それは、そこにコピーがあるのですから」
 白山は、もはや逃げ場をうしない、その場凌ぎに苦笑いした。
「認めるしかないでしょう。それを否定してみても、郵便局へゆけば
判明することですから否定はしません。しかし民事上の請求をした
その通告書とお茶の水橋事件とは無関係でしょう。いったいどんな
関係があるというんですか」
「はたして無関係かどうかは、これから」
 春山課長は訝しそうな表情になった。
「しだいに明らかになってくることでしょう」
「それはどういう意味ですか。こんかいもわしが竹山事務長殺しの
実行犯だとでもいうのですか」
「その実行犯かどうかは白山さんがいちばんよくおわかりのはず
でしょうに」
「わしには沢井法夫検事殺害の前科があるからといって被疑者扱い
はやめてください。法律の規定にもとずく正当な権利行使の意思表示
を確定日付ある内容証明で請求したからといって、殺人の実行犯に
仕立てあげられたんではたまりません」
「別に白山さんが竹山事務長殺害の実行犯とみてるわけではありま
せん。ともかく、この通告書を読んでみてください」
「わかりました。読むことを拒否すれば、また聖橋事件のときのように
被疑者扱いされ、逮捕状もなしに警視庁のホテルゆきにされかねま
せんから。読みますよ。読めばいいんでしょう」
 白山は春山課長がさしだした通告書をよみはじめる。

 ―白山咲一の通告書―

                  通  告  書

              東京都幸福市緑ヶ丘3丁目××番地〇〇号
                  通 告 人       白 山 咲 一
              東京都千代田区神田駿河台2丁目〇〇番地
                  被通告人  桜門大学お茶の水病院
                          事務長   竹山茂太郎
一 末尾添付の証第一号に記載した眼科外来医事課職員の行為は
 故意に他人の法益を侵害する違法な行為であります。そこで証第3号
 に示す内容証明郵便によって被害者が被った損害を賠償せられる
 よう通告しましたが、何らの回答がえられまえんでした。
ニ 右のような誠意のない態度は、職員に対する日常の監督責任
 を怠っている証拠とみられます。このような不遜な態度を黙認する
 わけにはいきません。
三 この問題の処理を回避して放置すればするほど被害者の精神的
 損害は拡大してゆくことになります。このためその拡大分は新たな
 拡大損害として損害賠償額に加算されてゆく筋合いです。
四 証第2号に示す通り被害者はもはや、これ以上の受診を継続する
 ことは出来ない状態に追い込まれております。そこで、これまでに受診
 した眼科、循環器科、心臓外科、皮膚科のカルテの原本またはコピー
 を速やかに交付せられたい。
  それと共に、損害額350万9425円を速やかに賠償せられるよう
 請求します。この請求に対して、誠意ある回答が得られない場合には
 損害賠償請求訴訟及びカルテ引渡請求訴訟を提起することに加え、
 診療事務処理過程における文書隠匿の罪にかかわる刑事告訴をも
 含めてあらゆる法律上の手続を執らざるをえなくなりますのでご了承
 ください。もしも本案訴訟の提起とか、刑事告訴ともなれば、必然的に
 司法記者を通じて、右のような大学病院内における不祥事がマスコミ
 により国民のまえに公開されることになり、桜門大学お茶の水病院
 にもご迷惑をおかけする虞もありますが、そのような結果も、被害者
 が自己の利益を擁護するための手段として止むをえません。誠意ある
 回答がなされない場合における右のような好ましくない事態の発生に
 ついては、決して害意を告知するものではなく、念ため警告の意味に
 おいて述べたにすぎません。脅迫の意思はもとより、恐喝の意思は、
 毛頭ありません。この点、誤解なさらぬようお願いします。
  本件につきましては速やかに問題解決のため、双方の話し合いが
 なされることを切望いたします。
  平成11年2月8日
                        右通告人  白 山 咲 一
桜門大学お茶の水病院
   事務長 竹山茂太郎 殿

 白山は自分が書いた通告書を読みおいた。
「とまあ。このように弁護士が書いたような」
 白山は通告書を自画自賛して薄気味の悪い笑みを浮かべた。
「りっぱな文章になっているんですが」
「たしかに美辞麗句をならべた名文ですが。その行間には枳殻のような
蒼い棘が隠されているような気がします」
「枳殻のような蒼い棘など、どこにも隠されてはいません。それは春山
課長さんの勘ぐりにすぎません」
「このような厳しい口調の通告書を松瀬病院長だけではなく、竹山
事務長にも突きつけたが、なしの礫で握り潰されてしまった。そう
いうわけですね」
「ええ。そのとおりです。他人から法律上の請求を受けながら、これ
を平然と握り潰している。その態度は傲慢とういか不遜というか、
そういう切捨てご免の横柄な態度が許せなかった。クランケを虫けら
のように待遇していながら、それを当然のことのように考えている。
これこそまさに『私的政府』の権力濫用です。そうというしかない」
「さあ。はたしてそうでしょうか。いずれにしても」
 春山課長は、二重瞼のまなこをかっと見開き白山を凝視した。
「白山さんは、桜門大学お茶の水病院に対し、いや、少なくとも、その
松瀬病院長や竹山事務長に対しては、故意に近い激しい報復感情に
凝り固まっていられるようですな」
「あたりまえでしょう。大学病院といえども、患者が来なくなったら、それ
こそお手上げでしょう。経済的にでもです。そうだとすれば、患者は、
病院にとっては大切なお客さんとういことになりますわな。その大切な
お客さんをコケにしあがって。コケにされたんでは、誰だってあたまに
きえしまいますよ。それでも、なにもいわずに泣き寝入りしていたんで
は、乱された大学病院内の秩序を回復することはできないでしょう。
そうじゃないですか。課長さん」
「白山さんのお気持ちはわからないでもありませんが。だからといって
過激な行動にでるというのは考えものです」
「なんですって。わしが確定日付ある文書を竹山事務長に突きつけた
ことが過激な行動だと仰るんですか」
「いえ。そいう敵意に近い感情の縺れが犯罪に発展する虞を否定でき
ないと云ってるんです」
「それはたしかに、そういう場合も考えられはしますが」
「ところで白山さん」
 春山捜査一課長は被疑者を追い込むときの目つきになった。
「5月27日の夜のことなんですがね。白山さんは、どちらにいらっ
しゃいましたか」
「わしのアリバイですか。こんどもまた」
白山『春山課長はオレを前科者扱いにしてあがる。ここはひとつ、
おもいきり、跳ね返してやろう』
 白山は胸のうちでそう決め込んだ。
 反発の姿勢になった白山は春山課長を睨みつけた。
「わしを竹山事務長殺害の犯人に仕立てあげるうもりでしょうな。
有罪判決を受けた前科者、執行猶予中の男。ただ、それだけの理由
で犯人扱いするんですか。人権侵害もはなはだしい」
「いや。別に犯人扱いしているわけではありません」
「いえ。課長さんはわしを犯人扱いしてます。こんども」
 白山は、激しい気性を剥きだしにして厳しく春山課長を非難する
姿勢になった。
「事情聴取に名を借りて、実質的には取調べをしようとする魂胆が
みえみえじゃないですか」
「とんでもない。お茶の水橋事件でも、現場遺留品は被害者の両方
の手首を緊縛し橋の欄干から神田川の水面すれすれに吊るしたロープ
だけでした。しかも非常脱出用のロープには桜門大学お茶の水病院
の名札がついていた。だから同病院にかかわりのある人から事情
を聴取しているだけです。決して白山さんを被疑者扱いしているわけ
ではありません」
「課長さんの場合は捜査官ですから」
白山『ここは、もっといじこく春山課長に食いさがってやろう。その
ためには、国家の権力論をもちだして課長を跳ね返してやろう』
 胸のうちで白山は作戦を練り、ほくそ笑んだ。
「課長さんの職務の執行は権力的な公務にあたります。ですから、
例の『私的政府』どころか、明らかに国家権力の行使といえます。
その権力を振り翳し、わしが前科者だという、ただそれだけの理由
でわしのいうことには、いっさい耳を貸さない。前科者のいうことなど
信用できない。肩を威からせて、わしを虫けら同然に取り扱っており
ます。ええ、そうなんです。課長さん」
「これは手厳しいですな。それでは話をもとにもどしますが、白山さん
は5月27日の夜、どちらにいられましたか」
「ええと。5月27日の夜ですか。その日は近くの地主さんの空き地で
草刈をしていました。それも草刈機ではなく、昔ながらの遣り方で、
鎌を砥いで草を刈り、刈り取った草は自宅の堆肥場にはこびました。
ほどよく疲れたんで、7時ころには風呂にはいり、ビールを飲んで、
夕食のあとは早めに床に潜り込みました」
「そのことを証明してくださる方はおりますか」
「そんな者、いるはずがありません。わしは一人暮らしですから」
「なるほど。一人暮らしでしたか。それでもし竹山事務長を殺って
るんでしたら、前回とおなじように供述書を書いてください」
「課長さん。いいかげんにしてください。殺ってもいないことを書ける
わけがないでしょう。作家ならいざしらず、素人のわしが、ありもしな
い空想をでっちあげることはむりというもんです」
「しかし白山さんは」
春山『ここは、ひとつリラックスしたムードに転換して、白山にくちを
わらせてやろう』
 春山課長は胸のうちで、作戦をたてなおした。
 その胸のうちをオクビにもださず、春山課長はタバコをつけた。
ソファーに背筋を擦りつけ天井に向けて紫の煙を噴きあげる。
「聖橋事件について、松瀬病院長殺しの状況を、まるで小説のよう
に臨場感をもたせて表現されましたね。あの生々しい表現は、実際
に体験した者でなければ書けないような描写でした。ですからあの
供述書に書かれた内容は真実だとみています。松瀬殺し事件当夜
における白山さんのアリバイは、石川流之介との共謀によるパフォー
マンスだったと、わしはいまでもそうおもっています」
「課長さんがどうおもうかは、そちらの勝手ですが。菊野文彦先生の
アリバイ証明については、五十嵐検事みずからそのウラをとり、鰻の
専門店で老舗の『うな梅』の女将絹さんの証言を信頼したからこそ、
公訴を取り下げ、わしを釈放したんです」
「たしかに刑事手続としては、そのように処理されました。しかし検事
の事件処理は誤りだったと、わしは見ています」
「だったら松瀬殺しの直接証拠を固めて、わしを再起訴したらどうで
すか。再起訴しても検察の恥のうわ塗になるだけですが」

「捜査一課としては、竹山事務長殺害のお茶の水橋事件と平行して
聖橋事件の捜査も続行しています。証拠が固まりしだい、真犯人を
逮捕することができるでしょう。白山さんも捜査官いびりはやめて真実
を聞かせてくださいませんか」
「そうはいっても、殺ってもいないことを供述することはできません。
聖橋事件についての容疑が晴れて釈放される直前、菊野弁護士の
立会いの席で五十嵐検事にいわれました。もう二度と虚偽の供述に
よって自己誣告をするなと。そのとき、わしは検事さんに対して、検察
を愚弄するようなことは二度としないことを誓ったんです。ですから、
重ねて虚偽の供述をすることはできません」
「なるほど。それでは」
 春山課長の二重瞼がぴくりとうごき、被疑者を自白させるときの
姿勢になった。
「白山さんが真実を供述できるまでの時間をつくりましょう。今日は
事情聴取をした後、お帰りいただく予定でしたが、しばらく警視庁の
ホテルで休憩していただきましょうか」
「ごめんこうむります。こんかいはその手には乗りません」
 課長デスクのうえで電話のベルが鳴り響いた。
 若い警部は受話器をとりあげた。
「課長。現場の砂山警部からの緊急連絡です」
 警部は春山課長のほうを振り向いた。
「ちょっと失礼します」
 電話にでた春山課長は、課長デスクの脇に起ったまま応答していた
が、通話がおわると、勢い込んでソファーにもどってきた。
「白山さん。とうとう」
 春山課長は鬼の首を執ったような顔つきでソファーに座りかけた。
「あなたが仰っていた直接証拠が発見されましたよ」
「なんですって ! 」
「実はですね。あなたの留守中に菊野弁護士の立会いで、お宅の家宅
捜索をさせてもらいました」
「菊野先生には、わしが拘置所にはいっていたとき、うちの合鍵をわたし
たままになっていますが。こん畜生 ! 」
 白山は不意打ちを食らわされた忌々しさに激高しデスクをたたいた。
「捜索令状もなしに人の住居に侵入するとはなにごとですか。違法
捜査は断じて許せません」
「いや。違法捜査はしていません。ちゃんと捜索令状をとり、その
捜索令状にもとづいてした正当な捜索ですから」
「家宅捜索をしてみて、それで」
 白山は右の拳でデスクの表面をこつんとたたいた。
「どうだったというんですか。直接証拠などあるはずがない」
「それがあったんですな。お宅のキッチンの包丁たてから凶器とみら
れる血痕が付着した出刃包丁が発見されました」
「まさか。そんなあ」
 白山はうろたえた。
「ありもしない凶器が見つかるはずがありません。それはまさに論理
矛盾としかいいようがない」
「これで警視庁のホテルに逗留していただく条件がととのいました。
いまから地階のホテルで休憩してください。これからは取調室で事情
をうかがうことになります」
「どうぞ、ご勝手に」
 不貞腐れた表情で白山はたちあがった。

 留置係官に小突かれるようにして白山咲一が警視庁の地下留置場
のおりてくる。
 いちばん奥の個室の前で係官の靴音がとまった。
「ここで、しばらく」
 若い係官は鉄格子の扉を開ける。
「休憩なさってください」
 白山は渋々個室にはいった。
 鉄格子の扉が閉められた。係官は扉に施錠した。
 自由な空間から遮断されたエリアに白山だけが残された。
 拘束されたエリアで、白山は両足を投げだし壁に寄りかかった。 
 陽光の届かない仄暗い地下室から立ち去る、こつこつという係官の
靴音だけが白山の耳の底に沈殿していった。

 春山捜査一課長は、自分でコーヒーを炒れ、課長デスクに凭れる。
コーヒーをひとくち啜りあげた。
春山『これで白山の身柄をひとまず確保することができた。砂山警部
が指揮を執った白山家の家宅捜索では血痕の付着した出刃包丁が
発見された。これはおおきな収穫だった。この出刃包丁は、れっきと
した直接証拠だ。あとはこの直接証拠を白山に突きつけて、竹山事務長
殺しについて白山を自白に追い込もう。そうだ。この出刃包丁および被害者
をお茶の水橋の欄干から神田川の水面すすれに吊るしたロープを証拠として、
白山を自白させる作業は五十嵐検事にまかせることにしよう。そのほうが
効果的だ。白山の自白をとりつけないままでもいいから、すぐ検察庁に
書類送検しよう』
 春山課長は、当面の捜査方針をかためた。
 タバコをつけた春山課長は、回転椅子の背凭れに寄りかかり、天井
に向け紫の煙を噴きあげた。


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