(2)
店の中には、なんともいえない空気が漂う。 茉莉は新顔の客と少し離れて同じソファに座り、一維と理がその隣のソファに、これも離れて腰を下ろしていた。晶妃は4人と向き合うようにカウンターにもたれるように立っており、巽だけがカウンターの中で体を動かしている。 「晶、運んで。」 カウンター越しに巽に声をかけられ、彼女が振り返ると、いつもと同じ彼のまなざしがそこにあった。本来が考えていてもしょうがない、なるようにしかならないと思っている晶妃であるから、切り替えてしまえば進むだけだ。 「ありがとう。理ちゃんはビール?」 小さいころからの習慣で、晶妃は叔父を今も名前で呼ぶ。 「マティーニ、貰える?」 巽は小さくうなずいて準備を始めた。 「少し前、母に用があって電話したとき、彼のマティーニをとても褒めていた。――それにしても晶妃が母をこの店に連れてくるとは思わなかった。」 「母がおばあさまに話したら、どんな店なのかぜひ見たいっていうんだもの。」、 晶妃の祖母に当たる御影志野は今も健在だ。凛とした婦人で、晶妃もあこがれる存在であった。鎌倉・二階堂にある屋敷で一人暮らしをしている。子供は4人だが、娘は晶妃の母一人だけということもあり、母のところへ週に何度かは電話がある。 「しかも鎌倉まで送り迎えしてくれたんだって? 迷惑かけてしまったね。」 「いい気分転換でしたから。」 巽は事なさそうに笑い、グラスをマティーニで満たした。 グラスを理の前に置くと、晶妃はぼんやりとしている女性客のところへ行き、床に右ひざをつき、彼女の目を覗き込んだ。心なしか顔色が青い。雨に濡れたからというだけではなさそうだ。 「ご気分はいかが? 悪いようなら、奥で横になれるけど・・・。」 「大丈夫です。もう失礼しますので。」 立ち上がりかけたとたん彼女はふらつき、晶妃はあわてて体を支える。茉莉も手を貸し、とりあえずソファに落ち着かせた。 「まだ動かないほうがいいわ。もう少ししたら送っていってもあげられるし。ここより奥のほうが――。」 「相談に乗ってあげられると思うよ。困りごとがあるでしょう。」 唐突な理の言葉に、その場にいた一同が驚いたように彼を見る。理本人は少しも変わった様子はなく、グラスに残っていたマティーニを飲み干すと立ち上がり、最も驚いている様子の女性客に笑顔を見せた。 「この店の扉を開けられるのは、《鍵》を持っているかどうか。それだけ。持ってない人々には近づくことができない場所なんだ。」 あっさりとした口調だったが、内容は尋常ではなかった。今まで叔父に抱き続けてきた山のような疑問、正確には、《御影の血筋》に対する晶妃の懸念は正しかったということになる。たった今、間違いなく『扉は開かれた』ということだ。 もう後戻りはできないだろう。これまで幾度となく、巻き込まれかけたトラブルはとりあえず回避してきたが、そうはいかなくなったらしい。ただ、確認はしておきたいと晶妃は思う。 「理ちゃん。」 「晶妃たちにも協力してもらうことになるよ。」 当然のように言う理に、かろうじて自制心を保って晶妃は勤めて冷静に問いかける。 「彼女の話を聞く前に確認しておきたいのだけど、《鍵》って何?」 「え?」 「わたしは――。わたしたちはね――!!」 ――そう、ずうっと、ずうっと。今のまま過ごしていたかったのだ。気の合う仲間として。それでよかったのだ。 右肩をつかまれ、振り向くと巽だった。 「オレたちはオレたちさ。高城さんも日向も。知ってるだろう?」 「巽くん。」 理は左手で自分の首筋をつかんだ。確かに晶妃には何一つきちんと話したことはなかった。姉の娘だから、何らかの話を聞かされていると思っていた。もしかしたら、姉は姉で可愛がっている自分から、彼女はそれなりの話を聞かされていると思っていたのかもしれないが。いずれにしろ、本人に確認をとっていなかった自分に非はある。 「――近いうちに、必要なことは話そう。君たちは知るべきだからね。ただ、今夜は彼女の話を聞かせてもらいたいんだ。」 「そうね。早いほうがいいんでしょうし。」 「ソファの位置変えましょうよ。話をするには向かないから。」 一維は巽を促して誰も座っていない二つのソファを動かし、三つのソファをコの字型に並び替えた。茉莉はカウンターに入り込んで冷蔵庫を覗き込む。 「晶センパイ、適当に作らせて貰っていいよね。おなかすいちゃった。」 それぞれが自分の判断で動く様子を見て、理は目を細めた。何も知らなくても、いや知らないからこそ、晶妃が培ってきた絆が存在するのだろう。晶妃を含め、彼らは確かに何も知らないに違いない。けれども彼らは間違いなく解ってもいるのだ。自分たちが内に持つものを。そして自分たちの執るべき道も。 晶妃が氷の入ったグラスとミネラルウォーター、それにワイルドターキーのボトルをテーブルに運んできた。巽は自分用にジンジャーエール。 女性客に向き合うように理と晶妃が座り、残りのソファに一維と巽が腰をおろした。茉莉が作る料理に入れられたのであろう。にんにくの香りが店内に漂う。 「いきなり驚かせるようなことを言ってごめんね。よかったら、名前を聞かせてもらえないかな。」 そう話を切り出したのは理だった。 言葉もなくうつむいていたその女性は、胸の前で手を硬く組んだまま顔を上げる。泣き出しそうになるのを精一杯こらえているのだろうか。目が真っ赤である。 「あの、あなたは?」 ――初めて会った、否、たまたま居合わせた人間に、いきなり相談に乗るといわれれば不審がられるのが当然だ。まして名前を尋ねられたところで、答えるような人間はいないだろう。 「失礼。わたしはこの店のオーナーで、御影 理といいます。捜し屋もやっています。隣にいるのが姪の晶妃で、ほかの三人は彼女の友人。わたしを手伝ってくれます。」 「捜し、屋?」 「捜し物を専門にしていますから、探偵とは名乗っていません。モノでも、ヒトでも、頼まれれば捜します。それが見つけるべきものかどうかというのは、また別の問題ですが、望まれたものを捜すことを生業としています。」 「本当に?」 「ええ。」 彼女の組んだ手に一層の力がこもるのが判った。少しの間、理の目をじっと見つめていたが、やがて搾り出すかのように小さな声で、けれどはっきりと言った。 「兄を・・・一ヶ月前から連絡の取れなくなった兄を捜してください!」 「――名前を教えていただけますか?」 穏やかな理の声に相手はうなずいた。 晶妃は巽と一維、そして茉莉に視線を投げた。巽はその視線に気付いたように晶妃を見たが表情は落ち着いていた。一維は腕を組み理のことをじっと見つめていた。カウンターの茉莉は鼻歌交じりに仕上がった料理を皿に盛り付けている。 「お待たせ。腹が減っては、戦ができぬ、よ。話はこれからでしょ。食べながら話そうよ。それと晶センパイ、わたしたちのことおじ様に紹介いてくださいねっ。」 彼女の生来の明るさは、こんな風な空気さえ厭わないのだろうか。場の雰囲気が一気に明るくなった。それに誘われたかのように、巽が料理を取りに立ち上がる。 「ひーちゃんは無敵だな。」 「そんなこと、言われるまでもありません。」 一維の言葉に力いっぱい茉莉は肯いた。
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