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作品名:夢の棲む森 作者:南條 祐

第1回   雨の夜は誘う(1)
T雨の夜は誘う

(1)

チリ、チリリン。
カウベルをはずして取り付けられた南部風鈴が涼しげな音を立て、客の来店を知らせる。促されるように振り返った晶妃が柔らかな笑顔を見せた。
「茉莉ちゃん。」
「もっと早く来たかったんだけど、――あ!」
言いながら店内を見回した彼女は、カウンターに頬杖をつき自分を見ている男性客をいきなり指差した。
「巽先輩!」
「人のこと指差すんじゃないよ。」
「こんなところで、何してるんですか!」
「誰かにものを尋ねる態度じゃないと思うぞ。」
それには答えず、茉莉は彼のそばに行き、カウンターテーブルの上に広げられたノートを覗き込んだ。
「仕事?」
「月曜締め切りですって。」
「ほとんど真っ白だけど、大丈夫なの?」
呆れ顔で問う茉莉に、巽の表情が少し不機嫌になる。彼女に悪気がないことは彼にも判るのだが、ストレートに言われるのが辛いことも多いのだ。
「茉莉ちゃん。」
巽が言うより先に、たしなめるように晶妃が茉莉を見る。ぺろりと舌を出し、彼女はカウンターに両腕を預ける。
「本日のお勧めって?」
「アンチョビポテト、トマトの冷製コンソメ仕立て、ラグーソースのクレープ包みなどなど。食材でまかなえれば、リクエストも可。飲み物は? カクテルにする?」
「晶センパイ、シェーカー振るんですか?」
「今夜は巽くんいるから。」
茉莉に驚きの表情が広がり、巽は軽く晶妃を睨んだものの、スツールから降り、カウンターの中に入った。手を洗うと手馴れた様子で、棚から道具を取り出していく。
「巽先輩がカクテル?」
「何飲むんだ?」
「ダイキリ!」
「ダイキリ、ね。晶はモヒートあたりか?」
「ありがとう。」
カウンター越しに二人のやり取りを聞いていた茉莉だったが、すぐに晶妃を手招きした。
「巽先輩、なんか感じ変わった。」
耳元で囁かれ、晶妃のほうも囁き返す。
「成りゆき。」
「それ以外ありえないでしょ?」
晶妃は軽く肩をすくめると、壁の時計を見る。
「9時過ぎたら、閉めちゃおうかな。茉莉ちゃんだけだし。」
「今夜当たり、高城さん来るんじゃない?」
茉莉の前にコースターを置き、グラスを置いた巽がダイキリを注ぎながらそういった。
「忙しいようなコト言っていたわよ。」
「いつもそう言っている気がするけど。」
小皿に入れられたピスタチオに手を伸ばしながら、ひとりごとの様に茉莉はつぶやいた。
チリ、チリ、チリリン。
再び南部風鈴の音色が響く。
「ビンゴ!」
茉莉の声に入ってきた男性は穏やかに笑った。
「晶さん、今夜の顔ぶれはまずいでしょ。」
「朝のカードでは、波乱含みの流れはなかったわよ。」
「だったら、雨のせいかな。水瀬、バーテンのバイト?」
生ビールを注いだグラスを出され、一維が真顔で言う。それに巽は答えず、軽く首を振る。
「ひーちゃんに会うのも久しぶりだよね。忙しい?」
一維は壁際に置かれたソファにグラスを持って移動しながら、茉莉にたずねる。彼女のほうもつられる形でそちらに移動する。すでにグラスは空だ。
「同じでいいのか?」
「モスコーミュールにしとく。」
巽が再びグラスとボトルに手を伸ばす。

ここ、宇宙樹のカウンターはスタンディングスタイル。その代わ壁際にゆったりとしたソファが3つ置かれている。傍には小さなサイドテーブルが置かれ、カウチ気分ですごせる。
ドアに向き合った側の壁は一面の本棚。納められている本のほとんどはこの店のオーナーで晶妃の叔父でもある御影 理の蔵書である。大部分が17,8世紀ごろの洋書で、今も晶妃に店を任せたまま、ヨーロッパのどこかにいるらしい。理から連絡が来ない限り、彼の居場所は判らない。ごくたまに小包が届き、そこに簡単なメモが添えられてるといった具合だ。中身は数冊の本と彼女宛のプレゼントであるタロットカードやアロマエッセンスくらい。姉である晶妃の母もあきれるくらいの風来坊なのだ。
店を任されている晶妃にしても、新宿の駅から離れ、しかも路地裏のそのまた奥にある、古びた小さなビルの二階に作られたこの店を開けているのは、叔父との約束を果たしているからだ。
≪わたしが留守の間、店番してもらいたいんだよ。≫
それまで晶妃は叔父が店を持っていることなど知らなかった(おそらく身内は誰も知らなかっただろう)し、ましてやその店たるものがここまでマニアックなものだとは思ってもみなかった。
理に案内されてこの店に入った時の驚きといったら・・・。書棚の前で絶句していたら、隣に立った彼は穏やかに言った。
≪これをわかるのは、晶妃だけだからね。――大丈夫。わたしが言うのだから安心しなさい。≫
それが3ヶ月ほど前のことだ。
店を任されてからわかったことは、常連客のほとんどが叔父の古くからの友人で、店というよりはサロンであるということだった。自分の娘ぐらいの晶妃のことを、彼が任せていったのだからと快く受け入れてくれ、変わらずに訪れては親しみを込めて接してくれている。

「店じまいしてくるわ。」
晶妃がカウンターを出たとき、ドアの風鈴が音を立てた。
彼らにその音が、始まりを告げる鐘の音のように聞こえたのは間違いなかった。
入ってきたのは、長い時間雨に濡れて歩いていただろうと一目でわかる若い女性だった。しっとりと全身をぬらし、髪からは雫が落ちそうだ。
晶妃の行動は早かった。
「巽くん、ホットミルク! 茉莉ちゃん、手伝ってあげて。」
「僕が店閉めてくる。」
一維はソファから立ち上がり、ビルの入り口に出された案内板を外すため店を出て行った。
タオルを渡された茉莉は晶妃と共に女性をバックヤードに向かう。巽は言われた通りにホットミルクの用意を始めた。
風鈴が鳴る。顔を上げた巽は驚いて、バックヤードにいる晶妃に声を掛ける。
「晶! 晶ってば!」
彼がそんな風に声を立てることなどまずないので、怪訝そうな表情でドアを開けた彼女は絶句した。
「予定に空きができたから、一時帰国だよ。」
相変わらずの叔父の調子に、晶妃は全身の力が抜けるのを感じた。


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