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作品名:さよなら世界…僕らのキヲク… 作者:火村擁

第6回   A 雑音 (その3)
僕は目を開けた。
樹々の間を縫って差し込んだ光が瞼に当たっている。
そこは森だった。いつか訪れたことのある森。空間≠ノもよく現われる。
僕は一番大きな木の根もとにもたれて座っていた。
辺りは静かで、風と葉ずれの音しか聞こえない。視界は鮮やかで明るく、樹々の上からはあたかも日光が降り注いでいるかのようだった。




タイヨウハ キエタハズナノニ




それとも、ここは現実なのだろうか。
空間≠ナはなく、現実世界なのだろうか。
よく解らない。頭に霞がかかっているようだ。
ここは、どこなのだろう。
「とうとう現実と妄想の区別もつかなくなったのか。」
頭上から声が聞こえた。あの天使が枝に腰かけて僕を見下ろしている。
やはりここは空間≠セったのだ。
「当たり前だろう。」
天使は座っている僕の前に舞い降りた。
僕は暫し天使を見つめた。
天使はその両手足首に鉄の枷をつけ、そこから太い鎖を垂らしている。首にも枷がついていた。
両目は黒い布で覆われている。
初めて見た時は逆光で、輪郭が解る程度だった。しかしはっきりとした光の下にその姿を晒して見ると、それはとても異様だ。
束縛されていないのは片方の白い翼だけに思えた。
僕はその閉ざされた両目を見つめ、下に隠されているはずの素顔を想像した。

……何も思い浮かばない。思い浮かべることができない。

天使の顔は僕の頭の中においてひどく曖昧で、輪郭すらも覚束ない。それどころか、考えれば考えるほど歪んで奇妙な顔が完成する。
同時に、吐気を伴う頭痛が襲ってきた。体中を悪寒が走り抜け、額に汗が滲む。
頭が割れるように痛い。震えが止まらない。
心臓がすごい速さで脈打っている。
脳が危険信号を発している。目の前で、想像した天使の顔と、意味の解らない数多の映像とが重なった。
いつか見た景色、絵画、現実の記憶、空間≠ナの記憶。
それらが無音状態の中、交錯していく。
呼吸がうまくできない。苦しい。
全身の歯車が狂ってしまったようだ。
けれど僕は、体の変調の他所で、眼前に広がる映像に見惚れていた。
「馬鹿だな。」
引き戻す声がした。脳の近く。
突然映像の銀幕が破れ、天使の顔が現われる。閉ざされた瞳が僕の目を覗き込んだ。
体が軽くなった。頭痛も消え、汗も引いていく。
大きく、息を吐く。指先から、ゆっくりと動くかどうか確認してみる。
どうやら完全に正常に戻ったようだ。呼吸も脈拍も、何事もなかったかのようにいつも通りのリズムを刻んでいる。
今のは何だったのだろう。ほんの一瞬、あるいは途方もなく長い時間、僕は自分の体を操れずにいた。
「できないことをしようとするからだ。」
天使はまだ僕を見ていた。
目の前に見えない顔がある。両目は隠されているのに、視線だけは強く感じた。
僕は天使の顔に触れてみた。
温もりは、ある。普通の人間よりは冷たいが、確かに生物の温かさだ。
天使は、されるがままになっている。
僕は目隠しに触れようとした。
視覚はあるのだろうか。
さっきから僕の行動をきちんと把握し、的確な場所へ触れてくる。
見えているのだろうか。だとしたら、どうして目隠しなどしているのだろう。
「温かいな。」
僕の手が黒布に触れる寸前に、天使はそっと避けて立ち上がった。僕は行き場を失った自分の手を見つめる。
「お前の手は温かい。」
僕の、手?
その手を、自分の頬に当ててみる。
「温かいだろう?ちゃんと、血が流れている。」




チガ ナガレテイル?




手首を強く握ってみた。
強く、強く。
やがて手が痺れてきて、逆に脈拍がよく解るようになった。
確かに、僕は生きている。僕の心臓は脈打っている。
「お前は何を確かめたいんだ?」
天使は僕の手を解放した。緩やかに、感覚が戻る。
僕は何を確かめようとしているのか。
天使の投げかけは感覚の復活とともに、全身に水輪のように広がっていった。
僕は、何を確かめようとしているのだろうか。
「だから妄想を繰り返すんだろう?」
妄想?
それは、この空間≠フこと?
「そうだ。これはお前の妄想だ。」
これは、僕の妄想が作り出した映像なのか。
僕は違う世界にトリップしているわけではない。ただ、脳がこの映像を見せているだけなのか。
それにしては感覚がリアルだ。見ているだけの映像とは思えないほど、僕の体は色々なものを感じている。光の眩しさ、空気の冷たさ、大地の温もり。耳を澄ませば、木の幹を逆流する水の音さえ聞こえる。現実の世界でもこれほどまでに意識したことなどないくらい、僕は周りのものとひとつになっていた。
体が溶けていくようだ。
自分の体の線が段々に崩れていく。体と世界の境界線が曖昧になっていく。
ああ、またこの感覚だ。
風化するというのは、こんな感覚なのかもしれない。
「風化したいのか。」
天使の声が届く。僕はその声を直接聞いていた。耳がどこにあるのかも解らない。
「もっといいところに連れて行ってやる。」

ものすごい風鳴りがした。
僕の体は突風に煽られて空高く舞い上がった。吹きつけてくる風の激しさに目を開けることもできない。
呼吸ができなくなる。
体が千切れそうだ。
僕は必死でもがいた。何かにつかまらなくてはならない。早く体を支えなくては。




コンナ ショウゲキ ボクハ シラナイ




手を伸ばした。
思い切り、思い切り。
突き刺さる空気の矢に、指が何本か切り取られたかもしれない。
それでも僕は手を伸ばした。指先が熱い。血が出ているのだろうか。
それでも僕は手を伸ばした。風は四方から吹きつける。
それでも僕は手を伸ばした。指先が、何か厚いものに触れた。壁?
僕は手を伸ばした。指に触れた壁を掴もうとする。
突然、壁が消えた。否、手が壁を突き抜けた。僕の体は更にバランスを崩した。
誰かが僕の手を掴んだ。強く引っ張られ、体は止まり安堵する。
次の瞬間、地面に叩きつけられた。
あちこちで骨の軋む音がする。
僕の体は、壊れてしまったかもしれない。
僕は、壊れてしまったかもしれない。




僕は学校の玄関に立っている。
終業時刻はとっくに過ぎたらしい。玄関には僕しかいなかった。
靴を履いて外に出た。
放課後だというのに校庭は騒がしい。部活動に勤しむ生徒たちの掛け声が流れる。よくできたBGMだ。僕には届かない。
何時だろう。
校舎に掛けられた時計を見上げた。
目が屋上へと向く。生徒用に開放された屋上に、今は人影はない。ここからは見えない。
僕は走った。
玄関へ戻り、靴を脱ぎ捨て、階段を一気に駆け上がった。
四階建ての校舎は長い。たった十数メートル体を持ち上げるだけなのに、どうしてこんなに疲れるのだろう。
飛び上がるわけじゃないのに。ただ、持ち上げるだけなのに。
あと少し。あと少し。
屋上の扉が見える。
あと少し。あと。
勢いに任せて扉を開ける。
僕は目を閉じた。
正面から夕日が当たる。眩しくて何も見えない。
目が慣れてくるとフェンスが見える。そこには誰もいなかった。鉄柵に囲まれたコンクリートの床が広がっているだけだ。
力が抜ける。乱れた呼吸が治まらない。座り込んでしまいそうになるのを、辛うじて抑えた。
夕日が当たる。眩しくて何も見えない。

帰ろう。

夕日が沈む。
早く帰ろう。


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