奇妙な繭。
繭の表面が震えている。繭を構成している細い糸のようなもの、ゲイジュツテキなんていう言葉で言い表わされるのかもしれない(どこかの人たちからは、私にはよく分からないけれど)その複雑に絡まって何かを作っているまたは作られている一つ一つの繋ぎ目が、細かく震えている。私はただの視点だから、その震えが奇妙な繭だけのものなのか、それとも部屋全体が震えているのかきちんと感じて判断することは出来ないけれど、私の関心は今のところ繭にしかなくて、繭が震えているのは確実で、だから私はここで満足してしまう。私の創造は私の想像を超えない。 そしてありきたりな流れではあるけれど、震えていた繭の表面が砕け始めた。夏の午後、熱せられた空気に流されて涼やかに身を揺らし奏でる風鈴のような単純で綺麗な音を立てて、初めはまるで万華鏡、どこか分からない、けれど確実で重要な一部がその正体も見せずに私が見ている前で砕けた。そしていっせいにゲイジュツテキな(どこかの人たちからは、私にはよく分からないけれど)表面にもっとゲイジュツテキな(私には全く分からない。けれどそれは破壊されるべきウツクシサ)罅が入り、次には明確な大部分、つまり全てとして奇妙な繭は砕けた。綿のようだと思ったのは気のせいで、最後はガラスの潔さ。
最後じゃないよ。
最後じゃないの?
やっと、幕が開いたんだ。
奇妙な繭。覗かれるのを拒んでいた物体は、案外呆気なく想像を壊して正体を晒した。私は想像の無駄遣い。それでも損した気がしないのは、どうやらこれから何かが始まるみたいだから、その期待やら不安やらが今のところ勝っているみたいだから。その何かが何なのかは、私にはやっぱりよく分からないけれど、でもよく分からない何かが始まるのは確からしい。
違うよ。
違うの?
もう始まっているんだ。
もう?
始まっている。
いつから。
最初から。 ずっとだよ。 君はずっと見ていたじゃないか。
砕けた繭の欠片の上には、いつの間にか人間がいた。横を向いて寝転んで、こっちをじっと見ている。視点の私をじっと見ている。姿が見えないはずの私を、限界まで開いた大きな二つの目がじっと見ている。立場を失くすくらいじっと見ている。 正直、ちょっと気持ち悪い。
酷いな。 君だって僕を見ているだろう。 僕はさっきから、恥ずかしくて仕方ないのに。
恥ずかしいの。
恥ずかしいさ。 こんな姿を何かに見られるのは 誰だって恥ずかしいよ。
どんな姿。
こんな姿。 君が見ている、僕の姿だよ。 君の目に、僕はどんな風に映っている?
奇妙な繭。
奇妙な繭から出てきた人間は、やっぱり奇妙な繭だった。首から下が細い糸のようなものでぐるぐる巻きにされている。エジプトのミイラのようだけれど、巻きついているのは包帯じゃなくて細い糸だから、ファラオなんて不思議な響きの立派な奴じゃない、やっぱり繭という言葉が一番相応しいそれは奇妙な繭。
ただいま。
タダイマ?
ただいま。
初めまして。
正解?
え?
おかしいよ。
おかしいのは、そっち。
どうして。 僕は「ただいま」って言ったんだよ。この場合、「ただいま」って言われた君の応えは、
待ってない。
何が?
私は、あなたを待っていない。だから、ただいまはおかしい。
酷いな。
大きな目が、一度、閉じる。瞬きの永遠。心がひやりとする。 だって、
何?
大きな目はゆっくり開く。終わる永遠。消えたのかもしれない。私の前から姿を失くす。 だって私は、あなたを知らない。
僕も君を知らない。でも、僕は全てを知っている。 僕は未完成だ。僕は始まったばかりで僕の内側は隙間だらけ。とても繭の外に出て行くことは出来ないから、代わりにたくさんのものが外から流れ込んできては僕を満たす。そうして僕は段々と創造されていく。つまりそういう意味では僕は完全なんだ。 だから、君が誰かなんて僕にとってはどうでもいい。知らなくたって何の問題もない。重要なのは、君がそこにいるということ、君の存在がそこにあって、僕たちは今こうしてお互いの未完成さを共有しているということなんだ。 君の存在は僕を満たす。君の想像が僕を創造する。 僕は君を知らない。でも、僕は全てを知っている。ねぇ、
何。
ここは君が想像した部屋なんだろう。
そうよ。
じゃあ、君だって同じじゃないか。
同じ。
君は全てを知っている。ここは、君が創造した部屋なんだから。 ねぇ、知ってる? 何も知らないってことを知っているってことは、つまり全てを知っているってことなんだよ。
あなたは誰?
奇妙な繭。
そうじゃなくて。
君が思うものだよ。
私が想像した部屋だから?
本当は何だっていいんだ。まだ、僕は始まったばかりなんだから。 ねぇ、
何。
ここは、懐かしい匂いがするね。
そう。
いつかずっと昔にも、ここへ来たことがあるような気がするよ。 僕はここでこうして一人で、誰かと一人で、ずっとこうしていた気がする、だけじゃなくて、本当にそうだったのかもしれない。全ては始まったばかりなのに、この始まりはもう何度となく繰り返されている。僕は幾度もここで目覚めて、その度に君と、君以外の誰かと、こうして向かい合った。そうじゃないかな。 ねぇ、君はどう思う? 僕を、知ってる? 僕を、覚えてる?
それは私に向けられた言葉。 私とはつまり私であり、私とはつまり私以外の誰かであり、私とはつまり貴方のことだ。奇妙な繭から生まれた奇妙な繭は、白い部屋全体に話しかけているようで、しかしその目は姿が見えないはずの私に真っ直ぐ向けられている。私はそれを避けるでなく、自由である視点を動かさずその視線に縛られていた。
ねぇ、わかる? 僕にとってはここが全てで、つまりここは世界なんだ。 ねぇ、わかる? つまり、君が全てってことなんだよ。
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